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じゃあ、私たちは何を追求したいの?|未熟なわたしがCo-working Spaceについて考えてみた Vol.2

Writer: 新野 瑞貴
「自分の決めたルールに従って自由に生きること」がモットーの千葉県出身。
宅浪時期に方向転換をし、オーストラリアでの留学を決意。4年間の留学を経て現地大学を卒業後、2021年2月からSLOW inc.に勤務する。

【vol.1はこちらから】

あれから1週間、私はまだ得体の知れないこのプロジェクトに向けて想像を膨らませていた。

ロバート下北沢をHubにしたい。
人が交差する場所にしたい。

そうなるために、何かできるだろうか。
そうなったら、どんなことができるだろうか。
ランチミーティング?ミュージックナイト?スキルシェアタイム?
そのためにはどういう人とコラボしていきたいか...? 
そんなことをモクモクと頭に巡らせて。

だけど、原さんはこんなことを言い出した。

「結局は人ってなにかが知りたいんだよ」
「人の心が読みたいんだよなあ〜」

なんだなんだ、ロバートをどうするの?

ロバートが今後どうなっていくのか具体的な話が見えてこなくて、そのもどかしさに少しムズムズしつつ、企画制作室(原さん、金岡さん、李さん、私がメンバー)のみんなが何を話し出すのか観察しつつ。

そんな中で私たちが列挙したのは、
それぞれが人について抱いている想いの根底。

原さんは、人見知りだけど、
人のことをわかりたい。人の面白さを、人の心を、追求したい。

李さん(ロバートnoteの編集長)は、
人との接し方を模索中で、インタビューなどで相手のお話を聞いていく中で人のことを知っていきたい。


……そして私は?

私は、いろいろな人の生き方を見たい。

人生が一瞬で終わってしまうような焦燥感がいつもどこかにあって、一生のうちに私が関わることができる人も、話ができる人も数少ないと思っている。
だからか、小さい頃から、密着型番組が好きだった。自分の認識している世界の外の人を覗けるような気がして。

情熱大陸だとかAnother Skyだとか、最近ではセブンルールとか。

切り取られる部分はきっと人生の極々一部なのだろう。
だけど、一度きりの人生、その一度きりを他の人はどう生きているのか、生きてきたのか。

そこに私は儚さと面白さと愛おしさを感じるのだ。


それから、愛されているものや場所、人の終焉についても。

私が高校生の時、地元の人に愛されていた焼き鳥屋さんが後継者不足なのか、店を閉じてしまった。

きっと店主はそれでよかった、のかもしれない。内部事情だって本人から聞いたわけじゃない。
だけどファンの1人であった私は結構ダメージを受けたのだ。

どうすればあの焼き鳥屋さんは存続できたのだろう?

お店をSNSとか地方誌に取り上げて広めたり、焼き鳥屋を体験できるイベントを立ち上げて、若者を集めて後継者を見つければよかったのかとか、

1時間目前の朝の時間、廊下のロッカーに寄りかかりながら、そんなことを同級生に話した気がする。

まだ、四半世紀も生きていない私は、長い目で見た時代の移り変わりとか、新しいものへの置き代わりとかいう時の循環みたいなものを受け入れられてないのかもしれない。
だからこそ知りたい。

長くなってしまったけど、
そんなことをみんなで話し合ったのだ。


そして、私は壁にぶつかった。

周りにどういう風に思われたいか、と質問された。

人、という大枠テーマを掘り下げていく1人の編集者として、周りからの受け取られ方はHubロバートのイメージを左右する。

ロバートのキャラクター作りに欠かせない基本設定なのだ。

金岡さん(企画ディレクター、兼、私の教育係)にこの質問を投げかけられて、私の答えは未だ空欄だ。


(Vol.3へ続く
Co-working Space、Hubの話から脱線しているように見えるけどお付き合いください)

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