蛇と儀式〜前半〜
「儀式じゃ。」
「儀式?」
「月満ちる時、夕焼けと闇夜が入れ替わるその時間、あちらとこちらの世界が繋がるのじゃ。だがどこでも繋がるわけではない。神聖な場所でのみこの世の理を超える事ができる。例えばここじゃ。」
「神社?」
「そう。お前はばぁちゃんの子だからのぉ。必要な時がくるかもしれん。特別に教えちゃる。」
遠くから烏の鳴き声が聞こえてくる。空は赤々と照り光り、この世を全てを覆い隠そうとしているようだ。
「よぉくお聴き。」
さっきまでうるさかった蝉の声がボリュームのつまみを落としたかのようにスッ、と小さくなる。空が、大気が、地面が、息を潜めてその瞬間を待っている。
「そう、まさに今、夕焼けと闇夜が入れ替わる時、全ての境目が曖昧になる。その時に、核となるものを中心にぐるっと回るんじゃ。くるくると、階段を降りるように。そうしてもう一度入ってきた場所から出る。そうすると」
境内を手を引かれながら一周した。
「すると??」
身体から心臓が飛び出したがっているかのように汗ばんでいた。
「あちらの世界が拡がっておる。」
次の日、ばぁちゃんはいなくなったんだ。
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日常
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「ばぁちゃんがいなくなったって、急に?」
ミクがマスク越しに笑う。息でゴーグルが少しばかり曇っている。
「でもオレ、お前のばぁちゃんの葬式出たぜ?」
「ばぁちゃんの顔、見てないだろ?あの棺桶、空だったんだよ。」
「え、まじで?!家族はなんて言ってたんだよ?」
「こら、テル。詮索しない。サトルも好きで話してるんじゃないんだから。」
「いいよ。僕があのおっきな蛇とばぁちゃんが関係あるかもって言い出したんだから。」
「あいつか。」
テルが指さした先には、街が拡がっている。ビルがところどころ伸びているが下の方は霧で包まれていて見えない。
「そう。」
あの日、ばぁちゃんがいなくなったあの日、僕らの街に大蛇が現れた。暴れるでもなく、人を襲うでもなく、大木を思わせる巨体を直立させてただただ鎮座していた。自分のテリトリーに入るものを除いて。
「もしかしたら、あれ、サトルのばぁちゃんなんじゃね?」
「バカ!」
「ミク、いいよ。うちは神社だから。あり得ない話じゃないさ。」
どんな銃器だってあの怪物には敵わなかった。普段はおとなしいあの蛇も、ひとたび敷地に敵が入ってくるとおぞましい化け物の顔を覗かせた。そのうちに大人はみんな諦めて、受け入れることにした。
1度目の諦め。
「もういいじゃん、その話はさー。ね、それよりさ、今日の夜ライブいかない?あそこなら屋内だし、このマスクもつけなくて済むよ。」
あいつが現れてからしばらくして身体から霧が発生した。そのうち霧は街を覆うようになったけど、僕らには何も別状をもたらさないように見えた。2.3週間経ったころ、高熱を出す人が出てきた。そして必ず亡くなった。マスクをして街の出入りを制限する事で受け入れた。
二度目の諦め。
「今日ってバシェのライブだっけ。ほんとに最近ビッグネームが来る様になったよなぁ。」
「わたし、封鎖されてからのこの街、好きよ。新しく大きなショッピングセンターも出来たし。ライブには大物が来るようになったし。」
「音楽好きなサトルとミクにとっては最高だよな。」
僕らの街は首都圏に隣接している。夜だけしか帰ってこないが、人口だけみるとかなりの数だ。そのかなりの数の人たちが閉じ込められたのだ。当然経済活動は止まると思われる、それに伴い補助金も投入された。
そうすると一店、また一店と飲食店が出来始めた。ついにはライブハウスや劇場といった娯楽施設が立ち並び、国内随一の歓楽街が出来上がった。
物流、人流を制限された故に出来上がった経済特区だ。
「じゃ、今日の19時集合ね。遅れるなよ。」
「遅れるとしたらお前だろ。サトルはどうする?」
「僕はもう少し、さんぽして帰るよ。」
「おっけ。じゃああとでな。」
二人が戯れあいながらダムを迂回して降りていく。その光景が微笑ましくて、愛らしくて、ちょっとさみしかった。
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変化
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ギラギラと光るネオンが地面に反射する。ぐっと冷え込んだ空気が、濾過装置を通じて鼻に流れ込む。
「さぁ、あなたも、その一歩を踏み出そう。」
