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映画17「とんび」

小説、読んだかなあ。
忘れちゃったけど、一時期ずっと重松清を読んでいた。
子どもたちが小さい頃だった。

もう、子ども達は私よりうんと大きくなった。

私も誰かの子どもだったし、私は親になった。
親になってからの生きている時間の方が長くなった。
ひとりで子どもを育てた時間の方が、誰かの妻でいるより長くなった。

いわゆる「複雑な家庭」で育った私の子ども達は
全幅の信頼を置いた最初の元夫のところに置いたふたりは
あまりよくないようだ。養母との関係は悪かったと聞いた。
人生のうまくいかないことを誰かのせいにしたいとき
ちょうど「自分を捨てた母親」がいるのは、悪いことでもないだろう。
誰かのせいにしたくても自分の顔しか浮かんでこないと
ちょっとつらいもんね。
他の誰かのせいにするより、エアマザーの方が便利だし。

私が育てた方は、驚くほど普通に
非行もなく、大きな反抗もなく、
さりとて言うこと聞いてばかりでもなく
本当に生まれてこの方反抗期みたいな私の子どもなのか
疑いたくなるほど素直に育っていた。
「お父さんが違う兄弟って仲悪いんじゃないの?」
とよく言われたけど、相思相愛か!というくらいに大好きらしい。
兄弟がいない私にはそもそもが分からないけれど。
男の子なので、それなりに母親の寿命が縮むようなことは
ええもうそれなりにやってきた。
だけど、嫌われがちな私とは違って
周りの人たちにかわいがられ、愛される子たちに育った。

「とんび」のアキラを見ていて、
私は自分の子ども達を思った。
ヤっさんみたいに私もみんなに支えてもらってた。

私も誰かを支えられたらいいなと思いつつ
「りんだちゃんがいてくれるだけで私の支え」
と言ってくれる友達に甘えてる。

たくさんのものを受け取ったから
アキラは与えられる人になったんだろう。

定量でなく、定性でしか
多分、人の気持ちは見えない。
つないだ手の温度をいくら測ったところで
つながれた私の心がどれだけあたたまったか、なんて
測りえない。

たくさんをもらったから
私も人にあげられるような人になりたい。

こういう気持ちってノブレス・オブリージュなのかしら。
家柄もいいわけでなく
お金持ちになったこともないし
家も狭いし
家族もいない、しがない賃労働者の私だけど
たくさんの優しい気持ちでふわふわに包まれて
小さい頃のハードモードの分なのか、今は柔らかい世界に生きてる。

アキラがノブレス・オブリージュな男になれるのは
ひとえにパパとその周りの想いのおかげなんだろう。

「こんな世界なんかありえないよ」
「いいなーこんなところで生きたい」
じゃなくて、自分がその世界の一員であるように生きたら
世界はやわらかくなるんじゃないかな。

おしまい。


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