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「第6章 一番美味しかったのは、漁師のまかない料理だった」アントニオ・タブッキの「レクイエム」で巡るリスボン

主人公が乗り込んだのは電車、カスカイス行のコンボイオ。私が国立古美術館に行くときに乗ったのと同じ、カイス・ド・ソドレからカスカイスに続く「A linha de Cascais」(カスカイス線)だ。

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この線は、ポルトガルに行くたびに、時間があるとよく乗った。車窓のテージョ川や、ベレン地区の歴史的建造物、4 月25 日橋、エストリルの海岸線などを楽しみながら、30分ほどでこじんまりとした可愛い海辺の街に着く。気軽にリゾート気分も味わえる。

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初めてカスカイスに行ったのが1999 年。このときはカイス・ド・ソドレからではなく、シントラ→ロカ岬→カスカイス、つまり北からリスボンに向かう道程、路線バスの旅だった。まったくの一人旅で、それも最終日、シントラからロカ岬までバスで向い、岬では次のバスまでの1 時間、「地終わり海始まる」点に立ちつくす以外することもなく、そしてカスカイス行きのバスに再び乗った。とにかくよく揺れるので、みごとに車酔いをした。


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カスカイスに着いたころは気分も落ち着いて、特に何かするということもなく街をぶらぶらする。10 月初めのリゾート地は賑わいはあるものの夏ほどではない。そろそろ電車に乗って、リスボンに帰ろうかと駅へ向かう海近く、通りかかった建物あたりで何やらいい香りがする。

そこは、漁師さんたちが共同で使っている漁師小屋みたいなところだった。そこで、ワイワイまかない料理を準備し始めたグループがいたので、「写真撮ってもいいですか?」と声をかけてみた。するとリーダー風のおじさ
んが「食べて行けよ」と言ってくれて、すでに旅の客となってその場に馴染んでいたアイルランド人のお兄さんと一緒に、ご相伴に預かった。

漁師さんたちのまかない料理は、魚のスープだった。白身の魚、いろんな野菜(ジャガイモ、トマトなど)を、オリーブオイル、ニンニク、白ワイン、粗塩で煮込んだ、とてもシンプルな料理だが、とにかく魚は新鮮だ。パンをお皿にして食べるやり方も教えて貰った。「はらわた抜いてないから取れよ」と言われたが「私、はらわた好きなんで」と気にせず食べていたら、「変なやつだな」と笑われた。「腹いっぱいになったら残してもいいんだぜ。後は猫とカモメの飯だからな。」

そのあと、近所のバールに皆でビールを飲みに行く。ずーっと一人で旅をしてきて、ずーっと一人で食事をしてきて、人恋しくなっていたのか、随分と大胆なことをしたものだ。その日は誰とも口をきいていなかった。その朝シントラで、日本人の女子二人連れに話しかけたら、見事に無視されていた。もしかしたら、このひとときがなかったら、私は再びポルトガルに行くことはなかったかもしれない。そうすると、その後の私の人生はかなり違った方向に向かっていたことになる。

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このエピソードには続きがある。2002 年に再びカスカイスを訪ねた。ピーカンのアレンテージョからやってきたのに、海辺の街は大雨だった。漁はお休みで漁師小屋には誰も居ない。あの時のお礼を言いたくて、あの漁師さんのことを漁師小屋付近にいた人たちに尋ねてみた。ところが、せっかくこの時の写真を持って渡葡したのに、それを入れたバッグをリスボンのロッカーに置いてきてしまったことに気づく。リーダーのおじさんの名前は憶えていたものの、日本でいうと「ヒロシ」くらいによくある名前で、結局この人を見つけることができずに、街を去った。

話はまだ終わらない。2006 年、もう「どうしても会いたい」的な気持ちはなかったものの、一応はリベンジしてみようか、とあの写真を手に今度は春のカスカイスへと、今度は家族で出かけた。そう、奇跡のまかない料理から7年、私には新しい家族ができていた。

漁師小屋近くで、漁師さん何人かにその写真を見せるや否や、「ああ、xxだ」「バーにいるよ」「今から連れてってやるよ」
感動の再会とはならなかった。彼は私のことを覚えてなかったのだ。でも、こうやって訪ねてこられたことが嬉しかったのか、明日まかないをもう一度食べに来いよ!と誘ってくれた。

翌日、こちらも途中でビールを買い込んで出かけたのだが、残念ながらその日は不漁で、まかない用の材料が残せなかったとのこと。おじさんは、なかなかそれを私たちに言い出せず、とてもバツが悪そうにしていたのが逆に気の毒だった。新しい家族はそんなハプニングも気にすることはなく、こういう旅先での出会いに立ち会えて楽しかった、と言ってくれた。

2015 年に夫がカスカイスに行ったとき、あの漁師小屋は取り壊されていて、もうなかったそうだ。どこかへ移転したとかだったらよいのだが。

さて、レクイエムの主人公の目的地は「灯台」なのだが、カスカイスには「サンタマルタ灯台」、その北に「Cabo Raso灯台」がある。なんという灯台かの記載はないが、主人公は昔そこに1年ほど住んでいた、と灯台守の奥さんに語る。

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Lighthouse Museum view in Cascais. Portugal
Photo by Carlos Correia on Unsplash

そして、彼は再びリスボンへ戻る。そう、カスカイスは「日帰り」の街なのだ。

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