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読書メモ21「映画は父を殺すためにある」

宗教学者である島田裕巳による、通過儀礼というフィルターを通してみたときの映画論。
見たことある映画も、見たことない映画もあって
今度また見てみようっとってなる本。

解説(町山智浩)がよい。

読んでて「スタンド・バイ・ミー」を
映画館で見て、原作も読んだ小学生時代(わかんない中学生かも)の後
もしかして一度も見ていない。
テレビでやってたりもしたのだろうか、
テレビ自体を見てないから知らないけど。
なぜか私の中ではホラーに分類されているのかもしれないと
気付いた。
スティーブン・キングはホラー作家だから間違いではないけど
人生は映画みたいにそんなにうまくいかねんだわ、という
ハッピーじゃないエンドは思春期に差し掛かった私には
そんな風に感じられたのかもしれない。

そんな思春期からはすっかり遠く離れた今は
改めて見てみようかな。
子どもの頃を思い出してキューンと胸をつねられるかもしれない。

原作もまた読んでみてもいいのかもしれない。
映画や読書は、こういうものでなくっちゃ。

と、寅さんの良さもそういう風に書かれてもいる。

大人になることで分かることもあるのだ。
たくさん。

知識の量の多寡ではない。
経験の量でもなく、考えることの多寡はあるかな。

赤ちゃんは快と不快しか感情がない(といわれている)が
そこからたくさんの感情に分岐していく。
もちろん名称のない感情だってたくさんあるだろう。
私はたくさんの思いを持てるようになることを
大人だと思っている。
相手の立場に立って考えることも、たくさんの思いがなければ難しい。
小さい頃に親や先生に言われたようにやるものの、
心の底ではなかなか難しかったはずだ。
感情の樹状図をうまく育てられるといいな。
自分は育ててこられたのかな。

父のいない私や、私の子ども達は
父を乗り越えるというような通過儀礼がない。
これは自分はもうともかく、
子ども達に関しては何となく危惧していることでもある。
というか、日本にそもそもそういうのが薄いのか。
父はアレだが、アムロはランバ・ラルを「越えたい」って
頑張ったし、ないわけでもないんだろう。
私の子ども達は私を越えるべく頑張るのだろうか。
常に外れ値である私を越えるったって、
多分普通に生きてたら十分越えてるし。

とりあえず、スタンド・バイ・ミーを見ようそうしよう。
どうしよう、私も旅に出ちゃったら。
なんて、今もずっと旅の途中よ。

おしまい。

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