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ただ存在するだけで価値がある

「<レンタルなんもしない人> というサービスをはじめます。-スペックゼロでお金と仕事と人間関係をめぐって考えたこと-」 読了。
活動内容とその考察がとても興味深く、面白かった。


存在給という考え方

僕はいま、人や社会に対してなにか役立つことができる人でなくても、つまりなにもできそうにない人であってもストレスなく生きていける世の中になってほしいと、わりと本気で思っている。それは僕自身が肌で感じている人の価値と、社会のなかでその人が評価される価値のあいだにギャップを感じているからだ。
<中略>
彼らが社会に対して目に見える生産性があったか、と問われれば否だろう。僕も含め、僕らは小さい頃から大きな苦労を背負うようなこともなく、幸いにも比較的のほほんと育ったのかもしれない。それゆえか、世間が求めてくる能力に無頓着なところがあって、その世間にさらされたとき、人一倍頑張らなくてはいけなくなる。
姉の社会人としてのスペックは、彼女が受けた会社にとって求めるものではなかったけれど、僕自身にとって姉はただ存在しているだけで価値があった。そのギャップが社会的な尺度でいうなにもできなさそうな人にとって、ものすごいストレスになる。そういう世間に合わせることによって生じるストレスで人が死ぬ、あるいは本人に備わった力がどんどん弱まっていく場面を目の当たりにしたのだ。

個性を出さない

私も近しい存在が、それこそ「くそどうでもいい」社会的な尺度にプレッシャーをかけられて人生を終わりにしてしまった姿を目の当たりにしたことがある。
それから何十年か経ったけど、そのことを考えると容易に深い悲しみの底に落ちる。
そして人の親になった今、その人の親の気持ちを想うと、それは想像を絶する悲しみであり、社会的な尺度なんてクソくらえと今でも暴れたくなるのだ。

「生きて笑っていてくれると嬉しい」「居てくれると嬉しい」
そんな根拠のない気持ちは、簡単にデータ化され表面化される能力よりも余程価値があるのではないだろうか。

友人関係を継続するための貸し借り

たとえば友達同士だと、なんとなく時間を持て余しての雑談だったとしても、自分のことだけ話し続けたり、内面を無闇に晒してはいけないとセーブしてしまうところがあるのかもしれない。相手にも花を持たせるというか、話に耳を傾けたり、「最近どう?」と話を振ってみたり。お互いの出し具合が均等になるように微調整を続けて関係を保っていく。

距離を縮めない

ここは自分の事を言われたかのようで、本当にドキッとした。
私は良好な友人関係を継続するために、無意識のうちにずっと気を遣っている。
自分の話をしすぎないように、相手が話しやすいように適度に自分の話(自虐ネタなど)を織り交ぜながら。
久しぶりに飲みに行く友人とは楽しい時間を過ごしたい。そして相手にもそう思ってもらいたいと思っている。
あまりに無意識に行っていることで、もはやそうしない姿を想像できなくもあるくらいなのだが、不意に言いようのない寂しい気持ちに襲われることもある。

贈与とはいうまでもなく人になにかをあげることだが、なにかをもらった人は、くれた人に対してお返しにもっといいなにかをあげようとする。そうやって贈与というものは循環させやすいものなんだけれど、双方の贈与が等価になってしまうと、つまりプラスマイナスゼロで精算されてしまうと、関係が継続しづらいという。それと似たことは友情にもいえるんじゃないか。友情が継続していく背景には、貸し借りを精算したときの余剰分の積み重ねがあると僕は思っている。
<中略>
本当なら一刻も早く精算したいのに、どんどん「健全な負債」が膨れ上がっていき、それに伴い居心地もどんどん悪くなっていく。ある時点で、「健全な負債」は純粋な負い目に変わっているのだ。

お金に縛られない

年賀状を渡されたから返す。誕生日プレゼントをもらったからお返しをする。
前回誘ってもらったから、今回は私から声掛けしよう。
いつの間に人間関係でこんなに等価に拘るようになってしまったのだろう。
そして、不思議なことに、相手の好意を受け続けると、相手と対等ではない気がして、対等に接してはいけなくなるような気がして、苦しくなってくるのだ。

ではどう生きるか

まず、自分の周りの人に、特に子供には、いるだけで価値があることを知ってもらいたい。
学校の成績だったり受験だったり、就職だったり、世の中は社会的な尺度で溢れている。
もちろん生きていくうえで、いくばくかのお金は必要だけれど、社会的な評価と幸福度は相関しない。

私はあなたと一緒に生きるからこの人生が楽しい。

そういう想いを伝えていきたい。

私も誰かの「なんもしない人」になれるように。寄り添って生きるとはそういうことなのではと。

そして、私の自分の気持ちも大切にしていきたい。
気を遣う会合はほどほどに、自らに「おぉ、だいぶ無理してたな。まぁ頑張ったんじゃない。頭と心が疲れたから好きなものでも食べてお笑い見て補給せい」と積極的に労わる。

無意識に無理をしてるなら、意識的に自分を甘やかしてやっとイーブンなんじゃないのと思うから。

#ジブン株式会社マガジン
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#友人


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