「生きづらい」自分について、是非を問わずにただ振り返る

 前回の記事に思ったより多くの反応があり、果たして何人が本当に読んだ方なのだろうかと無益に勘ぐりながら、本日もまた書きなぐります。

↓前回の記事↓

 件の記事でお伝えしたように、私はすべての不幸を運の良さだけでねじ伏せてきたような男です。重めの聴覚過敏で幾度となく倒れ、学生らしい時間は雲散霧消したものの、今では友人がいて仕事もあり、愛し合える人さえいます。たったひとりであっても誰かの「愛する人」になった以上、「何者かになりたい」と悩むことはありませんし、この時点で富や名声では得られぬ幸福を手にしたと断言できるでしょう。

 しかし人生は続きます。
「生活」と呼ばれるその道のりにおいて問題は山積し、幸福を維持するためには既存の社会に適応する必要もある。この事実は今のところ、私には変える手段がありません。
 そして私の心身には、相も変わらず妙な障害が鎮座しているわけで。

 本日はその障害、有り体に言えば「生きづらさ」について掘り下げてみようと思います。
 ちなみに、本稿は障害者と社会の関係における是非や在り方を問うものではなく、あくまで私個人に終始した「なんでやろなぁ」を振り返る目的で構成されております。あしからず。


感覚過敏より厄介なモノ

 前回の記事において、私の困りごとにおける主題は「感覚過敏」であるとしましたが、実はそれより厄介な障害があります。それが「発達障害」です。
 感覚過敏がなぜ発症したのか?と問えば、ものの数秒で関連ワードに飛び出す発達障害という名前。私の場合は自閉症スペクトラム障害やら広汎性発達障害やらアスペルガー症候群やらASDやら、名称はあれこれとあるそうですが、とにもかくにも問題の根本は発達障害にあり、感覚過敏もその症状の一つに過ぎません。
 特に厄介なのは、やはり「社会性の障害」でしょう。いわゆるASDと呼ばれる方々はコミュニケーションに障害を感じやすく、例えば健常者たちの間でテレパシーのように共有されている「暗黙の了解」というものを察知・理解できずに群れから追い出されてしまうなんてことがあるわけですが、私はまさしくその典型。普段は陽気で弁も立つので友人たちは首を傾げるかもしれませんが、それはあくまで責任のない環境だからこそ「知ったかぶり」をしているだけであり、責任が生じ、コミュニケーションに「能力」という視点が持ち込まれる仕事においては、私は「できない人」の烙印を押されます。
 社会性の障害に比べれば、感覚過敏の対処など容易も容易。確かに私は音や光による痛みと疲労で何度も倒れ、学校に通うことすら諦めてしまいましたが、しかし症状がもたらす結果は至ってシンプルであり、複雑怪奇な事態にはあまり発展しません。
 映画館にも行けず、電車やバスにも乗れず、痛みに怯えることなく居酒屋に行くことさえできませんが、しかし足るを知れば代替案は生まれるわけで、どうしてもやりたきゃ痛みに耐えるのみ。こんな思考は「正解」として感覚過敏の方に押しつけてはなりませんし、あくまで私自身の結論に過ぎませんが、ただ不器用な私の中では「耐える」か「諦める」かの二択でいいため、考えることが減って楽なのです。確かに行動の制限は寂しいものですが、音や光によってどれだけ痛みを感じても、「痛み」だけだからこそ「生きてるんだから大丈夫」と笑うこともできます。
 しかし、社会性の障害は複雑で対処に困ります。
 感覚過敏だけなら周囲の反応は「心配」か「同情」でおわり、こちらが「同情するな」と妙なプライドを出さない限りはなかなか軋轢を生みませんが、コミュニケーション自体の障害はじわじわと職場の私を孤立させます。「障害者だから仕方がない」と一方的に許されても、それでは「信頼」は勝ち取れず、腫れ物のように扱われるばかりで、自身の将来性は見事に奪われていきます。ある意味で、対等な人間扱いはされないわけです。恐らくは人語を解するだけの動物か何かだと思われているでしょう。
 感覚過敏だけならリモートワークのみで解決可能ですが、社会性の障害はそうはいかず、どうあがいてもわからないことはわからないですし、知ったかぶりをするわけにもいきません。友人やパートナーとの間でトラブルが起きていないので、症状の程度としては軽いのでしょうが、リモートワークも相まって社内では浮いていく一方。先日に至っては、先輩から直接「少し腫れ物になっているのかもしれかい」とのお言葉を頂戴する始末です。

 念のためもう一度明記しておきますが、本稿は同僚の対応や発達障害と社会の関係に是非を問うものではありません。誰が悪いとかそういうことではなく、困りごとは目の前にある「事象」として、どうすっかなぁと考える目的であります。