「いやー、最近ほんとにさむーなってきましたねー。こないだもライブで僕がギャグを会うたんびにどんどん肌寒くなってきましてね。」
「あんたのせいやろ!」
「お土産に、たっぷりチーズのフロマージュを。」
人の通りが増えると広告が増える。それを象徴するかのようにこの街では至る所に宣伝が流れるようになった。噂では首都圏よりも広告費は高くなったようだ。
ゴミが散らばる路地裏を抜けると裏通りに出る。都会の喧騒が一瞬だけ音量を下げ、雨音がひたひたと聞こえてくる場所に入り口への階段がある。
「サトル!」
急に後ろから声をかけられた。
「時間通りだな。さっさと下降りようぜ。」
「ミクは?」
「遅刻かな。」
「結局ミクか。」
「ま、そうカリカリしなさんなって。」
そういうとテルは僕の手を引いて入り口へと進む。薄暗い階段がかなり続く。ひんやりとした空気が壁から跳ね返ってきて身体を刺す。下まで降り切ると分厚い扉が僕らを待ち受ける。
扉を開けると、そこは別世界だ。
「遅かったね。」
「ミク、先に入ってたのかよ。遅刻かと思ったぜ。」
「あんたたちが遅いのよ。」
「お客様、そちらで立ち止まらず中の方までお流れ下さい。」
エメラルド色の光があたりを包み、薔薇色の絨毯から跳ね返ってくる。全面が窓になっていて、右を向くと海岸線の向こうには夕日が沈んでいる。反対側では砂漠が広がっていて、岩岩の間から朝日が登っている。
「もう景色は見飽きてるでしょ。さっさと奥に行きましょ。もうショーがはじまるよ。」
「まって、まだチケット買ってない。」
「もう3人分買ったわよ。転送しといたからそのまま通れるはず。」
「まじか、めずらしい!ミクのおごりか?」
「ばーか。あとでパンケーキ奢ってもらうから。」
「なんだよ。せっかく見直したのに。」
そう言いながら僕らは奥の窓に手を添える。真ん中に赤い閃光が走ると二手に別れると廊下が現れた。暗がりの中、奥へ進むと道が開けてくる。眩いばかりのシャンデリアと共に心地よい弦楽四重奏の音が聞こえてくる。
「あたしらにはここは早いでしょ。お目当ては、こっち。」
ミクはバカラとポーカー場の間を抜け、壁に手を当てた。薄緑のセンサーが僕はをスキャンする。壁の上には"3"の数字が浮かび上がる。
「楽しみね。」
ミクが入ると数字は一つ減る。
「サトル、行くぞ。」
そう言って壁の中に消えていくと、数字はまた一つ減った。
いつも変な気分だ。僕は変わっていないのに周りだけがどんどん変化する。こんな場所じゃなかった。こんな街じゃなかった。なぜかみんなその変化に喜んで、順応して、変わっていく。いつのまにかばぁちゃんもいなくなった。三人の関係もいつか終わってしまうんだろうか。世界が僕を置いていく。
壁を抜けると、そこはライブハウスだ。
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日常の非日常
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落ち着いた灰色のかべに落ち着いた白の照明が落ちている。部屋の中にはパイプ椅子が置かれ、ステージは無造作に置かれながらもいまかいまかと出番をまつ楽器が置かれている。
ドリンクを片手に歓談する人を尻目に、ミクは前の方を陣取る。
「また一番前かよ。バシェの音はでかいんだから後ろの方でもいいじゃん。」
「何言ってんの。でかいから近くで聞くのよ。全身で感じるの。」
クロード・バシェ。世界的なトランペッターで中々日本に来る事は無かった。新しいものとして知られる彼にこの街は面白く映ったようだ。それだけじゃない。法外なギャラが支払われているはずだ。僕らは自由を失った。けれども新しい世界へ触れる切符も手に入れた。新しい広告。新しい建物。新しい技術。国の新たな実験にされながらも、僕らは新しい刺激を受け入れている。
「始まるよ。」
会場が暗くなる。人影が動く。ほのかに照明が差し込んできてひとりの人物を照らし出す。バシェだ。おもむろにソロが始まり、官能的な響きが場を包み込む。
音が肌にまとわりつく。息遣いが研ぎ澄まされていく。トランペットの動きに合わせてパーカッションが入り、ベースが合流する。グルーヴが会場全体を巻き込み渦を作り出す。劇場の鼓動が早くなる。風が舞い込んでくる。音色がますます輝きを増し、優雅に空間を拡げていく。音圧が身体の奥まで達して、ハイツェーが隅々まで響き渡る。
「ここだ。」
その瞬間、壁という壁が割れ、天井も床も全てが砕け散った。僕らは大空のど真ん中に放りだされ、どこまでも続く地平線を望んだ。曲は最高潮を超え、ゆるやかなセクションに入る。目下には真っ青な海原が広がり、カモメたちが横を飛ぶ。
