高沢英子

1930年伊賀上野生まれ。京大文学部仏文科卒、著書「アムゼルの啼く街」芸立出版「京の路…

高沢英子

1930年伊賀上野生まれ。京大文学部仏文科卒、著書「アムゼルの啼く街」芸立出版「京の路地を歩く」未知谷「審判の森」未知谷。元日本民主文学会会員。2020年まで月刊俳誌「芭蕉伊賀」に随想寄稿。メールマガジン「オルタ」にメイ・ギブス「ガムナッツベービの冒険」翻訳寄稿中

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  • 徒然草とともに

    徒然草をひもといて中世、京の都と、変らぬ人の心を 味わい楽しんでみませんか。

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    詩集

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    久が原での日々の生活記録

  • コラム:芥子の花:

    これまで、あまり知名度の高くない機関紙などに、書いてきた随想・短文コメントのたぐいの写しが段ボールで眠っています。棄てがたいものもあるので、アトランダムに発表することにしました。予定は、土、日の朝、2000語前後を目標に書くことにしました、生きものたちと共存してきた記録を中心にまず始めます。

  • 風の翼(コラム)

    グレングールドがどこかで、”詩人の恋人たちのように気まぐれな呟きを風の翼に乗せて・・・、と話しているのが妙に気にかかり、使ってみることにしました。

最近の記事

徒然草をひもといて 5章㊶

 先日,215段で、宣時朝臣の老いの語りが、ほっこりしていい感じだったので、コメント紹介して投稿しようとしたが、なぜか、どうしても受け付けてもらえない。字数制限の規約が表示され、それによると題名の字数制限255とか、何度か縮めて見たが、だめらしい。今回もどうなるかと思いつつ、書くことにした。  時代は時頼公のときの話、鶴ヶ岡八幡宮参詣の機会に足利義氏公-これも入道の肩書付の方でーの邸に立ち寄られて接待を受けられた。  接待は三献に渡り、鮑、海老  かいもちい(餅飯、またはカキ

    • 徒然草をひもといて 5章㊴211段よろづのことは頼むべからず。・・・

       ここでいうよろずの事、とは、生きていく上で、ひとが、頼みにすること全般を指しているのは云うまでもない。まず勢力、次に財力、続いて身についた才能や徳、あるいは君主の寵愛、または従僕などの信頼、ひとの志、約束ごと、などなどとおおよその依存条件が並べられている。  しかし、学者によれば、古代インドの哲学ヴェ―ダンタは「条件付きの幸せは形を変えた不幸である」といっているそうで、よく考えれば確かにそう云えると思う。  それなら一体どうすればいいのか?といえば、兼好法師によれば「身をも

      • 徒然草をひもといて 5章㊳206段

         203,204,205段と、古いしきたりや、取り決めが、時のながれと共に、忘れられたり、簡略化され、心得ている人も無くなりつつあることをなんとなくおしみつつ呟き、筆をとって徒然なるままにあれこれ書き留めている故老を彷彿させる段が続く。  さて、そのはてに、ちょっとおかしいのが、206段に登場する検非違使自邸の使庁舎で起こったアクシデントである。    検非違使といえば、もともと平安時代からあって、当時はいまでいう警察と検事局を兼ね備えたような役職で、風俗の取り締まりばかりで

        • 徒然草をひもといて 5章㊲

           196段から201段までは、日本ばかりでなく中国伝来の故事来歴、宮廷や寺社での儀式の取り決め、古来の言語的表現などを糺す段がつづく。時と場合によっては、参考にもなり、大切で有効なことだったと思うが、現代には、もうあまりかかわりのないことも多く、割愛して,202段に進む。  202段で問題にされているのは、神無月という名称だ。10月は当時もいまも神無月と呼ばれ、出雲大社に八百万(やおよろず)の神さまが集まる月だと言われたりしているが、実はこの月が、神事に憚る、というようなこと

