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私の居場所は、扉の中に【#シロクマ文芸部】

 文芸部の前の廊下を、湊鳴衣めいは行ったり来たりしている。もう三往復目だ。鳴衣は、襟足で一本に結んだ、腰まである真っ直ぐな黒髪に手櫛を通した。大人しい雰囲気の中に、小さな波紋が生じるような、凛々しい眉毛の下の、意思のある黒い瞳。鳴衣は、その二つの瞳の前にノートを掲げた。

 春。海を臨む高台にあるこの高校に辿り着くには、息を切らし自転車を漕ぎ、急勾配の坂を登らなければならない。坂の途中には桜の古木がある。鳴衣は毎朝、他の生徒より早く登校し、この桜の前で一人、祈る。

 「柊吾。私、文芸部入ってみようかって。どう思う?」

 星柊吾は、鳴衣の幼馴染だった。柊吾は、鳴衣よりも少しだけ背が低く、つやのある栗色の髪に、明るい褐色の人懐こく動く瞳をしていた。肌は、少女たちがうらやむほどに、白く透き通っていた。人見知りの鳴衣にとって、柊吾は、心を許せるたった一人の友人だった。

 柊吾は、小学生の時から作文が得意だった。鳴衣はいつも、柊吾の一番の読者として、作文を読んでいた。いつしか柊吾は、教師や親が望む作文ではなく、自分の世界を紡ぐための、物語の執筆に夢中になっていった。

 今思えば、柊吾は、人生に四季があることを、自分が今迎える季節を、他のどんな子供よりも、敏感に感じ取っていたのかもしれない。

 病魔が柊吾を蝕んでいった。柊吾の人生は、秋を終え、少しずつ冬へと向かっていった。病室のビニールのカーテンの中で、それでも柊吾は、物語を紡ぐことを諦めなかった。ペンを握れなくなっても、柊吾は、母親に書き取りを頼んで、口頭で物語を紡ぎ続けた。

 柊吾が旅立った日、柊吾の母親は、鳴衣に柊吾のノートを託した。ノートには、柊吾が、最後の日々に、口頭で綴った物語が書き留められていた。


「柊吾。今日はね、今日こそは。私、放課後に文芸部の部室に行ってみる」


 鳴衣は今朝、桜の古木に祈った。そして、文芸部の前の廊下を、鳴衣は既に三往復している。やっぱり、自分には無理じゃないか。人が怖い。集団が怖い。「みんな」から避けられるのが、怖い。

「おう! 一年生! 君の名は?」

 突然、肩をぽんっと叩かれる。
 
 振り返ると、レイカーズの真っ黄色なユニフォームを制服の上から纏った、ショートボブの女子生徒が笑っていた。三年生だろうか。制服のシャツのボタンはきっちりと閉められ、スカート丈も長めだ。真面目なのか、不真面目なのかわからない。足元は、ナイキのエアジョーダンだ。

「湊鳴衣です」

「湊! 我が部に入部を希望してくれているのか? ありがとう! 私は、坂下杏奈。部長だ!」
「あ、違います。バスケ部入部希望じゃないです」
「何を言ってる? 我が部は文芸部だぞ!」

 杏奈は、わはは、と笑って、鳴衣を無理やり文芸部の部室に押し込んだ。
 鳴衣は、目を見開いた。

「文芸部員って、全員、黒髪眼鏡かと思ってた……」

 文芸部の部室にいたのは、極めて個性的な生徒たちだった。
 
 瀬戸姫香、二年。ギャル。校則に真っ向から歯向かうスタイルの着こなしと、褐色の髪。唇には、銀色のピアスが光る。ピアスの穴は開いているのか、いないのか。鳴衣が頭を下げると、姫香はギャルピースで返してくれた。
 
 大渕淳、二年。K-POPアイドル風男子。こちらも、校則違反のブルーグレーの髪。子犬のように母性本能をくすぐる瞳は、うっすらとしたメイクで強調されている。手元には、川端康成の「雪国」。ギャップに混乱する鳴衣に、アイドル級の笑顔で手を振った。

 夏井健、三年。長い黒髪を、ハーフアップにまとめている。髪型以外は、きっちりと校則を守って制服を纏っている。わずかに口角を上げ、鳴衣に微笑んだ。

 文芸部は、こんなに破天荒な部活だったのか。

 開いた口が塞がらない鳴衣の手元にあったノートに気付いた杏奈は、
「湊! もう作品があるのか! 優秀優秀!」と言って、ノートを鳴衣から奪い取った。

「あっ! 違います! そのノートは!」
「えーと、なになに……?」

 杏奈が、文章を読み上げる。柊吾が最後に書いた、物語の始まりを。

——眼下には、青い青い夏の海が広がる。僕たちは、丘の大きな桜の木の枝に、鳥のように止まって、海の上で爆ぜる花火を見下ろしている。僕は今この瞬間を、この上なく幸せだと感じている。君はどうだろう? 君の横顔をみると、君は

「それ、私が書いたんじゃないです。私の親友が。亡くなる前に」
「そうだったのか。湊。本当にごめん。この通りだ」

 杏奈は、深々と頭を下げた。

「けれど、湊」

 杏奈の眼差しは、真剣だった。

「君が、この物語の続きを書いたらどうだろう? すごくいいだろ? この書き出し」

 鳴衣は、はっとして、杏奈を見つめた。

「どうだ、湊。一緒に、文芸部で頑張ってみないか?」

「サカシタ部長! 同感でーす! 湊ちゃん、文才ありそうだし! ここで一緒に書こうよお!」
 姫香がひらひらと手を振る。

「湊ちゃん、川端康成、好き? 俺はね、やっぱ雪国がね……」
 大渕の子犬のような瞳が、くるくると動く。

「こら大渕、湊が困っているだろう。お前の趣味を安易に押し付けるな」
 夏井が、大渕をつつく。

「どうだろう。湊。入部を考えてはくれないか?」
 杏奈が腰を折り、右手を差し出した。

「はい。やります。文芸部、入部します」
 自分が気づくよりも早く、鳴衣は声を張り、杏奈の手を両手で包んだ。

——柊吾。私、ここでなら、やっていけるかもしれない。ここが、私の居場所になるかもしれない。

一陣の春風が、窓に向かって吹き抜けていく。
鳴衣は、柊吾を感じた。
見えなくても、いつも見守ってくれている、柊吾の気配を。

『鳴衣』
『がんばれ』


<終>


今週も、小牧幸助様の下記企画に参加させていただきます。
小牧幸助様、シロクマ文芸部部長、今週も発表の機会を頂き、ありがとうございます。

その昔通っていた高校には文芸部がありませんでした。
今思えば、文芸部を設立してしまえばよかったなと。

自分の居場所がないと感じている少女、鳴衣と、鳴衣の親友、柊吾の完成しなかったストーリー。鳴衣は、柊吾の物語を受け継ぐことを決めます。
個性派ぞろいの文芸部で、鳴衣はついに自分の居場所を見つけたようです。

居場所って、尊くて大切なものですね。

お読みくださり、ありがとうございました。

#シロクマ文芸部

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