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今だからこそ再評価したいゲーム 『FarCry 2』は本当に”クソゲー”なのか?

子どもの頃になけなしのおこづかいを握りしめてゲームを買いにいったドキドキ感は、すべてのゲーマーに共通する思い出だろう。僕にとってそんな思い出のゲームがXbox360であり、今回紹介したい『FarCry 2』だ。

『FarCry 2』はアフリカの広大な土地を舞台にしたフリーローミングスタイルのオープンワールドFPSだ。ミッションを受注し、目的地に移動し、完遂する、というサイクルでゲームを進めていく。プレイヤーは内戦の黒幕である武器商人を、両勢力の傭兵という立場を利用して探し出し抹殺するという大きな目的がある。が、まあ、現地の民兵と戯れたり太陽が照りつけるアフリカの地を歩き回ったり、何をいつどうするかはプレイヤーに任せられている。

正直なところありきたりなゲームだ。

だがその内実は、発売してから常に賛否両論を巻き起こしている、いわば問題児だ。たしかにこのゲームは欠陥という欠陥にあふれている。しかしその一方で他のゲームを凌駕する懐の深さも持ち合わせている。だから今作の評価は「名作」と「クソゲー」の両極に分かれがちだ。そしてそれを断定することは非常に難しい。

しかし僕はこの『FarCry 2』を、知る人ぞ知る、いわゆる「隠れた名作」なのだと自信を持って紹介したい。オープンワールドゲームが国内にも広く普及してきた今だからこそ、だ。

前置きが長くなった。本題に入ろう。

僕たちプレイヤーの本当の敵とは

先述のとおり、今作はアフリカを舞台としたオープンワールドゲームだ。きれいな景色と広大な土地がプレイヤーを待っている。とはいえいくらサバンナを歩き回るのが好きでも移動はできるだけ短縮したいだろう。そんなときに頼りになるのがファストトラベルなのだが、マップの広さに対して移動できるポイントは少ない。それに加え所定のポイントからしか使用できないので、プレイヤーはファストトラベルのための移動、という二重苦を味わう。

だからプレイ時間の大半は移動に費やしがちだ。そして、その移動パートにも頭を悩ませる部分がある。それが、敵の詰め所の存在だ。

この詰め所――つまるところの敵のリスポーンポイント――はマップのいたるところに配置されている。大げさでも何でもなく、どこへ行くにしても少なくとも1箇所は通過しなければいけない。その割に、そこにいる敵を全滅させてもマップのアイコンがちょっと変わっただけでなんの意味もない。そしてその場を離れればすぐに敵が復活してふたたびプレイヤーの行く手を遮るのだ。

何よりどうしようもないのがマラリアだ。正確にはマラリアの進行をおさえる薬なのだが、プレイヤーは一定時間ごとにこれを飲まなければいけない。そして同時にいつなくなるかわからない焦りとも戦わなければいけない。新しい薬を手に入れるためにメインとは別のミッションを受ける必要がある。

このようにゲーム側から強いられるミッションはどんな形であれ最悪だ。アサシンクリードシリーズの追跡ミッションなんかがまさにそうだろう。まるで自分のプレイ時間を人質に取られているような感覚になってしまい、退屈な気持ちになる。自分の裁量で決められる部分が多いオープンワールドだからこそ、それが顕著だ。

そしてそれはシステムという面からみても変わりはない。ファストトラベルのために無駄な移動を強いられるのも、詰め所によって単調な移動を強いられるのも、ともに苦痛に感じる。そして次第に、この広大な土地ではすべてのモノがプレイヤーの敵に思えてくる。四面楚歌のなかで僕たちは『FarCry 2』という存在に立ち向かっていかなければいけない。

欠陥がかすむほどの土台の強さ

上記のいわゆる「問題点」は紛れもない事実だ。どこまでも隠しようがないし、ゲームに慣れたプレイヤーならすぐに気づいてしまうだろう。だが、その一方でゲームプレイの基礎となるシューター部分の出来は非常に良い

たとえばその難易度は難しいわけでも簡単なわけでもなく、非常に手応えがあるものに仕上がっている。戦いは基本的に対多数を強いられ、むやみに体を晒すようなプレイでは簡単に切り抜けさせてくれない。敵の視認性の悪さに銃の精度の悪さが相まって、適当に撃っていたらこちらが追い詰められることもしばしばだ。

また敵はこちらの動きに対して様々な反応をする。狙撃から車の陰に身を隠す者、味方と連携してじわりじわりと囲んでくる者、負傷した仲間に肩を貸して回復をはかる者などなど。複雑とは言い難いが、柔軟な動きを見せてくれ、それがためにわざと殺さず足だけ負傷させる、といったような駆け引きがおもしろい。

そして最も印象的なのが、銃の劣化(ジャム)という一見デメリットになりそうなシステムがプラスの働きをしていることだ。銃が壊れることを逆手に取り、プレイヤーに武器選択の機会を与えた。敵の落とした銃を拾って実際に使うことでプレイヤーは使用感をフィードバックすることができ、その後の戦いに幅を持たせることが可能となる。他の武器を使うのか、そもそも多少劣化しても使い続けるのか、などの選択権がプレイヤーにあるという点が良い。

総括すると今作の戦闘シーンは、その導入部となる移動シーンとはうってかわって、幅が広く奥深いものに仕上がっている。そして何より、楽しいのだ。それに尽きる。

だからこそ『FarCry 2』を褒めてあげたい

ここまで見てきたプラスなところとマイナスなところ。その2つが化学反応を起こした結果、『FarCry 2』は他のゲームにない特異点を生み出した。それは、「独りで多数を相手に戦っている」「ゲリラ戦を繰り広げている」という緊張感と没入感だ。

発売当初にくらべオープンワールドゲームの数は大幅に増加し、今や国産ゲームでもよく取り入れられるスタイルとなった。だがそれは裏返しにするとその数が汎濫しているということでもある。特に「本当にオープンワールドじゃないといけなかったのか?」というタイトルが多く見られるようになった。例えば『METAL GEAR SOLID V: THE PHANTOM PAIN』はそのうちのひとつだ。

『FarCry 2』はちがう。今作は明らかに「オープンワールド」を”必要と”していた。敵がいつ出てくるかわからない不安。何かに追いかけられているような焦り。そして長い長い移動を終えた先に待っている、常に自分が不利になる緊張感のある戦い。仮にレールシューターなら同じようにはいかなかっただろう。

そしてこのような「名作」がどれほどあるかは言うまでもない。

おわりに

結局、今作は生まれてくるのが早かったゲームなのだろう。思えば同時期にはオープンワールドでいえば『TES4 Oblivion』、FPSでいえば『CoD4』といった誰にでも分かりやすい名作が存在した。そんな中、短所は見つかりやすいくせに長所は時間をかけないと分からないゲームが、その評価を落としたことは納得できる話だ。

だがその後ファークライシリーズもこの二作品と肩を並べるくらいのバリューになっていく。『FarCry 2』という闇の奥に光があったことは、最後までやり通したプレイヤーに対する皮肉なのかもしれない。

僕は間違いなくあのときアフリカにいた。さあ、君はどうする?


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