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膝太郎とクマ|短編小説

むかしむかし、あるところに膝太郎という少年がいました。
膝太郎は膝か強靭な男の子で、険しい山道を登ったり、遠い遠い街まで歩き続けることができる少年でした。
そんな子ですから、おっとさんやおっかさんと出かけた時には、「離れちゃいけないよ」ときつく言いつけられていたのです。

ですが、おっかさんがふと目を離した隙に隣町の団子屋にいたり。
山を歩き回っていたりと。
とてもとても元気な子で、おっとさんとおっかさんを悩ませているのでした。

ある日。
膝太郎の街にあるお触れが出ました。
「山の中に大きなクマが出た。注意するように」
膝太郎がおっとさんに聞きました。
「おっとさん、クマってなあに」
「大きくて、強くて、怖い獣だよ。いいかい、膝太郎。しばらくは山の中に入ってはいけないよ」
膝太郎はうん、と答えなからこう思いました。

(クマってどんな生き物なんだろう?)



大きいってどれくらい大きいんだろう。
「くすのき」ぐらい大きいのかな?

強いってどれくらい強いんだろう。
おっとさんより強いのかな?

怖いってどれくらい怖いんだろう。
おばけよりも怖いのかな?


膝太郎は毎日毎日、来る日もくる日も「クマ」という生き物について考えました。
色・形・大きさ・重さ…。
想像すれば想像するほど、怖いような。
けれど、なんだかワクワクするような気持ちになってきたのです。




膝太郎はある日、おっかさんと市場に買い物に来ました。たくさんの人が市場で買い物をしています。
今日は、舶来物の商人が行商しているらしく、大賑わいでした。
膝太郎は見たことがない美しい壺や、お人形、カラクリ細工を見て大興奮です。
「おっかさん、綺麗だね」
「そうだね、綺麗だね」
そんな会話をしているところでした。



「クマだ! クマが出たぞう!」
大きな声で大人たちが怒鳴りながら、街に駆け込んで来たのです。

「クマだ! 逃げろ! 山から降りてくる!」

おっかさんは慌てて膝太郎の手を握って走り出しました。
今日の市場は人通りが多かったせいかもしれません。
もしくは、膝太郎の心の中に、好奇心があったからかもしれません。



おっかさんと繋いだ手は、いつのまにか離されていました。
膝太郎は一人、人気がなくなった町の中に取り残されたのです。

「坊主ー!! こっちけえ! こっちけえ!!」
「危ないからこっちおいでえ!」

いろんな大人の声が聞こえます。
しかし膝太郎は、どこかぼんやりとしていました。

(クマってどんな生き物なんだろう…)


膝太郎はふと、町の大通りに目を向けました。
建物の中で、大人たちが震えています。
大きな声で自分を呼ぶ声が聞こえます。

だけど、膝太郎の心はしんと静かでした。

(クマって、なんで怖いんだっけ? 大人はなんであんなに怖がっているんだろう)


グォオオオオオオオオオオン!

その時、大きな音が鳴り響きました。
大きな大きなクマが威嚇するように吠えながら、街中をのしのしと歩いています。

「アナモタズだ…!」

誰かの悲鳴のような声が響きました。


「あの子があぶないよ、一人取り残されて」
「やめろ、下手に刺激すると逆に危ない」
「坊主、いいか。動くな。動くんじゃねぇぞ…」

街中のヒソヒソ声が聞こえてきました。



(…動くと危ないんだ…)

膝太郎はのしのしと歩いてくるクマの方をぼんやりと見て、じっとすることにしました。

クマは想像していた以上に重たいのでしょう。
歩くたびに、のっしのっしという地面に沈み込むような音がしました。

しかし大きさは思っていたより小さいと思いました。
多分自分の身長とあまり変わらないぐらいか、少し大きいくらいだと思いました。

強さは皆目検討がつきませんが、身体中が大きくて、力強そうな体をしています。
お父さんといい勝負をするかもしれません。

膝太郎はそんなことをぼんやりと思いながら、こちらに歩いてくるクマを見るでもなしに見ていました。



そんな時、クマと視線が合いました。
膝太郎はドキリとしました。
クマの目は深く濁っていました。
猛烈な怒りと焦り、何かに飢えているようなどんよりとした濁った目。
その目が、膝太郎をじっと見つめていました。

シュウウウウ…と、熱気を孕んだ息を吐くクマ。

(あ、これがクマなんだ)

膝太郎は心臓を冷たい手で触られたような感じがしました。

(クマが怖いって、こういうことなんだ)

