テンプレと愚痴

私は愚痴をよく言う。愚痴を言うとき恥ずかしくなることが多々ある。理由は「テンプレ」を話している感覚になるからだ。

「テンプレ」とは、お決まりの内容を指す。例えばサークルでは「○○先輩が同期の○○を狙っていてキモい」という愚痴を私は2回生の頃こぼしたことがある。当時の自分にとって深刻な悩みだったが、今みるとどうだろう、ありきたりすぎる内容ではないか。「サークル 人間関係 悩み」で検索したら、一番上のサイトに書かれていそうな悩み。愚痴なんてありきたりなものが多い。大体の愚痴はテンプレ化されている気がして仕方がない。新入社員がこぼす愚痴「こんなことするために会社に入ったのではない」、遊び人の彼氏と付き合った彼女が話す愚痴「私が一番じゃないんだ。」、立場や年齢に合わせてテンプレ的な愚痴は多々存在する。

現代は多様性の時代といわれている。個人個人の生き方が尊重されるべきという風潮がある。それぞれが違う人生を歩んでいるのに、友達から聞く愚痴は似たような内容が多い。結局人が不満に感じるポイントも、吐き出さないとやってられないような感情も、同じ人間である以上、似てしまうのだろう。

将来に対して様々な不安がある。でも、どうせテンプレ的な悩みは抱えるだろうと思うと少し未来を身近に感じる。身近に感じるので、不安の輪郭が見え恐怖が少しなくなる。ホラー映画は上映時間を把握してみるのと、把握せずに見るのでは、把握したうえで見る方が展開が読めて怖くなくなると思う。そのように輪郭が見えることは、恐怖を軽減させる効果がある。

未来に対して色々不安になることがあるが、ある程度テンプレが待ち構えていると思えば、少しは安心できるのではないだろうか。

枠に当てはまっていく自分の人生を愛していきたい。

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