ふと横をみるとミクが笑っている。テルも楽しそうだ。僕らはしばらく空中浮遊を楽しんだ後、島へ上陸した。曲はコーダに入り、バシェがソロで締めた。
「Thank you for coming today.I'm so thrilled to play here. This brand-new set is amusing me a lot. Hope you guys too. ANYWAY 楽しんでいってください!」
バラードが始まる。砂浜はだんだんと海を包み込んでいき、あたり一体が陸に変わっていく。なめらかな旋律に寄り添うように下からは草が生え始め、向こうのほうには森ができ始める。ギターが弾き始めると日はかげるはじめ、あたりはグッと暗くなる。見渡す限り、あじさい畑になるとうっすらと花びらの間から光が漏れる。
「この時間が、好きよ。」
ミクがそっと耳元でささやく。プログラムは終盤にさしかかり、光の球がそこら中に灯り始める。風がふくと、花は戯れ、絨毯の如く光も揺れた。日はとうの昔にくれ、満月あかりに包まれている。花の甘い匂いが充満する。最後の曲の最後のフレーズ。バシェの周りを蛍が包み、その光は星空のかなたへと消えていった。
「Thank you.」
曲が終わると割れた壁が戻ってきて、元の会場へと戻った。熱のこもった拍手で終わった。
外に出るとあたりのネオンは消えていた。雨上がりのように水分を含んだ空気がまとわりつく。
「よかったね。」
「うん。」
「わたしさ、美術館作りたい。」
ミクは真剣な眼差しをしている。テルは驚いた顔をする。
「人を感動させたいの。なんか、嫌なことっていっぱいあるじゃん。色んなとこに行きたくても行けなかったり、好きな人に直接会いたいけど会えなかったり。でもね、わたしさ、音楽とか絵とか、すっごい物見たら、あー、やっぱ生きててよかったなって思うの。この瞬間の為にこれまで頑張ってきたんだ。この瞬間を味わう為に今ここにいる。全てが報われる気がするの。」
そう語る顔はマスク越しでも輝いて見てた。その瞳はずっと未来を見通すように澄んでいて、心の底にたまる澱を透過する。
「だから私は美術館を作る。来た人も、発信する人も幸せになる場所を作るの。こんな時だから、こんな状況だから。私は私に出来る事をする。だから二人も協力して欲しい。」
「しゃーねーな。じゃあおれはサポート役だな。この中の、いや、この国の誰より偉くなって全力で支えたる。お前らがやりたい事精一杯出来る様に、幅きかせたるわ。」
「偉そうにならんといてな。理不尽になったらすぐクビやで。」
「なんでお前に首にされるねん。逆やろ。せいぜい支えがいがあるくらいおもろいもん作れよ。」
「サトルは?」
「僕は」
二人が幸せならそれだけでいい。それが僕にとっての世界だから。だからどうか、神様、壊さないでください。
「なんだよ、黙って。」
「ごめん。」
「変なの。サトルはなにしたいのよ。」
「僕は、ただ一緒にいたい。二人と。」
驚いたように二人と顔を見合わせる。それから堰を切ったように笑い出した。
「サトルらしいや。いいよ、一緒にいてあげる。ずっとずっと一緒。そしたらな」
ミクはそういいながらバックから何かを取り出す。
「二人にプレゼントがあります。ちいさい時に、ホタル見に行ったの覚えてる?あの時、私らは命の大切さ、儚さを知った。さすがにホタル入れるんは可哀想やからお花が入ってます。ずっとこのまんまじゃないけど、いつか枯れるからこそ、大事にしたい。それが命だから。」
小さなガラス瓶にドライフラワーが一輪入っている。
ガラスの表面から照り返す光は僕らの未来を祝福するようにきらめき、これからくるであろう将来をうつくしく彩っているようだった。僕らは心の底から夢を追っていた。必ず叶うと信じていた。そんな未成熟な道を嘲笑うかのように、ミクはその晩倒れた。
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転換
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「どうすんだよ、サトル。」
「わかんないよ。」
「わかんないじゃねぇよ。ミク死んじまうよ。いなくなっちまうよ。おれ。やだよ。」
あの霧が原因だ。ミクは助からない。唐突に別れはやってくる。
「わからない、わからないんだ。」
「お前はいつもそうだよな。みんなから一歩引いて、ずっと眺めてるだけ。こんなときくらい、こんなことになってるときくらい、死ぬ気でなんとかしようとしてくれよ。たのむから。あの時みたいに。なぁ、サトル。」
「ごめん。」
「あの時だってよ。あの山で、わかんないって、言ってた。けど、最後は守ってくれたじゃんか。」
