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「第4章失われた人々、そして食事の時間」アントニオ・タブッキの「レクイエム」で巡るリスボン

アルカンタラ桟橋で主人公は、「カパリカ海岸」へ行く人の多さにうんざりだ、と語った。ところが、プラゼーレシュ霊園にある、古い友人の墓の前に飾られていた写真の背景が、やはり「カパリカ海岸」であることに気づく。

カパリカ海岸(Costa da Caparica)は、テージョ川が海に出て南側に広がる海岸線にある。さらに南に下れば、Praia da Mataというビーチなどもある。なので、夏になればここはリスボンはもちろん近辺からの海水浴客で大賑わいとなる。

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リスボンからカリパカ海岸へ出かけるには、地下鉄「Praça de Espanha」駅前のロータリーから、「Transportes Sol de Tejo(TST)」(南テージョ交通)のバス153 に乗る。30 分程度の小旅行だ。終点でおりる。チケットはパスロータリーの一番手前のボックスで買うか、バスに乗るときに買う。3 ユーロ強だったと思う。(2014年時の情報です。)

バスは4月25日橋を渡り、車窓から「クリスト・レイ」の姿を拝むこともできる。

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日本のような海の家的な建物はないので、身ひとつで出かけると、こんがりと揚げられてしまう。パラソルとチェアを借りた。2つ借りるのいくら?と訊いてみると12ユーロ( ビーチが閉まる17時まで、という非常におおらかな時間設定)で、一人6ユーロなら安いね、ということで。

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訪れたのは8月の終わり。大西洋波高く(サーフィン向きだ)、水冷たすぎではあったが、初めてポルトガルで海につかることができて、それだけで満足して帰ってきた。多分シーズンのみ開いているレストランで、イワシのグリルをいただいた。

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ただ、物語の中では、主人公である「私」は、カパリカには行くことはない。

「やあ、タウデウシュ、ぼくは来たよ。こうして君に会いに来たんだ。」

霊園で、最初の「失われた人」、古い友人タデウシュが、彼自身の墓の前での「私」の呼びかけに応え、現れる。

タブッキの他の短編にもタデウシュという人物がたびたび登場する。イザベラという女性も同様(この物語にもこの後現れる)。あたかも古い友人に出くわしたかのような邂逅が、タブッキの小説を読んでいるとよくある。また違う意味での、「旅行小説」なのかもしれない。

タデウシュと主人公は、彼のなじみの食堂で、伝統的なポルトガル料理を楽しむ。料理についての説明は、小説の最後尾に「本の中で食される(あるいは紹介される)料理」として載っている。(「イタリア語版訳注」よりとなっているのも面白い。)

日本でも、本の中にリストアップされている料理のいくつかを味わうことができる。「フェイジョアーダ」などはブラジル料理の方が有名だが、ポルトガル版はまた違った味わいがある。「アロース・デ・タンボリル」は、アンコウのリゾット。イタリアのリゾットより水分が多く、日本の雑炊に近いかもしれない。アンコウの出汁がよく効いている。量が多いのにはまいるが、これはもう致し方ない。

さて、亡霊の一人タデウシュと別れた後、彼が紹介してくれた「ペンション・イザドラ」で休息を取りに行く。多分原文はペンサオンなんだろう。ここはポルトガル語読みにしてほしかった。ポルトガルの「ペンサオン」は、日本でなじんでいる「ペンション」と呼ばれるカテゴリーの宿泊施設とはかなり違う。リーズナブルはホテルといったところか。ポルトガルに旅し始めたころは、ペンサオンをよく利用していた。初めて泊ったのは「アリカンテ」といって、当時はペンサオンのカテゴリーだった。今調べたら、ホテルアリカンテに変わっている。ペンサオンは通常食事のサービスはないが、現在は居心地のよさそうな食堂があり、ああホテルになったのかと納得する。外観はあまり変わっていはいないが、内装はグレードアップしている。もともと部屋は広く、天井も高く、居心地のいいところだった。

ホテルアリカンテ

再び、物語へ。
このペンサオンで主人公は、もう一人の亡霊「亡き父」と言葉を交わす。生きている時には聞けなかったこと、話したかったこと、その機会を私たちは分かっていながらやり過ごして生きていく。失ってからしか感じることのできない感情が、「サウダーデ」なのか、と思う。

「二度と会えない人」「二度と戻れない場所」「今ここにないもの」「今ここにいない人」への感情「サウダーデ」が具現化されていく、小説「レクイエム」の真骨頂である。


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