ストレングス&コンディショニングコーチの行く末

3月で55になる。

私は29歳の時に、アルバイトからこの業界に入った。当時は、トレーナーなるものにも様々な職種があることさえも知らなかった。
しかし、大学は国際関係学科で、選手としてのキャリアは高校まで野球をやっていたが、公式戦出場どころか練習試合に3年間で4試合(それも3回は代打)しか出場しておらず打率は0割。守備機会はゼロ。大学から始めたラグビーでは試合こそ出る機会に恵まれたが、3年時に右膝前十字靭帯と内側側副靭帯と半月板を損傷。4年時復帰するも右ハムストリングの肉離れを4回やり、もはやトップで走ることさえままならなかった。
社会人になりクラブチームにてラグビーを続けるも、24の時に、今度は左膝前十字靭帯を損傷。
結局、29までラグビーは続けるが、自分の理想とするプレーは二度と出来ずに終わってしまう。

そんな私は、土日にラグビーやるために大学卒業から29まで仕事を選んでいた。最初はフリーターで倉庫でコンビニの商品の仕分け作業の仕事。その後、半年ほど健康食品を販売する会社で正社員として働き、この業界に飛び込む前は3年半ほど生活協同組合、いわゆるCoopでトラックの配送員をしていた。

そんな私は、ラグビーを引退するにあたり、改めて自分は何をしたいのか? 自分に問うた。
高校野球部の時に、冬場のトレーニングを教えてくれたOBがいた。そうか、俺はあの先輩のように、スポーツの現場でトレーニング指導をしたいのだと思い、なんの当てもないのにCoopを辞めた。

今、思っても無謀以外の何ものでもないが、私はCoopの有給休暇を利用してる間に、就活を始めた。とは言え、まだ携帯も持っていない時代。
少ない情報の中で、トレーニングコーチとかを派遣している会社にいきつき、募集もしていないのに、ここで働きたいと伝えた。
そんな私をアルバイトからではあるが拾ってくれた。半年後から3年間は契約社員として働いた。
少しだけだが、念願であったチーム指導にも行けることになった。

そんな折り、私はまたもやあてもないのに会社を辞めて個人事業主になった。
最初の年は、月の半分も仕事はなかった。
長男が生まれて1年の時だった。ハッキリ言って妻がフルタイムの仕事をしていたので、なんとか生活できていた。
会社を出て3年目に、ようやく柱となる大学ラグビー部の仕事の依頼を受け、なんと、そこから18年もの間、週4日の頻度で働かせてもらった。
それ以外にも、高校野球部を中心に頻度こそ少ないが10チーム以上に関わり続けている。

そもそも、こんな経歴の私なので、将来のこと(50過ぎてから)なんて考える余裕はなかった。
ただただ仕事がある事がありがたく、18年契約してくれたラグビー部だけでなく、全ての関わってきたチームに感謝である。
何がって、収入を得ることだけでなく、私自身が大好きなことをやり続けてこれたのだから。
どの仕事も来年の保証はない、そんな綱渡りの状態で21年間個人事業主として、なんとかやってこれたのだ。

しかし、そんな運が良いとしか言えない、超楽観主義の私も、昨年からメインとなるチームの指導頻度が週一回になったこともあり、大幅に収入が落ちてしまった。流石に計画性とは無縁の私だが、作夏以降、危機感を抱くことになる。
大してない貯蓄が目減りしているのだ。
10月になり、何人かの人に、「何か仕事があったら、ぜひ宜しくお願いします」と話したものの、今日現在まで、まったく音沙汰がない。
気づけば年が変わり2024年の1月も半分が過ぎてしまった。

かつて味わったことがないストレス。

んー、最悪、違う仕事のアルバイトをするしかない。そんなことも考えている。
つい、先日、そんなことを相談させてもらった方がいる。
「森下さんが、他のアルバイトをするのは、若い人たちにとってよくないですよ」と。
もともと、仕事が無くなったら、他の仕事をする覚悟はずっと持っていた。
ただ気づけば個人事業主としても21年も現場で働かせてもらうことができていた。 
この仕事を始めて間もない若い人から見たら、20年もやっているだけで、凄いですねと言われのも事実である。

自分としても、せっかくここまで色んな経験をさせてもらったのだから、違う仕事をするのは最後の最後とは思っている。
そう言えば、個人事業主となった一年目は、あまりに稼ぎがないので、少しだけ倉庫でアルバイトをした。まだ30代前半だった。

私の仕事はトレーニングコーチとか、ストレングス&コンディショニングコーチと呼ばれるものだ。簡単に言えば、怪我をしないためと、それぞれの競技のパフォーマンスを向上させるためのトレーニングを処方していくものになる。
一方、アスレティックトレーナーとかメディカルトレーナーと呼ばれる、怪我人のリハビリやテーピングなどを処方するのがメインの人もいる。
そして、鍼灸や柔道整復師のような国家資格を取り、選手の治療をする人もいる。

おそらく、この中でもトレーニングコーチという職種が歳を重ねていった時にやっていけるかどうかが厳しいのが現状である。
40年以上、現場に立ち続けている人は下手すると日本ではまだ数名かもしれない。
30年以上のキャリアの方も、そう多くはない。
私の知っている方でも、若い時はトレーニングコーチだったのだが、途中から専門学校に行き治療家になっている人もいる。
あるいは、専門学校や大学の講師になっている方も多い。

私の夢は、生涯、現場でトレーニングコーチをするというものなのだが、55を目前に控えて、今、まさに黄信号が点滅している。

さすがに、昨年秋から私も二つのことを始めてはいる。

一つは、仕事が減った分時間があるのて、その時間を自分を鍛錬するものに充てている。デモンストレーション能力を高めることは、現場ではむちゃくちゃ大事になる。45過ぎてからは、もう自分のトレーニングはそんなに頑張らないでいいだろう、俺が出来なくても選手ができることが重要なのだからと言い訳していた。
でも、せっかく時間があったので、ウエイトリフティングの日本チャンピオンに7回なった方のパーソナルセッションを受けたり、秀徹という身体操作を鍛える会に入門して、日々トレーニングに励んでいる。
とは言え、これらはむちゃくちゃ奥深く難しいのだが、面白いのである。ハッキリ言って選手に教えるため以上に、自分自身の身体と向き合って鍛える時間が最高に楽しい。
まさか、55近くになって、こんな喜びを味わえるとは思ってもいなかったが。

もう一つ始めたことは、現場の仕事以外への活路を模索し始めてたことだ。
昨年秋に知人の力を借りてオンラインの野球指導者向けのムーブメント向上スキルセミナーを開催させてもらった。
予想以上に多くの方に参加して頂き、かつ受講生から喜びの声を聞くことができた。
かつてないほど準備して臨んだセミナー。これは、私自身の今後の可能性を感じられたものになった。

長々と、私がこの仕事を始めた頃から、そしてまさに現在の状況までを書いてきた。

そして、昨日、新たなチャレンジする事を決意した。これは、私にとっては、生涯トレーニングコーチで現場にいるための大きなものになる。
不安が無くなったわけではない。
しかし、今は、ワクワクの方が大きい。

さてさて、半年後、1年後に、このチャレンジの成果を報告できるよう頑張りたいと思う。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?