 とはいえ業務上のコミュニケーションに四苦八苦し、明日が怖くて眠れぬ夜を過ごしていることもまた事実。これを書いている早朝4時、あと5時間ほどで出社となりますが、どうにもこうにも憂鬱です。しかし辞めるわけにはいきません。私には既に守りたい幸福があるのです。
 さてどうするか。

「そもそも」から考える

 私は社内において腫れ物であり、徐々に嫌われ印象が腐っていくような雰囲気をひしひしと感じていますが、そもそもなぜそこに悩むのでしょうか?
 障害を個性だと語る人がいる一方で、社会の仕組みは障害者を「できない人」という前提で扱い、健常者の多くはその認識で私をカテゴライズします。ただ逆に言ってしまえば、だからこそ「失望」はされていないはずなのです。期待がないわけですから。
 私がどれだけコミュニケーションを失敗したり、わからないことがあったとしても、そもそも健常な方々からすれば「できない人」が「できなかった」だけなので、落胆することはありません。むしろ私の場合、会社が想定していた数倍は仕事ができているそうで、ずいぶんと重要な仕事を任されることもあります。法定雇用率を満たせていない私の職場にとってはそう簡単に障害者を切り捨てられない現状もありますが、今すぐに「使えないから」と解雇されることは考えにくいわけです。
 もちろんそこに甘んじるつもりはありませんし、可能であれば私自身の調整と会社の体制の両面から社会性の障害も緩和させていきたいのですが、少なくとも明日に怯えて眠れない夜を過ごす必要はないはずなのです。
 それでも嫌われることに怯え、怒られたくないと必死になるのは、私の中にちっぽけなプライドがあり、無限定な「可能性」というものを期待しているからではないでしょうか。自分はこんなものじゃない、自分は成長できるんだと、そんなことを心の内で思っているからこそ、私は自分を律するため過剰に自己批判的な考えをするのでしょう。
 これが発達障害かはわかりませんが、私は幼少の頃からミスを指摘されたりすると妙な幻聴が聞こえます。非常に攻撃的で、そして自罰的な言葉が頭の中を埋め尽くすのです。ただ、こういった幻聴というのは得てして自己の認識が反映されるもの。私に期待し、私の不完全さに最も腹を立てているのは、他でもない私自身ではないでしょうか。
 自分だけは、まだ自分のことを「できない人」と思えていないわけです。つまり、肝心なところで諦めきれていない。
 人は不可能性の生き物です。輪郭を作るのは「できるかもしれない」という可能性ではなく「できない」という不可能性の現実です。「できない」の裏に「できる」が存在し、私は少し偏っているだけで、その本質は誰しも変わらないはずです。
 すなわち私は自己研鑽を積みつつも、早めに白旗を上げるべきなのです。私は大成などしません。目の前の幸福をどうにかこうにか守ろうとするだけで手一杯の、ちっぽけな人間です。
 仕事において完全を求めるからこそ歪が生じ、四方八方に意識が向いて、それゆえに疲弊しふらついてしまう。であれば目標は一つに絞り、できないならできないと腹を見せたほうが可愛げがあります。

それでも振り返れば

 かくして私は白旗をあげる努力をしようと結論づけましたが、傍目に見れば寂しい話でもあります。障害者の権利や可能性、自由のために戦っている方々からすれば、こんな姿はまさしくバッドエンドでしょう。
 ただ、私が不幸かといえばそうでもありません。確かに私は大した稼ぎもなく、人間に対して「資本価値」という基準を持ち込む能力至上主義社会においては嘲笑の対象かもしれませんが、ひとたび振り返れば私との時間を楽しんでくれる友人と、私を愛し幸福を喜んでくれる家族がいます。そして私のパートナーは「できない」ところも引っくるめて「かわいいね」と笑うでしょう。
 私は「できない人」の烙印を押され疎まれる一方で、何かを「持つ者」でもあります。立つ瀬がないわけでは決してない。苦しいものは苦しいし、不服な感情もありますが、それでも誰かには愛されているのです。それを忘れてはなりません。
 運で多くの事柄が決まる残酷な世界において、自らが幸運であることを忘れずに生きることこそ「持つ者」に与えられた責務です。ろくな社会貢献はできませんが、それだけは徹底したい。
 もしも幸福を忘れそうになったなら、こうして日記を書き綴ります。

「結局なにがいいたいの?」という問いにはこちらも「わかりません」と答えざるを得ないのですが、これはあくまで日記ということでお許しください。

 それでは、本日はここまで。
 お疲れさまでした。

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