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アート(SJ)

小さい頃を思い返すと、家族が寝静まってから、
詩というか、言葉を綴る時間が好きだった。

学校ではあらゆることに成績を付けられ
競争に晒されていることを見て違和感を覚えた。
細かくは覚えていないが、人にはどこかに得意なこと(才能)があり、
「みんな、それぞれ一等賞」みたいなことをノートに書いていた。

過去を振り返って、こうして文章に書くのは少しこそばゆいが、
幼い自分なりに違和感に対する答えというか、
競争社会に対して納得感を持とうとしていたのだろう。

当時の語彙力の問題もあるが、つまりは個性を尊重することが
大事であり、限られた科目にだけ目を向け競争することを強いられ
本来自分たちが持っている得意分野を伸ばすことを学校教育が
止めてしまうのでは、という違和感を感じていたんだと思う。


それもいつの間にか忘れ、気付けば競争社会にどっぷり身を投じていた。
学内偏差値競争、受験競争、就職活動と、目指すものは変われど
常に周りの学生を競争相手と認識して行動して来たのだと思う。

大学は目指すならトップと、東大を目指したが、高二の終わり頃には
早々に燃え尽きた。
立花隆の本等を読んで、教養学部で勉強する姿を想像し、
大学進学のモチベーションを上げようとしたが、なかなか上がり切らず、
結果は不合格。
受験勉強には飽きていたので、浪人はせず、
併願で面白そうと思っていた国際系の大学に入学した。
在学中は留学を経て語学力を身に付けた。リーダー経験も積んだ。
就職活動では、都内の学生を意識して都内就活イベント等に顔を出して
レベル感を確認し、大手企業を中心に受けた。
結果、大手商社に内定をもらい、入社を決めた。
親や親戚も、ここなら納得してくれるだろう、そして
自分の株が上がるだろう、なんて不純な思いもあった。

就活においては、会社選びの軸という言葉を当時は使っていたが、
私にとっての軸は自分が成長できる環境、海外の人たちと
一緒に仕事をする経験を積める場所であること、というものだった。
留学を経て自分の世界が狭いことが分かったので、それを拡げたかった。

入社して以来、がむしゃらに働くなかで、壁にぶつかった時もあった。
いつでも辞めてやると割り切った時期もあった。
それでも必死に働き続けた。
大学時代に商社内定者繋がりで出会った仲間は気付けば、
どんどん商社を離れていき、会社同期も徐々に減っていった。
やりたいことを見つけて転職した人もいれば、
組織に不満を持って転職した人もいた。

気付けば社会人10年目を過ぎた。仕事はそこそこ良いポジションにおり
社内評価も悪くない。だが、今まで身を置いてきた競争社会に変化が
起きていることに薄々気づき始めているのも事実。


就活をしていた頃、会社に入るにあたって、なぜ自分は仕事をするか、
という問いにぶつかったことを思い出す。その際に出した答えは、
社会に求められる「歯車」になるというものだった。
そこには、小さいころにあった「みんな一等賞」を押し殺した先にある
ある種の諦めがあり、会社のために、自らの同質化を求める組織に
自ら身を投じることを無理矢理に正当化し、むしろそうあるべきと
勝手に納得させるものだった。

しかし、そこには、個性が完全に置き去りになってしまった。

会社に求められる歯車になることばかりに一生懸命になって
余計なでっぱりは削り落とし、足りないところは必至に
埋めようと形を変えていった。うまく他の歯車と噛み合っていることに
心地よさ、安心感を得ていた。

歯車になれっこない、なりたくない、そんな人は会社から出て行った。
個性が強い人、自分を持っている人、他にやりたいことが見つかった人。
頑張って歯車になって回転数を上げようとしたけど、摩擦が強くて
見切りを付けた人もいた。

自分はなりたかったのは、果たして歯車だったんだろうか。
それも代替が出来る、どこにでもある歯車に。
入社当時から比べたらちょっと大きい歯車になったかもしれない。
でも、その過程で削ぎ落とされたものってなんだっただろうか。
もう充分に思い出せない。ほとんど原型が分からない。


歯車が歯車として生涯現役でいられるなら
まだ良かったかもしれない。でもこれからは違う。

至る所で既に置き換えが始まっている。

使いやすさ、ハマりの良さが売りだった歯車が
真っ先に代替されていく。

真似されやすいシンプルな歯車ほど真っ先に必要とされなくなる、
構造からごっそりと置き換えられていく。その認識を持たなければ。


歯車レースには将来性が無いと薄々は気付いていた。
これからはどうすれば良いのだろう。

少なくとも自分が周りにピッタリと合わせる
歯車であることは止めることだ。それをまずは決める。

自分は工業用部品ではない。自分はアートになるんだと。

一度ぐちゃぐちゃに丸めてみる。
そして、そこから少しずつ自分の手でこね上げながら
独創的な形にしていく。唯一無二の作品に。

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