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心育ては二の次で「知育面」にだけに興味がある?

私たちは、

「愛されている」実感が欲しい、また

「愛されていたい」という願いを本能的に持っていますよね。


子どもなら、なおさら

「親に愛されていたい」

「親に大事にされたい」

この欲求が大きいです。


下の子が生まれて

上の子が赤ちゃん返りをしたり、

上の子がやきもちをやくのも、この心理からでしょう。


この本能的な欲求が十分に満たされていれば

子どもの好奇心は多方面に向かって伸びて

探求心が深まり

知的にもどんどん発達していきます。


ところが、


「愛されたい」という本能的な部分が満たされない状態では

「愛される」ために何をすればいいか、

という言動が優先されるので


妹弟をいじめてみたり、

お友達に意地悪をしたり、

わざと拗ねたりへそを曲げたりして

親からの愛情確認に

一生懸命にならざるを得ないのです。


これでは


常に

「親からの愛」の確認に心が奪われてしまっているので

知的好奇心が多方面に向く余裕などありませんね。


まずは、


親の愛を

スキンシップと言葉がけによって

十分に伝えてあげることです。


「以心伝心」ではありません。


きちんと皮膚を密着させて

言葉で伝えないと

伝わりません。


うちの教室の0歳児、1歳児クラスには

マッサージの時間があります。


「こんなことなら家でできるのに、なぜわざわざレッスン中にするの?
それよりも、もっとカードを見せてほしい」

と内心思っている方もいるかもしれません。


なぜ、レッスンに組み込んでいるのか?

といえば、

それは

「心の子育て」の根幹だからです。


ですから、

もじを読む、書く、計算ができる・・・など、

いわゆる知的な発達ばかりをのばすことに躍起になっても上手くいかず、

親子、母子、きょうだい、お友達トラブルが増える、

ということがおわかりいただけると思います。


そもそも「心育て」を考えていないからですよ。


それでもいいから、と言って

子どもの心を置き去りにして

知育にばかり取り組ませると

どうなるでしょうか?


「取り組みは楽しくない」→「お勉強は嫌い」→

「学ぶことが苦手」な子どもにしてしまいます。


世の中で一般に「早期教育」が批判されるのは

この点を解釈されてのことだと思います。


子どもの心を育てることを第一目標にし、

お母さんと子の心が一体であってこそ、

幼児期の知育の取り組みは意味があると考えます。


私は

「お母さん大好き」→「お母さんと学ぶのが楽しい」→

「お母さんに褒めてもらえるからもっと学びたい」→

「学ぶことが得意」という子どもを育てています。


お勉強はできるけど、困っているお友達に気づかない小学生、

泣いているお友達に「どうしたの?」と声をかけられない小学生。

「ごめんなさい」は口先だけ。

自分さえ良ければいい、

今だけ良ければいい、

の価値観は、

大人になってもおそらくそのままだろうから。

今の子どもたちの価値観が次の社会をつくっていくのだから。


そんなことを考えて

日々子どもたちと向き合っています。


いただいたサポートは教室の絵本購入に使わせていただきます。