嵐が顕れた佳き日によせて。

この先どうなっていくんだろうって茫然と浮かぶ未来におびえて、ぴたりと立ち止まりたくなるときがある。これはある。きっとみんなあるよね。ジャニーズjr.のオタクになって数ヶ月、この未来が分からないという不安に急に襲われることがある。基本的には毎日楽しいんだけど、急にくる。ぐわっと、噛みついてくるみたいに。本人不在のまま将来を勝手に案じて勝手に落ち込むという独り相撲は、字面だけ見ると全く不毛だなと思う。でもどうしようもなく好きになってしまったので。嬉しいときや悲しいとき、全く感情が動かなくなったときにだって、ふと不意に思いがけず、思い出してしまう。好きだなぁと思う。ずっと好きでいたいなぁ。そうしてはたと、ずっと好きでいられるのかなぁと思う。そうやって立ち止まってしまったときの私は、ものすごく寂しい空間の中でひどくぽつんとしている。全く依存しているみたいだと思いながら、それでもそれはやっぱり、どうしようもなく好きになってしまったので、と、思う。

「将来のこと考えると夢が広がるね。君たちはまだ何にだってなれるから。」「それは違うよ。」と、真正面から否定されたのは、ついこの間の話で、そこそこ多くの高校生と話した中では初めてのことだった。できないことはある、みんな知ってる。それでも将来を語るとき、ひとまずそこには目をつぶるのだ。美しい言葉と美しい音楽の力を借りて感情を盛り上げて、現実の不都合な部分にうまくフタをする、そういうことを当たり前にやって何となく生きていく。できないことを数えるのはあんまり苦しいだけだから。「何にだってなれないよ。」と続ける少年を見て、私は身勝手な夢を子どもに重ねて打ち砕かれてしまったような虚しさを感じた。確かに何にだってなれないよ、君はきっといくつもの妥協を重ねた末に、何でこんなことしているんだろうって空虚な過去を振り返って、時間によって彩られた都合のいい記憶だけを引っ張り出して懐かしむんだろうよ、と冷酷なことを思ったし、そうした未来は存在していると確信めいた気持ちを覚えた。それを寂しいと思うのはわがままだろう。でも私はどうしても寂しくて「そんなこと言わないでよ。」と言った。「だってなれないもん。」と、彼は言った。

そうやって進んだ未来に、いくつかの幸せがあることは知っている。どんな選択をしたって、どんな場所に行ったって、幸せをきちんと見つけられる人はみんな見つけている。「妥協」と表現することに嘘はなくとも、自分の能力と折り合いをつけて「選択」をしたのだと言い換えることはできる。だから不透明な未来の先に、きっと各々の幸せがきちんとあるんだろうとは思う。でも寂しいなぁ、たまらなく寂しいなぁ、世の中が自分の思うとおりに動かないことなんて、もうとっくに分かっているのに、どうしようもなく寂しいんだよなぁ。だって夢を叶えた人が見せた笑顔は、美しい言葉や音楽なんかなくったって世界中を幸せにするくらい素敵で、私はそれをどうしても見たくて仕方がないから。それなのにもしもLove-tuneがデビューできなかったとしても、私は全く別の場所で平気な顔しながら幸せぶっているんだ。少年に向けて罵るように浮かべた言葉の通りに、すっかり何でもない大人になってしまって、上手に妥協してきれいに彩られた過去を懐かしむ力ばかり身につけてしまった。こんな風になることをどこかで否定してほしくて一方的に夢を重ねてしまった、そのわがままをどうにか肯定しようとしたのだけど、どうしようもない現実ばかりが突き刺さる。思考がぴたりと立ち止まる。定まらない未来ばかりが浮かぶ茫漠とした空間に立ちすくみ、また、寂しい。

あー、寂しい。

寂しいなぁ。

ん?

んんんんん?

あれっ!?!?!?!?!?!?!?!?!暗いな!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

Love-tuneがデビューしてくれればいいんだけどなぁと、単純に素朴に思う。絶対そういう未来が待っているのだと今でも思い込んでいるのだけど、最近不安がすごい。もうめっちゃ噛みつかれてる。不安に打ち勝つために文字にしようとしたのに全然うまいこと言えなくて、変にこねくり回して難しいことを言っている風の、わがままオタクの思考の垂れ流しになってしまった。予定だとこのあたりでいい感じにオリジナル曲の歌詞とか引用して、それこそいい感じの言葉と音楽でごまかして、それっぽい雰囲気でゴリ押し気味に応援してくぞ!ってまとまってるはずだったのに、全然だめだ。だめだめだ。不安がすごい。ぼんやりとした不安。芥川龍之介だったら自殺してる。殺伐とした現実の立ちはだかり方がすごい。ちょっと現実、そんな立ちはだかる!?いいじゃん少しくらい、夢見させてよ!!!!って脳内でわめいてる。マジ強そう過ぎて勝てる見込みが見当たらない。ん?日本語合ってる????

