Rj.Chiba

江戸〜昭和の仙台を徘徊しています。

Rj.Chiba

江戸〜昭和の仙台を徘徊しています。

マガジン

  • 仙台と戦争

    伊達政宗以来の城下町として栄え、日中戦争・太平洋戦争時には「軍都仙台」と呼ばれた仙台の戦争についてです。

最近の記事

満洲に渡った青少年たち

*普段は仙台のことを書いているのですが、しばらく前に茨城県を訪れる機会があったので、その際に訪問した場所について書こうと思います。 茨城県水戸市内原。 水戸駅から電車で25分、バスに乗り換えて20分の場所に、小さな資料館があります。 内原郷土史義勇軍資料館。 日中戦争、太平洋戦争のなか進められた国策「満蒙開拓」の一翼を担った「青少年義勇軍」の訓練所があった場所です。 青少年義勇軍 内原訓練所 青少年義勇軍は16から19歳の男子で構成され、数ヶ月の訓練を受けたのちに満洲各

    • 「7月10日は灰の町」仙台空襲78年

      太平洋戦争での日本の敗戦が色濃くなってきた1945年7月。東北最大の都市、仙台市の中心部は123機の戦略爆撃機B-29による空襲により、灰の町と化しました。 それから78年。仙台の近代史と空襲の被害を振り返ります。 *本記事は、「『7月10日は灰の町』仙台空襲と戦争中のこと」(石澤友隆、河北新報出版センター、2008)、石澤氏のインタビュー(tbc東北放送、2022年11月放送)、仙台市史等をもとに作成したものです。 *戦後復興については別の記事で簡単に紹介しています。

      • 就活を終えて(これまでとこれから)

        大学生活・院生生活も通算6年目に入りましたが、この6月に民間企業から内々定を頂きました。 仙台を中心として過ごした5年余りの経験・考えをベースに決めた将来のこと。 それらを忘れてしまうことはないと思いますが、改めて、ここに書いてみようと思います。 就職先大手IT企業の技術職で採用となりました。 仙台に住みつつお仕事をすることも可とのことです。 学部1-2年の経験・想い私は宮城県外の出身ですが、大学進学を機に父方の家があった仙台にきました。 大学では理学系の学部に所属し、当

        • 消えゆく記録

          昨年2021年5月末に、宮城県庁の某部署に対して行政文書の開示を行い、170余枚の公文書の写しを頂いた。 50年以上前に作成された膨大な文書。1年ほどかけて目を通し終わったので、一連の出来事の中で感じたことをここにまとめておきたい。 話すことは大いにあるが、今回は公文書をはじめとした史料管理にまつわる課題を主眼において述べたいと思う。 開示した文書私が開示したのは「満蒙開拓団実態調査票」と呼ばれる行政文書。 満蒙開拓は日中戦争以前に国策化された、日本人を村単位で満州に送っ

        満洲に渡った青少年たち

        マガジン

        • 仙台と戦争
          2本

        記事

          仙台の歴史を歩きたい!(仙台城址~仙台駅)

          仙台って、歴史的な建物・街並みがほとんど残っていないんですよね。 でも、伊達政宗が開いた仙台城下の歴史を感じながら歩きたい! そんなことを思って、冊子を作りました。 タイトルは「戦中戦後の仙臺を歩く〜仙臺と歴史の道標〜」。 仙台城址から大町を経由して仙台駅前までを歩くことを想定した構成になっています。 地下鉄東西線で川内(もしくは国際センター)で下車して、少し歩いて仙台城址からスタートです。 先日(2023年3月31日)、一年ぶりに伊達政宗騎馬像が帰ってきたのもア

          仙台の歴史を歩きたい!(仙台城址~仙台駅)

          宮沢根白石線@舟丁・南鍛冶町('23 03/23)

          今日開通した、宮沢根白石線(南鍛冶町・舟丁工区)を見に行ってきました。 区間は連坊駅西側〜河原町駅までの約1km。これまではJR東北本線によって隔てられており、仙台駅東口エリア(連坊・新寺など)と長町を移動するためには仙台駅西口 - 五橋 - 昭和市電通 (もしくは越路) という遠回りをする必要がありました。 今回の開通によって、仙台駅東駅エリアと長町エリアの車による行き来がしやすくなりそうです。 開通後の通行形態については仙台市建設局からお知らせが出ています。 特に歩行

          宮沢根白石線@舟丁・南鍛冶町('23 03/23)