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人生フルーツを観て


20名ほどが入る心地よい空間で


大切に思う想いを大切に
大切な人へ届けたいと
自主映画として想いを繋いでくれた

ドキュメンタリーmovie
「人生フルーツ」を鑑賞した。


巨大ニュータウン建設に携わった建築家、
津端修一さん90歳その奥様、英子さん87歳の
庭の野菜や果物に囲まれ自給自足に近い生活を
平屋で夫婦2人で暮らしている日々を追ったドキュメンタリー。


見た瞬間は、なんとも言葉にできなくて

それから3日経って、じんわりじんわり
映像が身体の中に染み込んできてくるような体感。

華美な演出もなく、ただただ日常を
切り取られている映像なのに

きっと、だからこそ

私は「生きる」ということをしていたんだろうか?
という感情にさせられる。


外で作られた食べ物は買わないという。
自分で大切に育てた食べ物を、丁寧に料理して
子どもが喜ぶように、とても美味しそうに食べる。


思いやりをもってとか
傷つけるような言葉を使わないとか
小学校の道徳にでてくる授業は必要がなくて


日常の日々の会話で紡ぐ言葉が
とても素敵
で。


90歳近くお化粧もしていない真っ白な
髪の毛の本当に嬉しそうに笑う
その笑顔を見て

「本当に美しい」

そう、思った。




映画の中で
「ときをためる暮らし」
というフレーズが出てきた。


この3年、この「とき」について
考えることがたくさんあって


私は17年勤めた会社を退職し
人生の目標が分からなくなり


夫は、会社を辞めて
日雇いフリーターをしながら
3年がたち


長男が不登校になったり
小学生にして、派手な反抗期を迎え


それぞれが、自分の人生を模索しながら
それぞれの自分の時間を過ごしていた。


ここ最近は、同じ映画を見たり
同じものを食べて同じ光景を見て
共に過ごす時間が増えた。



そこでの
「ほっとするような安心感」
「ほっこりするような笑い」
「じんわり感じる幸福感」
そういうことが


今、私がためていきたい「とき」
だなあ〜と感じていた。


何を会話するとか
どのような暮らしをするとか
共通の趣味があるとか
そういうことではなく

「存在だけでいい」と
感じられる安心感

生活にはとっても重要だな〜と
感じていた。


楽しむ場所と「生きる」場所は
違う。

最近は、そんな感覚もある。


そして、印象に残ったのは
「お金は使ってしまえばなくなるけど、
土は耕していれば、残せる」

という言葉。


私は、子どもたちや、
次の世代に何を残せるのだろう?

「暖かいね」
「きれいだね」
「かわいいね」
「気持ちいいいね」

そうやって、自分で目の前の小さな
日常から喜びを見出し

日々のご機嫌を自分で作れる
暮らしがあることを

一緒に味わっていきたいなあ。


とはいえ、日々は忙しくなく過ぎていく。
仕事も気付けば夜までPCに向かっていたり
子どもたちも、YouTubeを感情なく見ていたりする。


だからこそ
大きなイベントやレジャーでの思い出の記憶ではなく
日常なんだなと学ぶ。


「生きるとは?」
そんなメッセージを強く受けとった
心の奥にほっこり残るドキュメンタリー
でした。

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