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【シリーズ小説】城久間高校文芸部 活動日誌 卯月 其の二

 鳴衣は、小説の頁を捲った。
 
 視界が、ぶわっと、本の世界に切り替わる。鳴衣は、想像の翼をはためかせ、主人公の傍に降り立った。世界が、手に取るように、見える。聞こえる。上を見ると、出口がない。据えた匂い、悲鳴と怒号。奴隷としての、囚われの身。突如、獣の鳴き声が聞こえた。襲撃。そして、病の蔓延。生き残った主人公。巡って来た解放の好機と、幼子との出会い。それから……。

「……くんか?」
「君が、湊くんか?」

 はっとして、本から顔を上げた。現代文の教師の、早矢仕はやし総一郎が、鳴衣と一緒に、本を覗き込んでいた。早矢仕は、一年を担当している。

「随分集中していたようだね。願わくは、現代文の文法の授業でも、こうあってくれればいいのだが」

 鳴衣は慌てた。

「すみません。私、本を開くと、つい、世界に入り込んでしまって……」
「ある意味、それが君の才能かもしれないな。文芸部期待の新人ってわけさ」

 早矢仕は顎を左手で撫でながら、目元だけで笑った。年齢は、三十代後半といったところか。くっきりとした二重瞼の下の瞳の感情が、読めない。

「上橋菜穂子の『鹿の王』か。いい本を選んだな」
「親友が、教えてくれたので」
「そうか。申し遅れたけれど、僕は、文芸部の顧問をしている。部員全員分のパソコンを調達したのも、僕だ。最も、誰も聞いちゃいないが」

 早矢仕は苦笑した。鳴衣が教室を見渡すと、部員達は全員、パソコンから顔も上げずに、各々の世界に入り込んでいた。相変わらず、独り言が教室に響く。

「これでいいんだ。部員が、心置きなく部活動に専念できる環境を作るのが、顧問の僕の役割だからね」

 鳴衣が頷くと、早矢仕は少し小声で語り始めた。

「どうせ、皆ちっとも聞いていないし、ちょっと、各部員について解説をしようか。まずは二年の二人、瀬戸と大渕」

 早矢仕は、腕組みをした。わずかに微笑んだように見える。

「瀬戸はね、ああ見えて、古文のスペシャリストなんだ。慣用句の暗記量は膨大だし、大抵の文章は、元の書体で、原文のまま読み下せる。『源氏物語』、『平家物語』、『枕草子』なんかは、もう通しで十回以上は読んでいるだろうな」

「大渕は、純文学に夢中なんだ。もう聞いているはずだが、川端康成の大ファンでね。そのほかには、芥川、太宰、三島、坂口。チャラチャラしているようで、日本の純文学の基礎を、あいつは誰よりもしっかり押さえている」

「三年の夏井、あの長髪の男は、頑なにドストエフスキーだけを読んでいる。『罪と罰』や、『カラマーゾフの兄弟』に心酔したらしくてね。将来はロシア文学の研究に進みたいようだが、なにせ、この状況だ。苦労しているよ、あいつは」

「最後に、部長の坂下。あいつは、ミステリに魅入られた人間さ。クラシカルな作家でいうと、江戸川乱歩や松本清張、現代作家では、ご存じ東野圭吾や辻村深月の虜だな。ほら、バスケットボールをいじっているだろう? あれは、いいトリックや謎解きを思いついた時の癖なんだ。作品になるのが楽しみだな」

 早矢仕は、感情の読めないその瞳を、ゆっくりと左右に動かし、教室全体を見渡した。全員が何かしらの校則違反をしているのに、正そうとする気配は全くない。破天荒な部員達を抱え、この状況を楽しんでいるようだった。

「君、創作の経験は?」
「まだ、書いたことがありません」
「そうか。第一作目、楽しみにしているよ。さっき、『世界に入り込んでしまう』と言っていたね。そんな風に、物語を鳥の目で見降ろしながら、書いてみるといい。きっと、いいファンタジー作家になれる」

 早矢仕は頷くと、静かに教室を後にした。

 鳴衣は、再び頁を捲った。

 急激に、『鹿の王』の世界に、入り込んでいく。ストーリーは、結末に向かって動き始めてしまった。始まった物語は、いつか必ず終わる。それがたまらなく切ない。

 主人公と一緒に旅をしながら、鳴衣は、まるで柊吾に手を引かれているような、不思議な感覚を味わっていた。この物語は、柊吾が通った道なのだ。いつか、柊吾の物語の続きを書けるまで、存分に体力を養っておこう。

 「大人しい子」として一括りにされていた鳴衣の瞳は、決意に燃えていた。

<次回に続く>

*参考文献:鹿の王 上橋菜穂子著 

*前回のお話はこちら

文芸部顧問、早矢仕が登場しますが、その私生活は謎に包まれています。早矢仕が明かした、部員たちそれぞれのカラー。これから、どんな展開が待ち受けているのでしょうか。作者の私もワクワクドキドキしております!
是非今後もお付き合い下さい!

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