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「どんな大樹でも、一本だけでは森にならない」とは、アフロキューバ宗教の占いに出てくる格言である。

 大樹といえば、2016年4月に武道館でおこなわれた明治大学の入学式のさいの、土屋恵一郎学長の告辞が思い出される。

通常、こういう儀式の挨拶などは、聞いていて退屈なものだ。

だが、土屋学長のそれは一味も二味もちがっていた。

まず挨拶の前段で、グローバル時代における明治大学の建学の精神「権利自由・独立自治」の持つ意味に触れ、18世紀イギリスの思想家、デイヴィッド・ヒュームの「都市論」を引き合いに出しながら、ヒュームのいう「都市」のように、さまざまな文化・人種・背景を持つ人たちが暫定的に集まる「共同体」としての大学の意義を述べた。

ただ英語でコミュニケーションやビジネスができる、いま流行りの「グローバル人材」ではなく、世界の多様な価値や自由を認める「コスモポリタン」になってほしい、と語った。


そして後段で、土屋学長は新入生を励ますために、ある言葉を送った。それはさる対談の席で、学長自身が有馬頼底(らいてい)さんから聞いたという言葉だった。有馬さんは京都の臨済宗相国寺や金閣寺、銀閣寺の住職を務められている「エライ」お坊さんである。


有馬さんは大名の家系に生まれながら、幼少の頃、母親と生き別れになり、おじさんの家に預けられた。あるとき、小さな木にぶらさがって遊んでいたところ、おじさんに見つかり、杉の大木のところへ連れていかれ、それに登りなさい、と言われたそうだ。小さいので怖くて途中までしか登れなかったが、おじさんは「登るならば、大樹に登れ」と言い残して去っていったという。


有馬氏は80歳過ぎた今でも、このときの言葉を忘れない、と学長におっしゃったそうだ。


さて、学長の挨拶も、普通ならばそういう「いい話」を持ち出して、新入生に「大樹に登れ」とエールを送るところで終わるところだろう。


だが、土屋学長はちがっていた。対談の席で、この言葉こそ入学式を迎える若い人たちにふさわしいと感じ、著名な書道家でもある有馬さん自身にその言葉を書いてくれませんか、と頼んだらしい。


それは、譬(たと)えてみれば、ピカソにひとつ絵を描いてくれませんか、と頼むような無謀な行為である。


だが、有馬さんは快く受け入れてくれたばかりか、京都に戻られてすぐに土屋学長のもとに立派な書が送り届けられてきたという。


武道館の巨大スクリーンには、額縁に入った「大樹に登れ」という文字が映し出された。フロアの新入生だけでなく、館内の観客席を埋め尽くしたご父母にも見えたはずである。


舞台の端っこに座っていた私は、涙がでるほど心を打たれた


これは土屋学長の、新入生に対するこれ以上ない「贈りもの」だと感じたからだ。

おそらくご父母(特に、地方から来られたご家族)にとっても、武道館に足を運ぶようなことはそうそうないだろう。だから、その場にいた者にとって、おそらく一生涯記憶に残るはずの出来事だった。

 さて、アフロキューバ占いの言葉「どんな大樹でも、一本だけでは森にならない」だが、日本の「井の中の蛙(かわず)、大海を知らず」という格言によく似ている。


私たちが傲慢になることを戒め、謙虚になることを諭す言葉だからだ。


どんな大きな会社の社長になったところで、世の中にはあなたより優れた人がいっぱいいますよ。そんなことを知らないで、威張っているのは恥ずかしい。いや、滑稽でしかない。


有馬さんの言葉をもじって、私が若者に送るとすれば、「大樹に登れ、一本だけでなく」ということになるだろうか。

謙虚になってチャレンジしなければ、その先の道筋が見えてこない。若者にはチャレンジすべき緑豊かな森林が待っている。

註* 2016年入学式(武道館)の「学長告辞」は、このサイトで見ることができる。
https://www.meiji.ac.jp/gakucho/speech/2016entrance.html

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