近所のスターバックスより 2023/11/15

午後1時44分。近所のスターバックスに来てみた。窓のすぐ向こうに海が見える。と言うとオシャレに聞こえるが実際はゴミが打ち上がる、絶対に入りたいと思わない感じの、都会の海。横須賀なんだけど。

空腹のまま横須賀の街を彷徨いながら、今自分が本当に食べたいと思っているものがなんなのか考えていた。考えていたら90分くらい彷徨い歩くことになった。このパソコンはさまようをごく自然に彷徨うと変換してくる。あまりこの漢字は好きじゃないがひらがなにするのもめんどくさい。自分が本当に求めていることを知ることは想像以上に難しい。いっそ人と歩いていて、その人がどうしても食べたいというものを言い始めて、悪態をついたり同意してみたりしながら結局それになる、みたいな方がはるかに楽に思う。忘れちゃいけない。自分の思った通りに生きることは、別に、自分の思った通りに生きないことより良いとは限らない。ああ、こういうの。こういう文を書かないために、日記という体裁で文章に取り組んでいるのに、すぐこういう文を書く。←この文もダメ。←この文もダメ。この反復もダメ。他人を意識している。ボクだけが分かればいい、ボクだけの文章になっていない。これもそう。自分の思っていることをそのままにこの世の中に現出させることは想像以上に難しい。すぐに邪念が入る。これを読むかもしれないAくんやBさんのことを考えて語尾をかっこよくしたいと思ったり、ちょっとだけ皮肉を書いて勝手に向こうにダメージが入ればいいやみたいな気持ちになったりして。出来る時には出来るし出来ない時には出来ないといえど、仕組み化がなければうまく生きられない。ボクは仕組み化が嫌いだ。偶然のロマンがなくなるようで。

今、200文字くらい消しました。色々書いていたけど、全然今書きたい文章じゃなかった。世の中のこととか、他の人に当てはまるようなことは書きたくない。自分にしか当てはまらない、他人には到底理解できないボクだけの世界について書きたい。そんな世界は実際にはないから、結果ちょっとだけ他の人に共感されるような、でも分からないような、凡人がメインストリームを外れた時の心境は実は、その絶妙なラインを攻めたものにオートマチックになるのではないか。とか。いやーここは本当にボクの思考の墓場だな。最近いつも追い詰められている。追い詰められているのが人間の正しい姿であると直感的に理解しながら。見せようによってはボクはきっと多分普通の精神状態じゃなくなってきたと思う。本当にこれはかっこつけたいわけじゃないし、十代の頃の変な妄想でもなく。目の前のことに真面目に取り組めない。なのに一方ではやたら深刻に悩んでとことん気分が落ち込んだりもする。精神なんて言葉を使うから、定義やら、もっと大変な人もいる、やら、反論につけいる隙を与えているんだ。わかった。これは、ヤケクソだ。今、ボクは結構ヤケクソなんだ。日々全然暗い気持ちで過ごしているわけじゃない。むしろ陽気に暮らしている。だけど、それはヤケクソだからで、たまにヤケクソのツケが現実で迫ってきたり、ヤケクソに厳しい世の中の洗礼を、他人からの視線で感じ取ったりして。ヤケクソが至ってしまって、自分のどんな感覚すらもシニカルに、他人行儀に感じられるようになったら生きるのが楽になるのではなんて思ったりして。

日記三日目にして、内容が支離滅裂になってきた。突然だが今日はもうこれで終わり。気持ちの旬は去った。

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