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みちのく津軽ジャーニーラン266km完走記 その12 ボラギノールしてるかい?(161.9km道の駅たいらだて~181.7kmふるさと体験館)

イマココ
イマココ


さらばマッキー、また逢うその日まで


さあ、あと20kmもすれば、がっつり睡眠のとれるエイドだ。この頃になると、カラダは1にも2にも睡眠を欲するようになり、眠気との闘いが本格化してきていた。眠い、とにかく眠い。さっき寝たばっかりだけどまだ眠い。ううう、眠ぃよぉぉぉぉ!道の駅の自販機で缶コーヒーを買い込み、最後の粘りを生むためのカフェインを手に入れる。181.7kmふるさと体験館まであと約20km、てことはあと10km進めば、残り10km。残り10kのうち、5kmを進んでしまえば、そしたらあとは皇居一周分。当たり前のことを言っているようであるが、このレベルに疲れていると、どうにかこうにか自分に都合の良い現実を作り上げないと、やってられない。5kgの生肉をそのまま食べることは難しいが、一口大のサイズに切り分けて調理されていれば、少しずつでも口に運ぶことができる。目標を細分化するって大事だな、と改めて思ったものである。俺、ずっと同じこと言ってるな。電柱ゲームを駆使しながら、闇夜を駆け抜けていく。

このエイド付近では、またも司会兼アイドルのゆうゆと一緒になった。彼女が「地獄」と表現した距離のうち、半分近くは消化することが出来ていた。このまま地獄はやってこないのではないかとすら思えるぐらい、ある意味で順調だった。ただし、俺の中にはまた別の意味での疑念が出てきていた。ひょっとして、彼女は「スイーパー」なのではないだろうか?当初、司会とアイドルとランナーを兼務するゆうゆのことは、単純にすごいなと思っていた。いくつかのレースで一緒になり、「司会のお姉さん」のニックネームが「ゆうゆ」であることまでキャッチアップ出来ていた。ホスピタリティに溢れたスポーツエイド・ジャパンの大会で、さらに道中もお参加者を楽しませようと、本部が派遣したジャンボリー・ミッキーのお姉さんのような存在なのかと思っていた。がしかし!どうやら、先ほどからどうもイヤな予感がする。ここ数十kmほど、俺たちは誰かしらを抜いてきたわけであるが、俺たちを抜く人はほとんど見たことがない(気がする)。ん?もしかしてゴール可能性があるタイムの中では、ケツの方?と思わされる場面も多々あった(気がする)。つまりは、ゆうゆに完全に抜かれるとそれは死刑宣告と同義であり、その人間はもうゴールは出来ない、と仕組みになっているのではないだろうか。我々の生殺与奪の権利を握る役割を果たしているからこそ、参加者に絶望を与えないためにゆうゆはいつも笑顔で走っているのではないだろうか?数々の疑念やその根拠が思い起こされ、そして既成の現実として固められていく。間違いない。彼女は「スイーパー」だ。見えないけど鎌を持っているはずだ。抜かれないようにしなくてはならない。

後日この疑念を本人に話したら、「はぁ?ふざけんな!」と一喝された。

少し行くと、先に出発したはずのマッキーが友人Aと走っているのが見えた。俺たちに道中何度も話しかけてきてくれた紳士だ。「長い方」の完走実績もあるらしい。マッキーはスポーツエイド・ジャパンのレースに参加するたびに友達を増やしており、すれ違った人ともいつのまにか友達になっている。そのうちの1人がこの紳士だった。マッキーとはたしか仮眠前に別れたはずなのに、もう追いついてしまった。俺たちのペースは大して速くない。もしや、調子が悪いのだろうか?膝が痛い、調子が悪いと言っていたが、大丈夫なのだろうか?今回は、「ボラギノール」しているのだろうか?そう、あの「ボラギノール」を。


「ボラギノール」。昨年の秩父ジャーニーランに出場した際に、20年ぶりぐらいに耳にした痔の薬の名前だ。いや正確には、「痔にはボラギノール♪」というCMは今もやっているし、おそらく何度も目にし耳にしているはずなのだけれど、痔と無縁な俺は非ボラギノーラーなので、この商品の名前を意識したことが人生で一度もなかった。OPP、OPPと書いているので腹を下してばかりの印象の俺だが、正確には胃とア〇ルは強くて腸だけが弱い。「強弱強」のサンドウィッチマンなのである。アナ〇に問題が発生したことはないのでボラギノーラーになったこともない。ここテストに出るので覚えておいてほしい。