どんよりとした目の中に、自分の姿が写っているのを感じました。そして、クマが何かを考えていることも…。




「膝太郎! 走りなさい!!」

その時、おっかさんの声が響きました。

「走りなさい、膝太郎!」
「おっかさん!」

「あなたの足の速さなら、クマも追いつけないわ。走りなさい、膝太郎。走って!」





クマはググッと下半身に力を入れました。

「膝太郎!」

おっかさんが叫ぶとともに、膝太郎は思い切り駆け出しました。
クマから逃げるのではなく、熊のいる方へ。

「危ない!膝太郎!!」

悲鳴のようなおっかさんの声。
でも膝太郎は足を止めませんでした。

クマは自分の方に向かって走ってくる膝太郎に驚いて、一瞬混乱したかのようでした。
膝太郎はクマのその隙を狙って思い切り走りました。



そのあまりの人並み外れたスピードに、町の人たちはどよめきました。

「は、早い…!」

「時速35キロは出ている…。あれなら、ひょっとすると…」
メガネをかけた賢そうな人が、ぼそりとつぶやきました。

膝太郎はぐんぐんとスピードを上げます。
36キロ、37キロ、38キロ…。
とうとうクマの速度、時速40キロに到達しました。

「膝太郎…っ!」
おっかさんは安心したような、感動したようなそんな声をあげて、走り去っていく膝太郎の背中を見つめていました。



クマは膝太郎を追いかけて踵を返します。
しかし、そこに鋭い銃声が響きました。
ぱっとクマの足から赤いものが散ります。

「マタギだ!」

クマは怒りで唸り、恐怖に叫びました。
そして、怪我をした足をヨタヨタとひこずりながら町の外へと出て行ったのでした。

町の人たちは、ほっとしました。
これで安全だ。
それにしてもあの少年は足が早かった。
あれは天下の逸材だろう。

そんなことを口々に言いながら、帰路へとついたのでした。



人々が通りから去っていく中、おっかさんはいつまでも膝太郎が走っていった方向を見つめていました。

膝太郎は、あっという間に隣町まで行ってしまうような子です。
怪我せず無事に帰ってくるのか。
そもそも、市場に帰ってくるのか、家に帰ってくるのかもわかりません。

おっかさんは膝太郎を探しにいった方がいいのか、市場で待っているのがいいのか、家に帰って待っているのかいいのか。

そんなことを考えて一歩も動けなくなってしまったのです。



「あんた、さっきの子のおっかさんかい」

獣の毛皮を纏った火縄銃を持ったおじさんが声をかけてきました。

「わしゃ、あの熊を追う。おっかさん、ついでに山を探してくるから、あんたはここにおんなさい。迷子が迷子を探しても、二人とも迷うだけじゃ」

マタギのおじさんはそう声をかけると、颯爽と山の方へ走り出しました。

「奥さん、子供はきっと家に帰るはず」

近くの商店のおばさんが、そう声をかけてきました。

「でも…」
「あんた、どこに住んどるん? もしこっちに帰ってきたら知らせるから、おうちに帰ってご飯を作って待ってておやり」

おっかさんはおばさんに礼を言うと、自分の住んでいる家のことを細かに伝えました。
そして、もし帰ってきた時にお腹を空かせていたらいけないからと、その商店でいくつかの商品を買い、おばさんに預けました。





おっかさんは不安な気持ちで家に帰りました。
おっとさんは仕事に出ていて、相談する相手がいません。
ですが、おっかさんは膝太郎が帰ってきた時に、暖かいご飯が食べられるように炊事を始めました。

「きっと帰ってくる、きっと帰ってくる」
おっかさんはそう唱えながら、竈門に火を入れ、米を研いで炊きました。

そんな時、夫さんが帰ってきました。

「ただいま、膝太郎は?」

おっかさんは泣きながらおっとさんに事のしだいを話しました。
おっとさんは「そうか」と答えると、納家から火縄銃を持ち出し、獣の外套を身にまとい、外へ駆け出しました。
おっとさんは、みるみるうちに山の中に姿を消しました。




「膝太郎が見つかったぞー!」

ご飯を全て作り終わって、おっかさんが何をすればいいのかわからなくなってきた頃。
そんな声が聞こえました。

おっかさんは家の外に駆け出しました。

怪我はしていないだろうか、無事なんだろうか。
おっかさんが気になるのはその事だけです。





家の外に出ると、おっとさんが膝太郎を抱いて山を降りてくるのが見えました。

大きな怪我をしたんじゃないだろうか?
おっかさんがハラハラしていると、膝太郎の笑い声が聞こえてきました。

「クマね、凄かったんだよ! おっとさん。体がとっても大きくて、けむくじゃらで、毛なんかボウボウと生えてて。とっても強そうでね、とっても足が早かった。皆がなんでクマが怖いって言うのか、僕やっとわかったんだ!」

おっとさんは矢継ぎ早に目をキラキラさせて話す膝太郎にうんうんとうなづいていました。
おっかさんは、なんだか拍子抜けしたような気持ちになりました。

「おかえり、膝太郎」
「おっかさん! 僕、クマとのかけっこに勝ったよ!!」

膝太郎はおっかさんに、キラキラした笑顔でそう言いました。
おっとさんとおっかさんは目を合わせて、困ったような顔でその話を聞いていました。





夕方ごろにはマタギや、町の人たちが次々と膝太郎の家を訪れました。

マタギは仕留めたクマの肉と、肝を持ってきました。
町の人たちは舶来のかすていらや、金平糖を手にやってきました。

そして皆、膝太郎がキラキラした顔でクマの話をするのを、おっとさんやおっかさんと同じような顔をして聞いていました。

この子は時代に名を残す逸材になるのかもしれない。
それか、おおうつけになるのかもしれない。
話を聞いた大人たちは、内心そう思っています。


だけど、そんな大人の心配を膝太郎はものともしません。
だって、ずっと気になっていたクマを、見ることができた嬉しさで、膝太郎の胸はいっぱいなのですから。

おしまいおしまい。


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