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【授業紹介】 歴史に学び未来を拓く経済統計

立正大学データサイエンス学部 准教授 辻村 雅子

経済統計と歴史の関りを、産業連関表と呼ばれる資料を例にひもときます

■産業連関表の誕生

 1920年代のアメリカ合衆国を、Roaring Twenties(咆哮のもしくは狂騒の1920年代)と呼びます。アメリカ大陸を東西南北に結ぶ鉄道網が完成し、どの家庭でも電気が使えるようになったことで、人々の生活は大きく変わりました。T型フォードという乗用車が大量生産されたことで、一家に一台と言われるまでに普及したことは、よく知られていますが、同時にTT型フォードと呼ばれる小型トラックと、F型フォードサンと呼ばれるトラクターが普及したことで、人々は早朝から深夜まで、重労働に明け暮れる生活から解放されました。家庭でも、洗濯機や掃除機に加えて冷蔵庫が普及したために、庭で野菜を育て、鶏を飼って卵を集めるという作業が無くなっただけでなく、都市はもちろん農村でも、通信販売で既製服が簡単に手に入るようになり、家事の負担からも解放されました。その一方で、ラジオに加えてオーディオプレーヤーが誕生したことで、何時でも何処でも音楽を楽しむことができる時代になります。オーディオプレーヤーを応用した、ジュークボックスという機械が、喫茶店などの片隅に置かれるようになり、禁酒法で飲酒の習慣が無くなったアメリカ人は、ダンスを楽しむようになりました。また、それまでの映画の技術と、オーディオプレーヤーを組み合わせることで、華やかなミュージカル映画も登場し、週末には映画館でデートをするという習慣が生まれたのも、1920年代のことです。
 ところが1929年10月に、ニューヨークで株価が大暴落したことで、時代は一変します。多くの人々が、銀行からお金を借りて株を買っていたために、貸したお金を返してもらうことができずに、銀行が倒産する事態となりました。銀行の倒産で預金を失った人々は、買い物もできず、物が売れないので会社も倒産、働いていた人々も仕事を失うことになります。また、農産物の価格も暴落し、借金をしてトラクターなどを買っていた農家の人々も、路頭に迷ことになりました。あれだけ豊かで楽しかった1920年代から、文字通り一夜にして、1930年代の大恐慌に突入したことに衝撃を受けた人々が、この状況を理解する手段として開発したのが、産業連関表と呼ばれる経済統計です。
 産業連関表の発案者のワシリー・レオンチェフは、ケネーの経済表を手本に、これを開発したと書き残しています。ルイ15世の主治医だったフランソワ・ケネーは、経済における所得の循環を、人間の血液の循環に例えて、国王に説明しました。国王は、これを書籍として出版することを勧め、1758年のクリスマスの直前に、みずから指揮をして、ヴェルサイユ宮殿の印刷所で初版を印刷したと伝えられています。したがって産業連関表も、もともとは、一国の経済における、お金の支払と受取の連鎖を描く統計資料として開発されました。しかし、この産業連関表が開発されてから、わずか数年後に、世界は第2次世界大戦へと突入します。アメリカ合衆国は、単に欧州戦線に武器を供給するのみならず、食料など、ヨーロッパで必要とされるすべての物資の供給基地となりました。こうした中で、産業連関表も、どのような製品の生産に、どのような原材料・部品・燃料が、どれだけ必要かを計算する用具として発展することになります。この産業連関表は、戦後の欧州復興計画や、日本の傾斜生産方式でも、存分に活用されることになりました。

写真:フランソワ・ケネーが経済表を執筆したヴェルサイユ宮殿 (https://en.chateauversailles.fr/discover/estate/palace)

■産業連関表の使い方

 産業連関表の中核部分は正方形の表になっており、横方向の行と縦方向の列には、すべての産業が同じ順番で並べられています。この列を縦方向に見ると、どのような産業から、原材料・部品・燃料などを、どれだけ購入しているかがわかります。また行を横方向にたどれば、その産業の製品が、どこの産業でどれだけ、原材料・部品・燃料などとして使用されたのかを、知ることができます。例えば経済産業省が毎年発表している日本の産業連関表は、およそ400産業×400産業という、とても大きなものです。しかしながら、この産業連関表を見ると、取引金額がゼロというマス目も多くあります。これは、織物を作るために、糸が原料として使われることはあっても、糸を作るためには、織物を必要としないからです。すなわち、原材料・部品・燃料などは、産業間では一方通行の取引となっています。また、たとえば電力は、ほぼすべての産業で利用されているのに対して、パンは家計で消費されることが多く、サンドイッチの生産などに利用されるほかは、産業間で取引されることは、ほとんどありません。したがって、行に含まれるゼロのマス目が多い順に、列と行の産業を同じ順序で入替をすると、原材料・部品・燃料などが、下位の産業から上位の産業に一方向で取引されることになります。
 第2次大戦後に日本で採用された傾斜生産方式とは、まさにこうして作成された産業連関表を使って、下位の産業から上位の産業へと、順番に産業を育成していく経済政策に他なりません。戦後の日本は、原油等を輸入する外貨に乏しかったため、まず石炭の生産から出発しました。この石炭は、輸送の担い手である蒸気機関車の燃料となるほか、主として発電用に利用されました。1950年代になると、鉄鉱石が輸入できるようになったことで、石炭を使って製鉄業が育成されました。この鉄鋼は造船に利用され、これが主要な輸出品へと成長します。1960年代になると、豊富に生産される鉄鋼を使って、新幹線などが建設される一方、家電製品や自動車が大量生産できることで、豊かな家庭生活が実現することになりました。このように、役に立つ経済政策の背後には、産業連関表のような経済統計が不可欠です。皆さんも、日本の過去をひもとき、明るい未来を創造するために、データサイエンス学部で経済統計を学んでみませんか。経済を読み解くことで、皆さん自身の将来設計にも、きっと役立つことと思います。

【参考文献】
[1] 辻村雅子・辻村和佑(2021年)「マクロ経済統計と構造分析:もう一つの国民経済勘定体系を求めて」慶應義塾大学出版会

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