この秩父ジャーニーラン、コースとは別の理由で地獄だった。この日出場したのは、俺、マッキー、そして前述のみちのく津軽263km完走実績を持つフジタマンだった。マッキーとフジタマンはこの日が初対面だったけれど、お互いに練習不足だったこともあり、なんだかんだでゴールまで一緒に走ることになった。道中、あることに気づいた。「そういえばこいつら、二人とも『他意のない族』やんけ!!」。二人とも、常識人の俺とはさっぱり会話も笑いのツボも噛み合わないが、他意のない族同士ではなんだかやたら気が合っている。もちろん、二人の会話は別に噛み合っているわけではないのだけれど、他意なくお互いに好きなことをしゃべっていることで満足感を得ているようである。マッキーが「あ、太陽だ!」といえば、フジタマンが「たしかに、かわいい犬ですね」と答える。大体そんな感じだ。

途中、他意のない族Aのマッキーがデカい声で言いだした。「いやー!こういう長いマラソンやると、ケツ毛が絡まるんですよねー!」。マッキーは知性とデリカシーが欠落している人間なので、こういう話題を脈絡なく大声で話す。俺は基本的に、超ウルトラマラソンで疲弊しているときに他人のケツ毛の話など聞きたくはない。いや、はっきり言って平時でももちろん全く聞きたくない。話を要約すると、長距離の汗で蒸れたケツ毛が絡まり皮膚が炎症を起こし、長時間の擦れと相伴って大の時に激痛となるらしい。そんなどうでもいい話、無視の一択なので放っておけばまた次の話題になるはずなのだけれど、「わかるー!めっちゃわかるー!」と首がもげるほどうなづいていたのが他意のない族Bのフジタマン。マジかよ、こいつらこんなところでつながりやがった。以降、2人は完全に口と耳と心を閉ざした俺を尻だけに尻目に、楽しそうにケツ毛の話をしていた。

「ケツ毛は大変だけど、これがあればもう大丈夫っすよ!」、マッキーが大声で言った。例のボラギノールのことである。一時期はケツ毛問題でだいぶ苦しんだが、ボラギノールを塗り塗りすることを覚えてからは、この問題から解放されたんだとか。しかし、ここからの会話の流れが地獄だった。「ええ?いいですね~」とフジタマン。「貸しましょうか?」とマッキー。「ええ、ぜひ」とフジタマン。真夜中に立ち寄った公衆トイレで、用を足して出てきた俺は見てしまった。ケツ毛に悩む二人が、かの有名な永遠のライバル同士のハイタッチのように、ボラギノールをパスしているところを。他意がなくケツ毛で悩む族で構成されたグループ、「ボラギノーラーズ」が結成された瞬間だった。

さすがにお互いに塗り塗り、はしなかったようだ Source:スラムダンク31巻

ボラギノールしているのだろうか?心配はしていたが、言葉にはせずにマッキーと友人Aを勢いのままにパスした。俺は信じている。これまで同様、何度だってマッキーはよみがえるはずだ。今まで何度となく見せてくれた、あの爆発的な脚力がヤツにはある。幾度となく、「この漢、底が知れん!」と驚かせてくれたメンタルの強さがある。多少遅れたって、次はふるさと体験館、追いつく時間はたっぷりある。「うぃぃ」とだけ声をかけ、先に進んだ。

 

山手線ゲーム


もう体力も気力も限界に達していたこの区間、俺たちは気を紛らわせるために「山手線ゲーム」をやった。以前、日光千人同心街道160kmで気を紛らわすためにマッキーと二人で山手線ゲームをやったことがあったが、気が紛れるどころか気が狂いそうになったことを思い出す。比較的答えがポンポン出てきて長続きしそうな「国名」(約190か国・地域)でやったのだが、これが大変だった。俺は普通、ある大陸の国名が出てきたら、その大陸の国名をとりあえず脳内で埋まるまで連呼するようにしている。例えば相手が先攻で「日本」と言ったら、「大韓民国」、「北朝鮮」、「中華人民共和国」といった感じで、近場から埋めていく。ところがマッキーは、「アメリカ!」と叫んだと思ったら、次は「南アフリカ!」と急に飛ぶ。おいおい山手線ゲームでも空気読まねーのかよと思っていたら、実はそうではなかった。それを確信したのは、話が南米とヨーロッパに飛んだ時だ。「ブラジル!」と言ったマッキーに対し、「アルゼンチン」と答える俺。次はウルグアイやパラグアイが出てきそうなものだが、「やべえな、南米もう国がねーや」とさっさと「ドイツ!」とヨーロッパにいってしまった。ドイツが出たのでポーランドなどと答えてヨーロッパ2ターン目のマッキーが「フランス!」と俺が「イタリア!」などと答えたところで、「うーん、もうヨーロッパはねーな」とまた違う大陸に行ってしまった。どうやらマッキーの頭の中の世界地図には、15か国ぐらいしかないらしい。そんなわけでだいぶ時間がもつはずの山手線ゲームが一瞬で終わってしまった。すげー疲れてるときにこれをやったので、さらに疲れてしまったことを覚えている。
 
