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「吠える犬は噛まない」とは、アフロキューバ信仰の占いにでてくる格言である。


吠える犬は、怖いが、実際には人間を噛んだりしない。本当に怖いのは、吠えずにいきなり襲ってくる犬のほうだ。


人間だって、同じかもしれない。うるさいと思うかもしれないが、あれこれ忠告してくれる人が、案外、あなたのことを思ってくれていることだってある。

あるとき、キューバの東部の町サンティアゴで、私の守護霊のためのベンベをしてもらったことがある。サンティアゴの市街地から20キロほど内陸に入ったところにエル・コブレという町がある。そこからさらに20分ほど歩くとマリブという集落に行きつくが、その先の空気の澄んだ山奥が舞台だった。


ベンベというのは、太鼓を使った一種の厄払いの憑依儀式で、みんなで太鼓の音に合わせて歌い、踊り、アフリカの神さま(精霊たち)と一体となるのである。


当然、儀式を取り仕切る者がいて、このときはブルへリアと呼ばれる一種の祈祷師のロレトがその役を引き受けてくれた。


神聖な樹(このときは、ヨルバ語でアラバと呼ばれる生命の樹ではなかった)の前の下ばえを刈りとり、ムシロを敷いて祭壇をこしらえて、お供えや花や薬草の枝を添える。大自然の中に人工的な儀式空間を作り上げるのだ。


ロレトがあらかじめ雇っておいた3人の太鼓打ちが、コンガと呼ばれる大きな太鼓を肩に担いでやってくる。


はじめに、全員に取りついた厄を払う。みんなが歌を歌っているあいだ、参加者は一人ずつ祈祷師ロレトの前に進みでて、雄鶏とフババンという薬草で体を清めてもらう。


ちなみに、フババンは、喘息や気管支炎、糖尿病や悪玉コレストロールの特効薬である。


雄鶏を生贄につかうのは、私の守護霊がエレグアという精霊だからで、それにふさわしい生贄とされているからである。


私だけでなく、出席者全員のために清めの儀式を施すのは、贈与の原理にかなっているように思えた。こうした儀式を通じて、アジア人の顔つきだが、私もこうしてアフロキューバの人たちの仲間に入れてもらうことができる。

実は、その前年に私が初めてベンベを見たとき、ある女性が恐ろしい目つきで私を恫喝(どうかつ)したことがあった。私が精霊に憑依された人をカメラで撮ったからである。神がかりになった人は、神聖な存在だから、写真なんか撮ってはいけないのである。もちろん、その時は自分の非を詫びて許してもらった。


人生はわからないものである。あとで判明したことだが、その女性はなんとロレトの姉であった。生まれた年も私と同じ1952年だった。彼女もロレトと同じようにブルへリアで、この日は大木の下に祭壇を作ったり、薬草を集めたり、私のために親身になって朝からいろいろとしてくれた。写真の中で、白いキャップを被った女性である。


しばらくして、風の便りに彼女は亡くなったと聞いた。

あるベンベに参加して、彼女の守護霊であるエレグアの太鼓が始まったので、勇んで立ち上がり、踊っているうちに心筋梗塞を起こしたという。自分の守護霊に導かれて亡くなったのだから、ある意味、彼女は幸せだった。


 「吠える犬は噛まない」というが、噛まないどころか、私に忘れられない想い出を残してくれた人である。

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