見出し画像

火から遠ざかっている生活

次男の通う小学校では、五年生の学校行事として「野外活動」がある。

野外活動にはキャンプファイヤーがつきものである。

息子はこれをとても楽しみにしている。

大勢で火を取り囲むキャンプファイヤーはとても魅力的である。

じっと座って、その熱さを感じながら、木が燃えるパチパチという音に包まれて、舞い上がる灰の中にあるゆらめく炎を大勢で眺めるのだ。
ちょっとしたトランス状態だといえる。

火は危ないものでもある。
台所のガスを除けば最近は火をあまりみなくなった。
火をみることは、せいぜいどんと焼きや、神社の行事でかがり火をみるくらいである。
仏壇に備える蝋燭までLED製のものが売られている。

昔は学校ででる紙屑を掃除当番が焼却炉に放り込みに行った。
鉄の棒で蓋を開けて、横穴から紙屑を放り込む。
そらから怖気付いて入れ損ねた紙屑を、顔に熱さを感じながら棒で突いて火のなかに押し込む。
火に対して真剣に向き合った記憶がある。


ほんの少し前まで、火は日常とともにあったのだ。

安全面では素晴らしいことだが
私は火が日常から遠ざかったことを少し惜しいようにも思う。

同時に、日常から火が遠ざかることで、一般の人の火を制御する力が衰えているのでないかと思う。

若草山焼きを今年初めて見に行ったが、たくさんの係の人が一斉に点火して山が燃えていく様は圧巻であった。火の性質を熟知しているからこできるのだ。毎年やるから忘れないのだ。

息子達には野外活動の
キャンプファイヤーで
美しさと危険さを併せ持つ
火の妖力を存分に味わって欲しいと
思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?