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セルフブランディングについて

先日仕事でバスを手配するために担当者とメールのやり取りをしていると、バスの先頭に書き入れる名前の話になり、「ホームページも拝見いたしましたがお名前はカタカナにこだわられている様なのでカタカナ表記にしておきます。」と言われた。

そう、僕は浅草で商売を始めてから自分の名前の表記は「佐藤シュンスケ」としているからだ。

そんなことからセルフブランディングについて考えてみたいと思う。

10代の頃、スクールカーストの最頂点を渡り歩いていたものの、やんちゃをすることもなく、部活動に励み、明朗快活な学生生活を送っていた。
その後入った大学が美術系だったということもあってか、「個性」というものを求め始めた。
その頃の自分には内面に個性を主張できるようなものはなく、外面に求めざるを得なかったので、髪を伸ばし、眉毛にピアスを開け、白縁のサングラスをかけ、下駄を履いて登校していた。

内面に個性を求めてもがき苦しんだ20代を経て、独立をするものの、いまだに自分とはなんぞやということに悩まされる。

自分の名前は「佐藤俊介」。
親にもらった素晴らしい名前だ。自分でも気に入っている。
しかし、「佐藤」も「俊介」もよくある名前。
自己紹介をした時、名刺を渡した時、すぐに覚えてもらえるだろうか。
今の自分には学生の頃のような外見のインパクトは既に無い。

どうやら僕は商売柄、というよりも、昔から人に認知してもらうことに喜びを感じていたのかもしれない。
なるべくなら多くの人に知られたい、理解されたい、覚えてもらいたいと。

たかが名前の表記だが「佐藤俊介」より「佐藤シュンスケ」の方がインパクトもあればスッと頭に入ってもくる。

周りでももったいないと思うのが読みにくい名前の人だ。
義博(よしひろ)
博雅(ひろまさ)
友達にもいるよくある名前の一種だとは思うが漢字で書かれるとすっと入ってこない。

最近のつけたい名前上位ランキングはコレだ。
陽翔(はると)
咲茉(えま)
難しい漢字ではないものの、読めん。

よく選挙ポスターでは立候補者の名前を漢字とひらがなで表記しているのを見る。あれも人に覚えてもらいやすいからであろう。

建築家で東京芸術大学教授のヨコミゾマコトさんは自分の字が汚いので漢字でなくカタカナ表記にしているそうだ。

人は自分好みの服を着る。
タバコを吸い始めるきっかけもギターを始めるきっかけも、憧れからだ。
そうやってみんななりたい自分になろうとする。

人に認知されたいと思った時に、名前の表記を変えることもある。
それがセルフブランディングである。

ちなみに言っておくが、バスに記載する名前が漢字だろうがカタカナだろうが、どっちでもいい。