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鬼の仏

耳が幸せだと鳴いている。

降り頻る雨が瓦屋根に当たって跳ねる音がなんとも美しく、何度でも聞いていられる。

時は午後2時。京都が誇る世界遺産、仁和寺の国宝 金堂の中に今まさにいる。

この空間において、石畳に当たって跳ねる雨の雫の様子さえ風情溢れるものに早変わりする。

普段一般公開をされていない金堂の五大明王壁画をお目当てに5年ぶりに多くの観光客が押し寄せる。

阿弥陀三尊を守るように1番左端にぽつんと、小さいながらなんとも存在感のある一際目を引く仏像があった。

国宝に指定されている『竜灯鬼(りゅうとうき)』という仏様である。

竜灯鬼(りゅうとうき)


竜燈鬼像は、腹前で左手で右手の手首を握り、右手は上半身に巻きついた龍の尻尾をつかみ、頭上に乗せた燈籠を上目づかいととぼけた表情で見上げている。

口はへの字に結んでおり、たくましい体は青緑色に染まっている。

どんぐり鼻とあどけない目つき、そして尻尾を捕まえられた竜の困ったような表情。

厳しさとユーモラスを巧みに融合せた心憎い神技である。

建保3年(1215)に法橋康弁(運慶三男)が造ったとする書きつけがある。

また、天灯鬼(てんとうき)という仏様と一対(つい)になっている。

天灯鬼は、竜灯鬼とは反対に、肌は赤く染まり、口を大きく開け2本のツノと第三の目を持つ。

灯籠を左肩で担ぎ、実に躍動感溢れる動きをしている。

肌の色がそれぞれ赤と青、動と静とが対比的に表現されたユーモア溢れる鬼彫刻の傑作ともいわれている。

竜灯鬼と天灯鬼とは、頭に担いでいる灯籠(とうろう)で仏教の世界を照らす2体の鬼。

仏様でありながら、鬼というなんとも不思議で魅力的なものである。

この2体の鬼は普段は邪気、いわゆる仏教の敵として四天王に踏みつけられている。

この邪気を独立させ、仏教の世界を照らす役割を与えたものが、竜灯鬼と天灯鬼である。

この2人がペアを組み、お寺の門番のように大切な役目を果たし、互いに両端で仏様を挟み、照らしながら守っているというわけである。

普段は敵である仏様を守る、いざという時に優しい鬼といったところだろうか。

また、仏様だけではなく、私達自身を光の方へ導くための灯籠でもあるともいわれている。

仏様によって、光の照らし方も多種多様に異なる。

ある仏様は一緒に歩み寄るものもいれば、はたまた自身の背中に乗せて光の方へ自ら導くものもいる。

鬼である竜灯鬼は、厳しさ故にか「さあこちらに来い」と言わんばかりに灯籠で私達の行く光の先を照らし、歩み寄りすぎることなく、その場で待ち続けているのである。

そんな光のエネルギーに引き寄せられたかのように、私は随分と長い間竜灯鬼をただただじっと眺めていた。

何か縁がある仏様なのかもしれない。

心の灯籠で他人の心をも温かく照らすことができる、そしてまた、時に慈悲と厳しさを兼ね備えた人格でありたいとも同時に深く感じたのである。

日本人であるが故に五感でこの独特な文化と感覚を感じられることに感謝をするとともに、

全ての生きとし生けるものに等しく幸あれ。

ROGORONA

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