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決断の根拠

 私は今まで何を根拠に決断してきたんだろう。

朝ごはん何食べようかな~という小さな決断もあれば、離婚しよう!会社辞めよう!なんていう自分としては大きな決断もあったり。。

アタシって日々何を根拠に決断してるんだろう。

左脳的なアタシ

 ふだんのアタシは左脳をフル活動して、ロジカルに定量的に考えていることが多い。
基本、

◆気分 < 効率

もっともらしい根拠を作って決断している時はルーティン含めてカンタンな決断、予測含めて経験値が効くモノゴトであることが多い。

◆左脳的に決める→実行に移す

このプロセスがふつうに発動できる時は時間・気持ち・お金。。など自分のリソースに余裕がある時。
=自分を自分の左脳配下に置けている時だ。

一見、右脳的直感を優先して決断しているように見える時も、「それでいいよ~」という左脳的なアタシが上からOK出してる感覚。

右脳的なアタシ

 いくらロジカルに答えやゴールを導き出したとしても気分が乗らない、しっくりこない、なんかモヤモヤする。。

そういう時は重大な決断をする時や追い詰められている時で、右脳的アタシが「こんにちわ~」ってアラート挙げてくる。

理屈で考えすぎて、感情や本能を置き去りにし過ぎてる時は、無意識にいる自分が違和感を訴えてくる。

顕在化した意識ではロジカルに考えて納得解を得たつもりなのに。。

こういうときは厄介だ。。

でもこれは重要なサインでもあるので、スルーしないように、じ~っと解像度をあげようと試みる。

左脳的に追い詰めるんじゃなくて、そっと寄り添うイメージで。

アタシの正体

 結局意識的に考えてる左脳的自分も、無意識の直感を信じる右脳的自分もどっちもアタシ。

そもそも人間の決断の根拠を分解してみると、

動物としての本能

+(プラス)人間としての本能

+人間としての理

+社会における既成概念

+時代の雰囲気

+置かれてる場&立場

+自分の意志(と思われるもの)

+そのときのなんとなくな気分。。

とかとかとか。。

さまざまな要素が複合的に絡み合って「なんとなくそれらしき答え」を決めているように思う。

多くのひとは人生をより充実したものにするために、「本当にやりたいこと」や「本当の私」なんかを探す訳で、50年も生きてきたアタシもそれなりに決断の根拠を積み上げてきたと思ってた。

けど。。。自分のアタマで考えてちゃんと決断しているように見えて、実は無意識に毛穴から吸収しちゃってる「時代の雰囲気」に大きく左右されてるに過ぎないのかもな~と最近つくづく思うんだよね。

時代の雰囲気

 私は日本の高度成長期の終わりに生まれた「ビバ!資本主義世代」。

当時の日本のGDPはアメリカに次いで2位、戦後復興期から急速な高度成長期を経て、ジュリアナ(昔流行ったディスコね)でセンスを振り回す直前でバブルは崩壊。

別にどうしてもセンスと腰を振りたかった訳でもなく、なんとなくな時代の雰囲気。

きっと第二次世界大戦中のドイツに生まれていたら、右手を掲げて「ハイルヒットラー」と毎日叫んでいただろうし、今の北朝鮮に生まれていたら、自ら喜び組に志願していた気もする。

自分の意志と思い込んでるコトって本当にそうなのかしら。。

たまたま生まれた時代に是とされる既成概念やお作法に則って、愛と評価を求めているに過ぎないのかも。

昨日は魚座の満月

浄化自己受容をもたらす(と言われている)日。

不確かな根拠だけど、まんまるに光り輝くお月さまを眺めながら、なんとなくそんな空気感も肌で感じた。

決断の根拠って意外に曖昧だし、複合技。
人生50年が過ぎた今、闇夜にひっそり隠れていた自分の曖昧な感覚に、残りの人生の決断を任せてみることにした。






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