おいとねーねー_へっだ

【恋のお話】「オイ」と「ネーネー」

昼間風邪で寝てたおかげで夜眠れないので、また思いつくまま書いて行こうかなと思う。

今回の記事は、エッセイとして自分だけで勝手に結論を出してしまいたくないようなヤツなんで、あったこと思ったことをなるべくそのまま覚え書きみたいに書いていこうと思う。長いですが読みやすく書けてると思います。

もしかして、作品に昇華させるかもしれないエピソードなので、有料にしておきます。使うことになったら削除対応するとも思うんで、以上の点をご理解頂けるかたのみ購入をお願いします。消す場合はなんらかのサービス記事に差し替えます。
※12月26日追記、記事が結構売れてしまったので、おまけでイラストと簡単に思う事なんかを追加しました。サポートまでありがとうございます。収益金は、作画資料か何かを買おうかなぁって思う。使う時になったらまたご報告しますね、ほんとうにありがとうございます、頑張れます。

前回「博多人形の博子ちゃん」で語ったように、わたしは幼少期、特に激しく拗らせていた。普通の子どもよりおかしなぐらい悩み深く、男子どものわたしへの扱いの雑さに悩む途中、男の子の仕組みなんかもなんとなく理解して行ったように思う。

今もそうですが、子どもの頃からヘンなとこが鈍く、ヘンなとこが鋭く、そういう子どもだったというのも手伝って、大変マセていた。TVの洋画なんかでたまに映るキスシーンの意味もなんとなく理解していた。つまりこういうのは好き同士の大人がすることなのだろうと。まぁ子どもらしい誤解もしてたけど。

男の子はみんな顔が綺麗な女の子に恋をするのだ、と。冷遇の意味がわかって泣いたりした。そうか、わたしはヘンな顔だから。そうか、そうだよねと。コンプレックスが、判断能力を鈍らせた。

わたしは、小さな頃、すごく珍しいような遺伝病で、ずっと検査入院していた。当時は、研究がまだ全然追いついてなくて、わたしの血を使って、研究させて欲しい。というような感じだった。小児病棟の6人部屋。わたしだけ全ての嗜好品を禁止された。


クリスマスにはみんなカップケーキを振舞われてるのに、わたしには一切れのお菓子もない。盛大にいじけて、すっかりひねくれてしまった。理不尽だな。と悔しかった。

毎日(くだらねぇなぁ…)と小学一年にして生きるのがもうめんどくさかった。毎日毎日当然のごとく血を抜かれて、特に礼も言われない。

入院途中、カタチだけの入学式だけ出席して、また戻るようなことをしたので、一回もまともに話した事のないニセモノのクラスメイトから、ある日、大量の千羽鶴と汚い紙切れが届いた。手紙だった。

「早く良くなってね」だの「遊ぼうね」だの心にもないような言葉を大人の差し金で書かされたようで、こんなゴミを送ってくるなよ。と、壁に叩きつけて、看護士どもに怒られた。「片付けなさい」と。

知るか。と心の中吐き捨てた。看護士は信用してなかった。

遺伝病なのでわたしの姉ちゃんも一応同じ病気で入院してて、ベッドが近かった。結局姉ちゃんがあーあ。と全部拾ってくれた。拾いながら読んだみたいで「ほら、まみ、見て見て、男の子から、『早く一緒に遊ぼう』って書いてある手紙もあるよ」「『まみちゃんへ』だって」とニヤニヤされてしまった。他の手紙は全部「植木さんへ」だった。

こんな魂の抜け切ったような手紙で、何を…。「ああくだらない!姉ちゃんはほんとムシンケーってヤツだな!」とか言いつつ、あとでこっそりその手紙だけ拾ってしまった。幼少期、とにかくモテなかったので、嘘でも嬉しかった覚えがある。誰もいない時に眺めては、顔を赤らめていた。

割とわかりやすかったように思う(※今も)

そんなこんなで、ある日のことだった。ベッドの下に潜って遊んでてふと気づいた。大部屋を仕切ってるのは壁ではなく、パーテーション。ついたて状の板だということ。つまり下の方に30cmほどの隙間が空いていた。

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