今回の山手線ゲームは、インテリなエンディとヒロポンが相手だ。そう簡単にはいくまい。事実、100か国を超えるぐらいまではスイスイと進んでいった。途中でヒロポンが脱落し、最後は俺とエンディの一騎打ちとなった。二人の状態で数十か国を挙げ続け、最後は俺がエンディを差しきった。僅差で勝利を収めた。普通、30秒程度考えて分からなければ、たかがゲームだしさっさとパスをするはずなのだが、エンディは1分経っても2分経っても、答えが見つからないのにリタイヤしない。ほんとうにしつこい。山王工業だったらスッポンディフェンスの一之倉選手ばりにしつこい。エンディは溜めに溜めていた「ホンジュラス」をついに出すことができず、一騎打ちから15分ぐらい経って、ようやく負けを認めてくれた。どうやら相当悔しかったようで、「でも私は中学生のとき、国名テストで満点を取ってました」と捨て台詞を吐いていた。「何の『でも』ですか?」と聞いたら内容証明が届きそうな感じだったので聞かなかった。このゲームのおかげで電柱ゲームとは別にだいぶ進むことができた。次は「首都」でやってみたが、これは皆知識がなさ過ぎてすぐにおじゃんになった。

次にやったテーマは、「人生に影響を与えた漫画」だった。ジャンプ世代の我々は、「ドラゴンボール」、「スラムダンク」、「幽遊白書」、「聖闘士星矢」などを順調に並べていった。・・・と思いきや、王道漫画を並べたのは俺とエンディだけだった。ヒロポンは「モンモンモン」、「ボボボーボ・ボーボボ」、「世紀末リーダー伝たけし!」などギリギリ知っているものを挙げたかと思ったら、「アパッチ野球軍」、「なんて素敵にジャパネスク」、「ゴッドサイダー」など、時代とジャンルがあまりにも異なる作品名を連発してきた。20作品ほど挙げたところで、俺:全部メジャー作品、エンディ:全部メジャー作品、ヒロポン:9割方知らない作品というラインナップになったので、ヒロポンとは永遠に分かり合えないなと判断しこの山手線ゲームを中止した。正直、ヒロポンが挙げた漫画が本当に実在するものなのかも分からなかった。この山手線ゲームで距離をかなり稼ぐことは出来たが、一方でヒロポンのマニアックな変化球の連発によりだいぶ疲労を積み重ねた期間にもなった。ヒロポンは、結構こういうところがある。


ヒロポンはアツい漢だ。自分が出られない長距離レースだとしても、いつも自分事かのように応援してくれている。メッセージをくれるとかそういうレベルではない。歯科医師としての仕事を終えてから、深夜に私設エイドを設置しにわざわざ大宮からかけつけてくれたことは何度もあった。また、記録には残らないことを承知しながら、夜からレースに参戦して疲労困憊の俺たちのそばで叱咤激励してくれたことも何度もあった。一緒にゴールしたことは数多くあったが、肝心のスタートの時にいないので公式の記録は残らず、チーム内で「無冠の帝王」と呼ばれていた。灼熱のレースとなった2021年の中山道ジャーニーランの際も、途中から参戦したヒロポン。30度を超え全員が干からびるかと思われたほど暑かったこのレースをゴールした後、ヒロポンは「これがゴール出来たんだから来年の津軽266kmも何とかなんるじゃないですか?」と、盛り上がってるゴール後にしては別に普通で全然許容範囲と思われるコメントをした。しかし、あまりの暑さと峠の急峻さに疲労困憊で配慮力/オブラート力を完全になくし土偶のように無表情になっていたエンディに、「(夜から参戦したため)峠を1つしか超えてないのに分かったようなこと言わないでください!」と予想外の方向から言葉の暴力を受け、見たことがないぐらいシュンとしていた。あのときのヒロポンのしょげっぷりは忘れられない。後日、エンディはあまりの余裕のなさに暴言を吐いたことを公式に謝罪していたが、ヒロポンの心の刺さった棘はしばらく抜けそうにない。