        徒然草をひもといて 5章㊶

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        記事

          徒然草をひもといて 5章㊱

           前号㉟で、久我家の貴人が、木造りの仏像を、下着姿のまま田圃の水で洗い清めていた、という逸話についての法師の見解を紹介した。けれども言葉が少し足らず、誤解された向きもあった。  実はこのお話は、かつては由緒ある家柄の当主として内大臣をも勤められた方が、供もなく白昼の野で、異様な振舞をなされ”心得難く見るほどに”云々”その家の家来たちが急いで連れ戻した、と、ある人が語っていた、というむすびになっているのだが、これをもう少しわかりやすく云うと、実は心を病んでいる貴人、そしてそれを

          徒然草をひもといて 5章㊱

          徒然草をひもといて 5章㉟195段

          195段、当時洛南にあった、高位の貴族久我家の荘園でのできごと、当主の元従一位内大臣は、1240年生まれ、1288年に退職し1308年世を去られた、と伝えられているから、法師とはちょうど一世代ずれている。実際に目撃した話ではなく、ある人の語りという形式である。  繩手通りに面した田のなかで、下着に裾の広い袴を着た姿で,木造の地蔵を田の水に押し浸し、ていねいに洗っておられた方がいた、そこえ、公卿の用人たち2,3人が狩衣姿で駆けてきて「ああ、ここにおいでになった」と叫んで、連れ

          徒然草をひもといて 5章㉟195段

          セツ、日々のの読書感想 (1)

          2023年8月3日 ❝旧約聖書、創世記、第1章❞日本語訳より “初めに、神が天と地を創造した。地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の靈が水の上を動いていた。  神は仰せられた、「光があれ」すると光があった。”  つづいて、❝老子、第25章❞小川環樹訳より、を読む “物有り混成し、天地に先立って生ず。寂兮たり寥兮たり。 独り立って改わらず、周行してしかも殆れず、以て天下の母たるべし、吾其の名を知らず。これに字(あざな)して道とう。”云々、 読み比べてみて、そして

          セツ、日々のの読書感想 (1)

          徒然草をひもといて 5章(34)達人の、ひとを見抜く眼は時代をへだてても……

           この台詞は「少しも誤るところあるべからず」といいう言葉へつづくのだが、あるべからず、というかぎりり「少しでもあってはならない」という意味で続いていくのかと思えば、そうでもないらしい。つまり、人を見る眼というかぎり、相手がどういう人物か、見抜く眼、がなければならないとつづくのかと思いきや、 およそ10項目にわたって、世のなかで、様々に語られる、あることないことの虚言を、どのように受け止めるか、その受けとめかたの人それぞれを細かく分類してみせ、結論として、、愚かな者同士のざれご

          徒然草をひもといて 5章(34)達人の、ひとを見抜く眼は時代をへだてても……

          徒然草をひもといて5章(33)191段続 さしてことなるなき夜……

           陰影礼讃の続きは、さほど事もない普段の夜、みやこの、宮廷あたりに、さりげなく出入りする男女の風物詩、 まるで、目に見えるように、艶やかに描く法師の筆にはかなわないながら、ところどころ現代語に直しながら、描き写すと、夜もふけて、参内したひとが〃きよげなる〃こざっばりした身なりなのは、じつによい。若い人同士互いに関心をもって見ているばあい、時間は関係なく、とくに気を許してしまいそうなおりふしも、時と場合にかかわりなく、身だしなみには心配りは“あらまほし”であろう。 身分ある佳い

          徒然草をひもといて5章(33)191段続 さしてことなるなき夜……

          徒然草をひもといて 5章(32]191段「夜には入りて……」

           物のはえなし」という人、とつづく。そして兼好法師はそういう人を「いとくちをし」とこきおろす。なぜなら、かれによれば、すべての物の綺羅、飾り、色合いなどは夜だけこそ素晴らしいのであって、昼は簡略で落ち着いたすがたでもよかろうが、夜は綺羅びやかで華やいだ装いがとてもよいものだ。人の様子も夜の火影のもとでは、佳きひとはなおさらよく、ものなど言う声も暗がりで聞くと、気配りある言い方は心憎く惹きつけられる。匂いも、ものの音も、ただ夜こそ、ひときわ素晴らしい。  というのが、この段の最