多くの少年少女が「何にだってなれない」現実を受け入れて旅立っていく。何なら私「現実見ろよ」ってわりと言ってた。今日、3月1日という佳き日の先に、どんな未来が待っているのか私は知らない。でも大多数、3年という時間をそこそこぼんやり過ごして、まだまだ遥か続くはずの自分の人生を期待に満ちた目で臨んでる、せめてそういう希望みたいなものを抱いていたいのに、それを許してもらえない現実が立ちはだかっているような気がする。そんなの誰にだって分からないじゃないか、気持ちで負けんな私!ってどんなに発破をかけても頭の片隅でせせら笑う声が聞こえてる。「何にだってなれないよ。なれなかったじゃないか。」って。そういうのは現実の方でお腹いっぱいなんだけどって言い返すんだけど、Love-tuneって三次元に存在してるんだよなって妙に思い知らされるばかりで、本人不在の不毛なやり取りをここ数日頭ん中で繰り返しては書いて消して、消化不良がぐずぐずと続く。鳴り響く盛大な拍手の中お別れの花道を歩く、フリーター志望のアイツはよく遅刻してたなぁ、進路未定って毎年結構いるけど、本人も親も何とも思わないのかなぁ、あっけらかんと笑ってる、私もそれができたらいいのになぁって、それは嫌味かひがみか。まだ桜なんか全然咲く気配もないけど、っていうか春の大嵐ですけど、あっけらかんと笑ってる。将来の見通しを立ててほしいって思うのは、社会の常識に疎いセンセイのわがままかしら。でも願わくは彼らの未来が明るく輝くものでありますように、それだけはみんなみんな願っているんだよ。次に会うときはそんな姿を見せてほしいなって思っているんだよ。そしたら空虚にぼんやり過ごした3年間も報われたなぁって思うから。現実は幸せ報告にあふれてばかりとはいかなくて、病気に苦しんだり警察にお世話になったりすることもあるらしい。そっか、そうかぁ、それでもあなたの未来が明るく輝くものでありますように、そう思う以外にできることはない。私は私で勝手に幸せぶっているけれど、いつだってそう思っているよ。

全く無力だなぁと、果てしなく広がる未来を眺めては何度も思った。ぽつんと立ちすくんでも歩いて行かなくちゃいけない現実が苦しい。将来の話は楽しいことばかりにはならなくて、手にした不合格通知と流した涙、役に立たない言葉を並べ「妥協」を「選択」に替えて手の届く幸せをつかむため進む。でもどうかその先であなたが笑って過ごせますように、何の救いにも慰めにもならなかったとしても、どうかどうか、ここで過ごした日々がいつかあなたの人生のどこかで報われますように。最後のHRを終えて校門を抜け新しい世界に羽ばたいていく。春の大嵐の向こう、約束の虹が架かるといいなぁなんて最後は神頼み。見上げる空の彼方、どうなるんだろう、現実は絶望的に冷たいけれど、やっぱり未来は分からないってわずかな希望が捨てられない。「だってなれないもん。」と少年が言い切って終えた会話の続きが、どこかにあるのかもしれないって。あなたの未来が幸せに満ちたものでありますように、胸に抱いた優しい夢がかないますように。何度も何度も、繰り返し繰り返し。

できないことはある、みんな知ってる。

ぼんやりとした不安に襲われたら、死んじゃうくらい悲しい。

現実に打ち勝つ手立ては一切思い浮かばない。

でも出口のない思考を渡り歩いて何度もぴたりと足を止めたって、どうしたってここにたどりつく。Love-tuneにデビューしてほしいなぁ。

諦めきれないんだ、どうしても。あなたの夢がかないますように、その優しい夢がかないますように。こうでしか有り得ないだろうって覚悟を決めて歩んでる、その道のりが願うとおりに報われますように。まだまだせせら笑う声は聞こえてくるけれど、負けんな私!って何度も何度も繰り返し繰り返し寂しさを吹き飛ばすように。あなたの未来が明るく輝くものでありますように。次に会うときはそんな姿を見せてくれるといいな。そんな未来が絶対に来るっていう、わずかな希望が捨てられない。

3月1日の佳き日、天候は予想外に荒れていて、この日に合わせて何とか気持ちをまとめようと思っていた私は、全くバカみたいだなと笑ってしまった。ごうごうと音を立てて風が通り過ぎる。進路未定、どうなるのかな、塞翁が馬なんて他人の戯言にすぎないけれど。当人の深刻さを推し量ることもできないけれど。少し偉そうに口々に励ましの言葉なんて述べたりして、笑って去っていく、明日のあなたが笑っていますように。そう願うときはほんの少しだけ胸が温かい。

広大な未来に歩みを進めていく、その全ての人に幸せがありますように。そう願うしかできないんだから、無力でもなんでも、それしかできないんだから。何百回だって繰り返す。ほんの少しだけ温かくて、そうしたら私の寂しさなんていつかどこかに吹き飛んでしまうね。それが唯一私が思いつく、茫然と浮かぶ未来に立ち向かうための、ささやかな手段だ。

オリジナル曲の歌詞を引用できなかったし、ゴリ押しで応援していくぞ!!!ってまとまっているとも言えないけれど、ここが今の精一杯だなぁ、結構何日も考えたんだけど、正直現実は厳しいよなぁって行き詰まる。それでもやっぱりどうしても、どうしようもなく好きになってしまったので。私は私なりにLove-tuneのことを応援していきたいと改めて文字にする。東京ドームで笑う明るく輝く未来をどうか見られますように。繰り返し、繰り返し明るい未来を願いながら、私は私のできる限りをしていきたいな。

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