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怒りのスイッチ〜幸せへの道〜ヨーガ心理学で知るわたし⑦


最近怒った事はなんですか?

そもそも怒りとは何かを考えた事はありますか?

自分のイライラと向き合ってみましょう。

一体なにが私をイライラさせているのでしょうか?

まず、自身の怒りを思い出してください。

例えば子供たちが喧嘩しているとき
さらっと流せるときと
その声がイライラして怒ってしまう、という時はありませんか?

現象としては同じ現象でも

怒れるときと
怒れないとき

どちらもあるということです。

これはどういうことでしょうか?

自分に余裕があるときには怒らないのではないでしょうか?

やること山積み、忙しい!そんなときに子供達の喧嘩が始まったら、
どうでしょう?

もしくは生理の前の日とか、笑。イライラが止まりませんよね~。

あれれ、では、これは子供たちが悪いのでしょうか?

もしかしたら、受け取る私たちのコンディションもあるのではないでしょうか?

疲れている、寝ていない、でもやることいっぱいで切羽詰まったとき
要するに余裕が無いとき、イライラしてしまうのではないでしょうか?

怒る必要がないのに怒っている場合があるという事なんですよね。

自分でも怒れるときと怒れないときあるように。

そして、自分と他人でも怒るポイントは全く違います。

怒りのスイッチは人それぞれあるのをご存知ですか?

例えば

玄関の靴はきっちり揃ってなければいけない
脱いだ洋服は床に置いてあるのは許せない
メールを長文で送ったら、スタンプひとつで返すなんてあり得ない!(ごめんなさい、これ私よくやっています)

などなど

こだわりポイント、と言ってもいいかもしれませんね。

その人にはマイルールで絶対だとしても、
みんながみんなそうであるとは限りません。

しかし、我が子となると、ついつい自分のルールを押し付けてしまいがちですよね。

もちろん、しつけの上で大切な事もありますが
ここで問題にしているのは「私たちのイライラ」をどうするか、と言うこと。

まずは自分の怒りのスイッチ、どこにあったのかを検証してみます。

では、実際の私の体験と共に検証してみましょう。

子どもが毎日のようにこたつ布団に牛乳をこぼす、という時期がありました。これ、子育てあるあるですよね、笑。

子どもが牛乳をこぼすと、あーー、またかぁ(心の声)イライラ開始します。直接怒ることはしませんでしたが、イライラは抱えたまま。

この現象に対してどう反応しているのか、を分析していきます。

(心の声)
あーーー、また洗わないといけないじゃーん。
この寒さでこたつ布団ないのきついわー。
一日で乾かないしなぁー。コインラインドリーお金かかるしなぁ。なんで今日も牛乳ここで飲ませちゃったんだろ、私。昨日もその前もここでこぼしたのに、私バカだなあ。
(心の声ここまで)

結局、子供にイライラしていると言うのではなく、自分自身にイライラしていると言うことがわかってきます。

他のママたちとのお話では、この現象の場合、
新築のお家が汚れるのが嫌だ
それによって旦那さんに怒られるのが嫌だ
という不安がある、と言うケースもありました。

同じ現象でも全く違う反応なわけです。

さて牛乳をこぼすという現象に対して
結局私は「ダメな私だなあ」と自分を責めていましたね。

ある人は「綺麗でいたい」という価値観から「汚されるのが嫌だ!」という反応をしています。

またあるママは「汚したら旦那さんに怒られちゃう」という恐怖が湧いてきたのです。

これはどういうことでしょうか?

怒りは、子供が牛乳をこぼしたことにより
発動をしましたが、その怒りの原因は私にあると言うことです。

しっかりしたママじゃなければいけない
いつもきれいな家でなければいけない
旦那を怒らせてはいけない。
あー、私って何をやってもダメ。

そんな思い込みに支配されているということです。

では、ひとつ例をあげてみましょう。
あなたならどう感じますか?

友達が約束の時間に30分遅れています。
電話しても出ない。
LINEしても未読。
連絡はありません。

その時、あなたの心になにが浮かぶでしょうか?

約束に遅れてるのに、連絡しないとか、あり得ない!

私は連絡をもらえない、約束通りに来てくれないほど、友人に大切にされていない価値のない人間だ。

私が日にちを間違えているんだ!なんておっちょこちょいな私。

もしかして事故にもあっているのでは?どうしよう?

いろんな思いが浮かぶでしょう。
でもそれは人それぞれ、多様性に富んでいます。

このように、相手の心というのは自分とは違うのです。

自分の心が大きく揺れたときこそ、自分の思い込みに気づくチャンスです。

自分が感じているように、他人が感じているわけでもないし、他人に自分の感情を察して、というのもピントが外れてしまい、無理な話なのです。


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