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消えゆくものたち

僕はかつてライトノベルの富士見ファンタジア文庫が好きだった。そこに並んだ「卵王子カイルロッドの苦難」や「魔術士オーフェンはぐれ旅」や「必殺お捜し人」を夢中で読んだものだ。本当に懐かしい。ビデオゲームだとゲームボーイやファミコンを熱心にやりこんだ。「カエルの為に鐘は鳴る」や「バナナン王子の大冒険」を必死になってプレイしたものである。

それらの大半はいまは消え去って二度と遊べない。いや、「魔術士オーフェンはぐれ旅」は新装版がしばらく前に出たし、ニンテンドー3DS用のバーチャルコンソールなら「カエルの為に鐘は鳴る」も遊べる。それは分かっている。でも「卵王子カイルロッドの苦難」や「必殺お捜し人」は現在は紙の本は絶版だし、「バナナン王子の大冒険」も今のところバーチャルコンソールにはない。

もしも僕に十歳の子供がいて彼・彼女に自分と同じ体験をしてもらおうとしても、それは難しいだろう。少なくとも手軽な手段にはならないのは確かだ。そして、こういう思いをしたことがある人はおそらく世の中に多いのではないかと僕は疑っている。それは文化の継承という意味では大きな損失ではないだろうか?

無論、僕は企業側が負担するコストや利益というものをまったく考えずにこういうことを言っている。実現不可能な馬鹿げたことを言っているのかもしれない。でも少なくとも一部の娯楽では「自分が子供のころに体験したことを自分の子供にも味わわせる」ことができている。これからも数十年のあいだは映画「フォレスト・ガンプ」や絵本「はらぺこあおむし」、あるいはビートルズの音楽はなかなか入手不可能になりそうにない。これらの作品は幸運というべきだろう。

親が子供に芸術作品を与える、そしてその楽しみ方を教えるというのは本来人間に与えられるべき大きな喜びのはずだ。一部とは言え、それが消えつつあるのは残念なことだと僕は思う。もっとも僕にはそれを施すべき子供もいなければ伴侶もいないので、ほとんど無関係なのだけれど。ただ、最近若い人と接する機会があったので、このようなことを思った。