「私が明日死ぬなら」

2024年の年明けは石川県を中心とした北陸地方の大地震で始まった
寒い中、まだ停電している地域もあると聞いたり、瓦礫を避ける重機がたどり着けていないと聞いたりすると、胸が痛みます
寒いと心細さは何倍にも膨れ上がる
1秒でも早く、せめて必要な支援が全ての人に行き渡りますように

そんな正月も三が日が過ぎ仕事始めの今朝、何となく(習慣で)開いたTwitterですごいものを見てしまった



やばくないか?
クリエイターとしての技量、俯瞰的に世界を捉える視点から生まれる、世相の芯を超食ったリリースってやつを目撃した!と布団の中で確信して鳥肌を立ててしまった

ちなみに私は昨年の4月に初めてキタニタツヤのライブ(何組かのアーティストが出演した中の1人として)に行った、いわゆるニワカであることをまずは明言しておきます、ニワカなので、キタニタツヤの過去の作品や言動を深掘りはしておらず、ファンの方にとっては当たり前すぎることで痺れてる可能性はあります、それでも言わせてほしい、
やばくないか?

首根っこを掴まれ馬乗りになられ地べたに頭を擦り付けられるかの如く、定期的に自然に対して人間は無力であると思い知らされているここ数日の日本、
クリスマスも新年も関係なく戦火にさらされている人々がいるこの世界、
五体満足、衣食住足りていてもどんなに周りが生きて欲しいと願っても希死念慮が止まらない人たちが生まれてしまう時代、

それでも

地獄の中でたまに笑おう あなたが明日も生きるなら

キタニタツヤ「私が明日死ぬなら」

あなたが明日も生きたら 変わらず苦しい日々を見つめ
この歌と小指を結んで
あなたは明日も生きていくんだ

キタニタツヤ「私が明日死ぬなら」

と歌う、しかもこのタイミングで
キタニタツヤ自身はこの歌詞をファンを思ってツアー中に書いたとANN0で言っていたんだけど、
そういうミクロなことが、タイミング的にそのままマクロな視点に結果的に置き換えられる構図は、米津玄師のLemonの後日談のようだと思った




この世界に身を置いて創作している以上、様々な出来事に無縁な制作などありえない
大袈裟でなく時に地獄の様な日々をくぐり抜けて会いに来る自らのファンに、全て捧げてもいいような自己犠牲的な気持ちになるほどの瞬間が彼らにもあり、
私達も明日を生きていく為の明確な理由を彼らに貰っていると確信する瞬間がある
「止まない雨などない」とか
「あなたが死にたい今日は誰かが生きたいと願った明日だ」とか、そういう他人ごとの言葉ではない相互的な救済が現場にはあると信じたい

人生に立ちはだかる苦難が氷山だとして、
私の好きなアーティストたちは、いつだってその氷山を溶かしてくれはしないけど、その氷山を自力で乗り越えていくためのピッケルであり、アイゼンをくれる
確かに私はキタニタツヤから今朝何かもらった気がするのです


キタニタツヤはANN0の冒頭で、北陸地方の地震被害に触れ、「僕に唯一できることは歌うことです」と『青のすみか』を弾き語って言った
米津玄師も以前、ノブレス・オブリージュについてインタビューで触れていたけれど、ことさらに表明するかしないかは別として、自らにできることは何か、すべきことは何か、いつか "今日という日を音楽にして救" ってくれるはずの人たちがいるから、この世界を "どうにかやり過ご" せるのです

キタニタツヤは先日私が行ったCDJのステージで、「今年自分の事を浅ーく知ってくれた人を全部巻き込んでもっとでかいマーチングバンドにしていきたい」とMCしていたけど、私はもうまんまとその聖者の行進の最後尾に巻き込まれた気がする
ニューアルバム、滅茶苦茶楽しみです、期待してます




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