#37 現実との乖離ととるかどうか【ゴジラ-1.0】

 この脚本をかけるのもすごいが。

 浜辺美波、山田裕貴と僕が好きな俳優も多数出演、全米の邦画興行収入1位にもなった話題作、「ゴジラ-1.0」を見に行ってきた。正直ゴジラのことは詳しくしらないので、これを書くにあたってnoteの感想をいくつかみてみたが、どうやらゴジラにはしっかりとした設定がいろいろとあるようで、シンゴジラ(みてない)とかと比較してどうとかも述べられていた。大方の意見とずれるかもしれないが僕はこの作品に限った話をしたいと思う。

 舞台が戦後の日本。主人公敷島は生きていた特攻隊のうちのひとり。不時着所で初めてゴジラとであってしまう。戦争から帰還して、典子や孤児である明子、また戦後処理を行う船の仲間と出会う。戦後焦土と化した日本という表現がされていたが、ゴジラが東京を襲うシーンなどは絶望という言葉をこれでもかと見せつけるほど衝撃が走るものだった。生き残った人々がどのようにしてゴジラを倒すか、そして敷島が抱えていた思いがセリフに垣間見えるところ、最後橘から爆弾の安全装置のあと無音になるところなど、、これという語られるべきシーンはたくさんあるのだが、現実に非現実がまざっているという非現実的衝撃にただ茫然と(何かを思うとかではないということ)スクリーンをみていた。

 「生きて、抗え。」という言葉にやはり意味があるように思う。ゴジラは生物であり、このような悲劇が起きることはほぼほぼないだろうが、災害などで人々が混乱に陥るということは今までもあったしこれからもあるかもしれない。そのようなときに、自分がどのような気持ちでいるか。自分ならどうするか、少し考えた。


 現実との乖離を描きながらも、どこか現実と共通点を持ちうる事象。ゴジラという有名性を無視しても、何か考えることにはつながった作品だった。

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