今日と同じ、満天の星空が輝きそ、満月が降り注ぐ夜、僕らは蛍を見に行った。あたりはしんと暗くなり、木々はますます生い茂っていった。
いつもの場所のはずなのに、腹の内をみせるように森は姿を変えたいた。川のせせらぎの音を頼りに進むが、うっそうと茂る葉っぱは月夜も遮った。
暗闇に包まれる。二人の息が、スッと聞こえてくる。焦りが、木の葉の折れる音となって跳ね返ってくる。首筋にはじとっとした汗が流れてきた。
「大丈夫だから。」
自分に言い聞かせるように言葉を発する。二人は静かに、けれど答えるように服の裾を引っ張った。
光の玉がぽーっと横を通過する。そして、また一つ、また一つ、増えていく。その光に導かれるように歩くと、水の跳ねる音が大きくなる。
「ホタルだ。」
ミクが、ささやいた。気付くと、林のその向こうに光が満ちている。自然と早足になり、茂みのその向こうに出た。
満月の夜、満天の星空。辺り一面を優しく、でも力強く光が満ちていた。
「ホタルだ!」
その声に呼応するように光の玉が縦横無尽に飛び回る。
"今日が最後だ、踊れよ命"
"どうせもらったこの身体、果てる時まで楽しみたもう"
帰りは不思議と道が分かった。僕らは無事家路に着いた。
「今回はどうしようもないんだ。分からない。」
「もう、いいよ。」
僕らは三度目の諦めをつけようとしていた。
どうやってテルと別れたかは覚えていない。気付くと家の前にいた。痩せ細った黒猫が目の前を通る。膝をついて手を差し出すと、擦り寄ってきた。
「ぼく、どうしたらいいんだろう。」
「ぼっちゃま、おかえりなさいませ。」
「二婆、三婆、何してるの。」
いつのまにか玄関にはばあちゃんの妹たちが立っていた。三姉妹だったばあちゃんの事をぼくらは二婆、三婆と呼ぶ。
「時間がありません。」
「早く準備をしなければ。」
「時は一刻を争います。」
「修羅の道になりますぞ。」
二人は交互にまくし立てるように話した。
「だから何の話だよ。」
相手の事を考えず、ただただやるべき事をいう。それがこの二人だ。
「説明する暇もありません。」
「何を悠長な。」
「急いで支度をして下さい。」
「満月になる前までに帰らなければ。」
「夕焼けと闇夜が入れ替わるその時までに」
「すべての準備が出来ていなければ」
「だから、説明くれなきゃ分からないよ!」
二人の矢継ぎ早の言葉に耐えきれず制止すると、この機を逃すまいとする様に口を揃えていった。
「儀式でございます。」
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この世の底
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山ノ神、土ノ神、川ノ神、古来日本には八百万の神々がいらっしゃる。
大きなものだけでなく、身の回りのものにも神が宿る。重箱や、かんざし、大事にされれば神事が下りる。
だが、同じく疎かにすれば物だって怒る。手が生え、足が生え、角まで生える。こうして
出来上がりが"鬼"でございます。
もともと怨霊が形となったものですから、悪さもするし、いたずらする。
人と物、神と鬼、もともと相容れぬ間柄でした。
共生しようにも埒があかぬ。ならばいっそ、棲み分けてしまえと出来たのが、地獄でございます。
はじめは、ただ棲み分けただけなので、お互いに尊重し合い、行き来も出来ました。地獄絵図などは、案内板でした。
だが、いつ頃からか、この世は地獄をあの世とよびだし、忌み嫌うようになっていきました。
そして次第に忘れていきました。いつの世も、ないがしろにされればより戻しがきます。
イザナミが千の命を奪うように、黄泉の国を忘れるな、地獄を忘れるなと、万の命を奪いにくるのです。
「それが大蛇でございます。」
三婆はそこまで言い切ると、満足したのか大きく一息ついた。
「ちょっとまって、三婆。じゃあ、僕らがその地獄とかを祭らなかったから、あの大蛇が現れて、そして、ミクが」
「ミク様の魂は地獄にございます。門を通る直前となります。」
「お急ぎなされ。」
「お急ぎなされ。」
「二婆、三婆、僕をその門へ連れていっておくれ。」
はたはたと慌てはためき動いていた二人は、するりと動きを止め、こちらを覗き込む。嘘偽りなき言葉かどうか、目の奥まで鋭く刺すように食い入るように見つめている。
永遠かのようにその時間は続き、ひぐらしがこだまする。
そのうち二人はゆっくりと瞬きをし、お互いの顔を見合った。
「ぼっちゃま、こちらへ。」
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