6月23日は沖縄慰霊の日。心に刻まれたあるおじぃの言葉。


沖縄戦を沖縄の言葉で語るという番組のインタビューを受けたおじぃが、

「なんで方言で話さないといけないの?私は方言は話せない。昔は方言を話すなと言われて、今度は方言で話せという。ムカつく。」

と答えていたことにショックを受けた。言葉を奪われることは、アイデンティティを失われることだと思う。



うーとーとー


6月23日は、沖縄戦で日本軍の組織的戦闘が終結した日とされ、沖縄では公休日になっている。今年は戦後75年の節目を迎える年。

糸満市摩文仁の平和記念公園では戦没者追悼式が催され、総理大臣も出席し、正午には黙祷が捧げられる。その様子は全国でも生中継される。

私も仕事が休みであれば、家でテレビ中継を観ながら摩文仁の方向を向いて「うーとーとー(手を合わせてお祈りすること)」するし、仕事であれば帰ってからうーとーとーすることにしている。

あと、中継だけじゃなくて、ドラマや映画、ドキュメンタリー番組も観ることが多い。



あるおじぃの言葉がショックだった


2014年に放送された番組を観た後に書いた、当時の私の日記。

慰霊の日が近づいてきましたね。深夜に、数年前に放送された「うちなーぐちで語る戦世」という番組の再放送をやってました。内地の大学教授が、おじぃやおばぁにうちなーぐちで戦争のことを話させて、それを録画してデータを集めるという活動のドキュメンタリー。当時のことを、「どうしても死ななければいけなかった」と話すおじぃや、集団自決をして死んだ人のことを「羨ましかった。本当に羨ましかったよ~」と振り返るおばぁの言葉が悲しかった。

インタビューを受けた中の一人のおじぃの言葉が印象的でした。みんながうちなーぐちで話す中、そのおじぃは方言を一切使わなかった。インタビュアーの教授が催促すると、「なんで方言で話さないといけないの?私は方言は話せない。昔は方言を話すなと言われて、今度は方言で話せという。ムカつく。方言は話せなくなったし、標準語も話せない。」と言い返した。インタビューの最後に教授が「今度はぜひ方言で話してくださいね」と笑顔で声をかけたけど、「方言は話さない。無礼な人がいないところでしか話さない」と言い残して帰っていった。

言語は文化。言語を奪われるというのは計り知れないダメージがある。言いたいことが言いたいように言えないわけだから。今では琉球語は危機言語として認定されてるほどで、できるだけ音源を残そうとか、うちなーぐちのイマージョン教育をやろうとかいう動きがある。でも、方言で話せと言われることにこれほどまでに抵抗感を抱く人がいるとは知らなかった。70年も前に起こった戦争のせいで、70年も悔しい思いをしてる人がいる。

死ぬことを義務だと思うおじぃや、死んだことを羨むおばぁの言葉もショックだったけど、言葉を奪われたり話せと言われてきたりして翻弄されてきたおじぃの怒りがショックだった。



方言札による言語統制


「方言札」って知っていますか?

明治時代以降、標準語を全国に浸透させる「標準語励行」が進むなかで、沖縄の「しまくとぅば」は「方言」となり、使用が厳しく制限された。県内各地の小学校ではしまくとぅばが「汚い言葉」「遅れた言葉」とされ、話した児童は罰として「方言札」を首からぶらさげられた。方言札は戦後になっても使用され、そのうち、しまくとうばを話せる人は少なくなっていったー。
(出典:沖縄タイムス)

方言札を渡されてしまった子は、わざと誰かを叩いて、「あがー(痛い)」と言わせて、「先生ー、○○が方言使いましたー!」と告げ口して、方言札から解放されようとしていた、というエピソードは、沖縄の人なら誰でも知っているはず。

笑い話として語り継がれているけど、「方言で話すのは恥ずかしい」「方言は遅れている」という認識を植え付けられ、方言を話さなくなり、ついには方言を話せなくなってしまった。

戦時中も、沖縄の言葉で話すと日本軍にスパイだと疑われたと聞く。


その結果、

私は方言はちょっとした単語やフレーズを知っているものの、センテンスレベルでは話せず、方言だけで話されると、韓国語を聞いているのと変わらないくらいの理解度しかない。

戦後生まれの私の親世代は、方言を話したり聞いたりできる人もいれば、聞くことはできるけど話せないという人もいる。

戦争体験者のおじぃおばぁ世代は、方言はもちろん使いこなせるけど、孫と話す時は標準語を使う。でも方言ほど流暢じゃない。

これが沖縄の現状。



危機言語としてのうちなーぐち


今は「うちなーぐちを残そう」という流れになっている。

沖縄の言葉をアイヌ語と同じように危機言語とする考えもある。

方言ではなくて1つの言語だとする考えもある。実際に、沖縄本島の中でも言葉が微妙に異なる。隣の市町村で、単語の発音や訛りが違うものもある。離島になると、単語や音声がまったく異なる。

話せる人がいるうちに音声データを記録する研究者たちもいる。



私が知らなかった感情だった


私は方言を話せることはかっこいいと思うし、ちょっとずつでもいいから勉強したいと思う。

でもおじぃおばぁの中には、島くとぅばを話していたのに、「日本人だから標準語を話しなさい」と強制され、戦時中はスパイ扱いされ、今は「方言残したいから方言で話してください」と言われる。

1つの国の中で言葉がバラバラで通じなければ、不都合が出てくるのは分かる。でも、それを日本人が嫌がる「恥」という感情で押さえつけ、消滅に追い込んでしまったやり方は間違っていたと思う。


言葉は、消えてしまうと復活させるのは難しい。

私は沖縄の言葉はずっと残ってほしいし、残していくべきだと思う。

そのうえで、このおじぃの感情は忘れないでおきたい。

インタビュアーを無礼な人と言って怒りをぶつけたことを批判する声もあるかもしれないけど、わざわざテレビに出てその感情を訴えかけたおじぃの長年の怒りや悔しさは、沖縄の人間としては理解したい。「ムカつく」という、その年代が使うにしてはめずらしい若者言葉を用いて表現したことも。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?