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愛犬家 ヒトラー

 ナチス高官の多くが動物好きであったことはよく知られています。あのナチスNo.2だったゲーリングにいたっては、百獣の王ライオンに憧れて、ライオンの赤ちゃんをベルリン動物園から借りてきては来客に見せびらかし、大きくなりすぎたために、再びベルリン動物園に戻すという無責任な動物愛護っぷりでした。

 ヒトラーは正真正銘の愛犬家として有名でした。彼の愛犬の名前はブロンディ、メスのジャーマン・シェパードです。側近からのプレゼントだったそうで、よく躾けられた賢いブロンディを、ヒトラーはどこへ行くのにも連れて行きました。ベルリンの総統本部にも、オーバーザルツブルグの山荘にも、ドイツ国防軍司令部参謀本部があった東プロイセンのヴォルフスシャンツェにも、そして最後の時を過ごした地下壕にも。ヒトラーの秘書トラウドル・ユンゲ氏が後に書いた回想録を読みますと、ヒトラーがいかにブロンディを愛し、一緒に遊ぶ時間を大切にしていたかがわかります(恋人のエヴァは嫌っていたようですが)。

 また、ヒトラー専属カメラマンだったハインリヒ・ホフマン(この人もバリバリのナチ)は回想録に、「ヒトラーは大衆心理を巧みに操るセルフプロデュースに長けており、ブロンディとの撮影もそのひとつだった」と書き残しています。つまり、愛犬との写真が人間的な総統を演出し、国民にポジティブな印象を与える効果があることをヒトラーは知っていたのです。実際に最も人気の高いヒトラーのプロマイドは、ブロンディと一緒のモチーフでした。

 余談ですが、ヒトラーの秘書だった女性も、この専属カメラマンも、電話交換手も、戦後は一貫して「ユダヤ人絶滅収容所のことは知らなかった」「与えられた仕事をしていただけ」と口を揃えて言っていたのに、ヒトラーの最も身近にいた人物として回想録を書けばベストセラーとなり、結構な印税収入を得たようです。秘書の回想録は映画化もされましたから、相当な原作使用料も得たことでしょう。その側近中の側近が、アウシュヴィッツを知らなかったって?

 話を戻します。当時、ドイツの映画館では、映画二本立てが多く、その間にナチス政府制作のプロパガンダニュース『Deutsche Wochenschau (ドイツ週間ニュース)』が上映されていました。そこに登場するプライベートな時間を楽しむヒトラーは、常にブロンディを連れてリラックスしており、観客はほのぼのと癒されたといいます。何の罪もない忠実なブロンディが、ナチスのプロパガンダに一役買っていたことになるのは気の毒ですね。

 1945年4月30日、ベルリンが赤軍に占領されると、ナチス高官たちと地下壕にいたヒトラーは、担当医にブロンディ毒殺を命じます。ブロンディの死を見届けたヒトラーは、新妻エヴァ・ブラウンと共に服毒・ピストルによって自ら命を絶ち、遺体は遺言通り側近によって焼かれました。

 戦後、多くのナチス映画、演劇、風刺画にブロンディが登場してきました。中にはブロンディが主人公になって、ヒトラーと側近たちを冷めた目で見つめている「吾輩は猫である」のパクリのような小説もあります。

 ヒトラーが愛犬家で子供好き、ワグナーと美術を愛し、ベジタリアンで嫌煙家であったからと言って、極悪非道なファシストであったことには変わりありません。

 ところで、ブーヘンヴァルトなどの強制収容所の近くには、ナチス親衛隊とその家族のために小さな動物園が併設されていました。資金は「囚人たちからの寄付金」、つまり被収容者からの強奪金でした。週末や昼休みには、隊員たちもサル、ヒグマ、シカ、ウサギなどを見て楽しんでいたそうです。被収容者を虐待、拷問、殺害することは許されても、動物園の動物を虐待すれば厳しく処罰されました。



オーバーザルツブルグの山荘でのヒトラーと愛犬ブロンディ

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