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姉妹

母親とわたし。友だちとわたし。
そのどちらといる時とも違う、低反発ソファに体を預けているような和やかな気持ちと安心感。信頼。
妹といる時、わたしはそんな感情を抱く。

「妹」という呼称ですすめてしまうとなんだかよそよそしくなるので、ここからは「あらちゃん」と呼ぶことにしましょう。

あらちゃんとは4つ年が離れている。
わたしが小学生のころは、よくケンカをした。
ピアノも絵を描くのもわたしの真似をして、しかもすごい集中力で習得してわたしよりもずっと上手にやってのけて、なんとも形容し難いモヤモヤ。
わたしはあらちゃんがきらいだった。
どう捉えればいいか分からなかったのだ。
消化しきれない感情が織りのように溜まって淀んでいたこともあった。

小学生のわたしに母親は、こういった。
「いつか絶対、妹がいてよかったって思う日が来るよ」
そんなことぜっっっっっっったいない、と小学生のわたしは断言した。心の中で。

頑なだったわたしが変化できたのは、あらちゃんが高校生になった頃、だったか。
制服のこと、友だちのこと、勉強のこと、些細な困りごとなど、わたしが通った道中で感じた取るに足らない感情を彼女も同じように感じていたことを知ることができたのだ。

「共感」によって、ようやく一人の人間としてみることができ、対等に向き合う心の隙間ができたのだ。
あらちゃんの発言に「わかるー」と言えた瞬間、彼女はわたしの一番の友だち、のような存在になった。
あのときのわたし、気づいてくれてありがとうだよ。
しょうもない嫉妬で一生を過ごしていたら、と思うと大変に恐ろしい。

秋冬ものセールで賑わうショッピングモールで、わたしはあらちゃんが買った服屋のショッパーを両肩にひっかけ、試着室から顔出す満足そうな彼女と自分の姿をともに眺め、おとなになったなぁと思うのだった。

あらちゃんが妹でよかった~~~~

高等遊民になりたい………。