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「私」はどこにいるのか?②

https://note.com/ro_do_sha/n/ncb605a21eed4

前回の続き。

見えるものはいつも「私が」見ているし、感じられるものいつも「私の」ものだ。だけど、私そのものはどこにもいない。どこにいるのだろう?

ありえる答えとして「私は見るものであり、見られるものではないのだから、見るものとして現れないのは当然だ」というものだ。では、見る主体はどこにいるのだろう?それを確認する方法はあるのだろうか。

一つは、見る主体を誰かに見つけてもらえばいい、というものだ。だが、他人が私を見たとしても、私から見えるものと他人から見えるものはそう変わらない。もちろん、私にとっては自分の背中は見づらいが、だからといって他人が背中に私そのものを見つけてくれるわけではない。私から見えるものは他人から見えるものと、そう変わらない。
では、鏡を使って私自身で私そのものを見つけるのはどうだろうか。これも他人に見つけてもらう場合と同様に、普段と違う角度で見えるようになるだけで、事態はいっこうに変わらない。見る主体はどこにいるのだろうか?

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