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#84 大人になるとなぜ友達ができづらいのか?

 大学は滋賀県の大学に通っていた、高校からの友人は京都大学に通っていて、たまに語り合う中だった。いつも集まるのは京大の近くの8畳1間の小さな下宿。モテない理系男子だった自分たちは彼女の話をするわけでもなく、政治や経済、科学や宇宙など決して答えがない不毛な議論を永遠としていた。

 それでもその会話が尽きることはなく、夜8時や9時から話し始めて、朝が明けるまで話していたこともあった。眠い目をこすり、授業もさぼりかえって寝る。何も議論で生まれることはないけど、語りあった後は不思議な万能感に包まれていた。

ただ、お互いの進路が決まると自然と会うことが少なくなった。私は自動車会社への就職が決まり、彼は大学院に進学することになった。

自由に語り合うには何者でもない自分の立場が必要だったんだと気づく。大学を卒業してからしばらくは高校生の同窓会があったが、○○会社の○○部署で○○の仕事をしているとか、○○と結婚して、○○才の子供がいるなど、だんだんみんな社会の中で自分のポジションを築いていって、それと同時にだんだんと同窓会の参加人数が減って自然消滅した。

高校や大学生など、自分のポジションが定まっていないときは積極的に周りとつながって、何者かになろうと必死になるが、自分のポジションが決まってくるとそのポジションをいかに維持するか?そしてそのポジションをいかに上げていくか?に注力してしまう。そんな利己的な自分がいることに気づいた。その当時は本当の親友だと思っていたのだから何か申し訳ない気分になった。

久しぶりにその友達に連絡を取った。そう遠くない場所に住んでいるので、一緒に飲まないか?と誘ってみると、あっさり快諾してくれた。社会人も長く、何者かになっていると勘違いしている自分のカッコ悪い鎧を脱ぎ捨てて何者でもない自分であろうと思った。お互いの仕事や家庭のことは話すが、彼も私もそれを自慢するわけでもなく、解決するわけでもなく、ただ永遠とその話題に対する見解を議論していた。

昔と同じように結論は出ることはなかったけれど、同じような雰囲気を味わえてそれはそれでうれしかった。そして何より会わない期間が長かったのに彼が本当の友達でいてくれたことへの感謝の気持ちが大きかった。

大人になること=自分のポジションがあること、だと思うのだが、大人になっても友達でい続けるには何者でもない自分で相手に接することが大事だと思う。

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