そのヒロポン、アツい漢なのだけれど、そのアツさゆえにあさっての方向に行ってしまうことがある。その代表があまりにもマニアックなプロレス話だ。戦後なぜプロレスは日本に入ってきたのか?ジャイアント馬場とアントニオ猪木はいかにして時代の寵児となっていったのか?プロレスがプロレスたるゆえんは何なのか?日本の格闘技界はどのような変遷を経て今の姿に至るのか?放っておくと2時間でも3時間でも誰も理解できない話を続けている。日光ジャーニーラン160kmの際、疲労困憊だった俺は途中から参戦してきたヒロポンに「疲れてきたからプロレスの話をお願いします。初心者にも分かるように面白いやつを。」とうっかり懇願してしまった。何か気を紛らわせる対象がないとすぐにうずくまってしまいそうなほど疲れていたため、気晴らしをヒロポンに外注した形だ。「任せてください!」といつも通り爽やかにイケメンに答えたヒロポン。そこから、俺の人生で一度もカスったことのないプロレス話が始まった。ジャイアント馬場とアントニオ猪木以外、どの名詞も分からない。「ご存じの通り、伝説の漢、新間寿が・・・」と言われても、全然ご存じじゃねぇ。「あの前田日明が・・・」と言われても、どのへんが「あの」なのかがさっぱりだ。かといって、懇願した手前、途中で話を遮るわけにもいかない。途中から参戦のため元気いっぱいに嬉しそうにしゃべり続けるヒロポン、分からない名詞しか出てこない話にココロを削られ続けるもはや限界の俺。結果、ヒロポンと合流してからわずか数時間で力尽きた俺は道端で寝てしまい、その後も心が折れて敢え無くリタイヤ。みちのく津軽ジャーニーランの前哨戦となったこのレースで、予想外のDNFとなってしまった。


真夜中の遊園地 


俺は俺で頑張ってきたつもりだった。チームのゴールのため、自分のゴールのため、粉骨砕身、カラダと、そして何より頭をフル回転させながら、ここまで理想的なタイムでやってきた。膝の痛みは相当なものであり、何なら右膝は肉離れしながら走っているレベルであり、眠気も限界に近づきつつある。しかしながら、2晩目になっても俺は理想的なペースでここまでチームを先導出来ていた。・・・と、残り5kmほどを残して、俺の電池がぷつんと切れた。急に瞼が重たくなり、立っているのもやっとの状態になってしまった。「みんな、すまねぇ・・・オラ・・・限界だ・・・」ペースは一気にキロ13分ほどになってしまった。蛇行を繰り返し、倒れる寸前までふらふらしてしまう。エンディから何度も、「顔が土偶になってますよ」と指摘が入る。言い返すことすら出来ない。土偶に土偶と言われているのに、何の言葉も出てこない。

そんな時、数百メートル向こう側に大きなバルーンの大群が見えてきた。キングダムに出てくるキャラ・「河了貂」が見える。他にはゴリラや犬猫のバルーンもある。空中をゆらゆら揺れて、俺たちを手招きしているかのようだ。遊園地かな。「エ、エンディ、ほら、バルーンの大群が見えますよ、河了貂とかゴリラとかワンちゃんとか・・・」と目をしぱしぱさせながら話しかけると、「河了貂はさすがに見えませんけど、ゴリラとか他の動物のバルーンは見えますねぇ」と同じくフラフラなエンディがねっとりと返してくる。ヒロポンは自分と戦っているのか、何も言わない。つまらない暗闇の山道に、一筋の「面白さ」を発見したのである。あそこまでがんばろう!と我々は久々に歩を速めた。皆さんはそろそろオチにお気づきだろうか。そう、近づいてみたら、巨大なゴリラも犬も猫もいない。それはただの森だった。ゴリラの形をしていたとかですらない。ただ木が沢山生えていただけだった。俺たちは戦慄した。個人個人で幻覚を見るならまだしも、2人が同じものを見るとは・・・。

俺たちが見てた景色のイメージ図


 
と、ここで、覇気を発揮した漢がいた。ヒロポンだ。情けない姿を晒す俺を下がらせ、さぁ行くぞと言わんばかりに、電柱ゲームを先導していく。ここまで、走力的には俺よりはるかに上ながらも、チームのバランスを考え、俺のほんの半歩後ろを走ってくれてきたヒロポン。ツールドフランスをはじめとするロードレース界におけるスイスの英雄、ファビアン・カンチェラーラ然とした整った顔立ちの漢は、それまで抑え込んできた力を卍解し、全力で俺たちを引っ張ってくれた。ふらふらの俺から見ると、あまりにもカッコいい姿だった。あとから聞いたら、「いや、もうちょっとでふるさと体験館だったから少しでも長く寝たくて・・・」と言っていた。ラスト5kmの記憶はほとんどないが、ヒロポンが本当にかっこよかったことだけは覚えている。そんなこんなで、ついに181.7kmふるさと体験館に着いた。食事、睡眠がとれる大エイドだ!!!やったー!!!32時間15分(3日目の夜中1時15分)で到着!

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退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!

羅王


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