          徒然草をひもといて 5章(32]191段「夜には入りて……」

          徒然草をひもといて 5章㉛190段     妻(め)というものこそ、・・・・

          徒然草をひもといて 5章㉛190段     妻(め)というものこそ、・・・・

          徒然草をひもといて 5章㉚189段今日はこのことをなさんと思えども…

           誰しも経験していることと思うけれども、わが法師も同じ,”あらぬいそぎ、まず出できて、まぎれ暮らし”ということになり”待つ人は障り有りて、頼めぬ人は来たり”・・”日々に過ぎ行くさま、かねて思いつるには似ず、一年の中もかくの如し”、どころか、やがて”一生の間もまた、しかなり”ということになる、と。  しかし、ここで法師は筆先を一変させて云う。  とはいうものの、かねての思惑がみんな違うかと思えば、そうでもなくうまくいくこともあるので、物事は、いいとも、うまくいかないとも定めがた

          徒然草をひもといて 5章㉚189段今日はこのことをなさんと思えども…

          徒然草をひもといて 5章㉘188段最終

           188段、いよいよ最終回、約4ページに及ぶ訓戒は、いちおう社会的な立身出世談議と云えないこともないが、むしろ、真に人間たる高い意識の上での生き方の指南として、耳を傾ける意義は、数百年を経た今でも十分ある、と考えられる内容である。  まず”一事を必ずなさんと思わば、他の事の破るるをもいたむべからず”とした上で、さらに”人の嘲りをも恥ずべからず”と書きしるす。そして”万事に代えずしては、一の大事なるべからず”と、きっぱり言い切って、ひとつのエピソードを出している。  それは、あ

          徒然草をひもといて 5章㉘188段最終

          徒然草をひもといて 5章㉘188段続

           人は生きていくうえで、抱いた夢を実現し、事を成し遂げるには、いかなる心がけ必要かを諄々と説いてきた法師は、まずふたつの例を挙げる。     最初の例は”碁を打つ人”で一手もいたづらに無にせず、相手に先立って小さな利のある石を捨て、大きな利のある石を取るようなものだ。その場合三つの石を捨て、十の石をとるのはやさしい。けれども十の石を捨てて、十一の石をとるのはむずかしい。一つでも利の大きい方をとるべきなのに、石が十までになってしまうと、惜しくなって、それほど利のある石とは替えに

          徒然草をひもといて 5章㉘188段続

          徒然草をひもといて 5章㉗188段ある者子を法師になして・・・

           ある親が、子どもを法師にしたのはいいが、”学問して因果律のことも知り、説経などをして世を渡るたつきとせよ”と教えさとした。  子はその教えの通り説経師になろうと、まず馬の稽古をした、というのも、車も馬も持たない身で、導師として呼ばれ馬を迎えによこされたとき、下手な乗り方をして落馬したらみっともない、また、仏事のあと、酒などすすめられても、無下に能のないのも施主は興ざめであろうと、近ごろ流行している早歌というものを習った。  こうして、この二つの技と芸がようやくできるようにな

          徒然草をひもといて 5章㉗188段ある者子を法師になして・・・

          徒然草をひもといて 5章187段

          177段以降、昔の言い伝え、有職故実、また私の小学校時代「修身」という教科で習った北条時頼の母、松下禅尼の障子紙節約論など、少し飛んで、187段の訓戒をひもとくことに、”よろづの道の人”という書き出しで始まり"たとえ不堪(かん)なりとも”ここでいう「不堪」とは下手という意味だが、そんな人でも、先祖代々それを家業にしている家に生まれた人は、そういう家の生まれではない素人の上手な人物と並べて、必ずそれよりまさっている、とし、そのわけは、常にたゆまず謹んで軽々しくしないこと、と素人

          徒然草をひもといて 5章187段