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良寛と貞心尼その3

 良寛の禅僧、否人間としての生き方の根本は、清貧に尽きるのだろう。
仏教の始祖釈迦がそうであるように良寛もまた、裕福な家庭の長男としてうまれた。
結果として清貧な生活しかできなかったのではなく、決して偶然でもないのです。
 名主の長男であったことから、裕福な生活を求めれば得られたにもかかわらず、清貧の生活をよしとしたのは、自らの意志でその生活を選んだからです。

 宗教生活で、核心的自覚に到達するのは大変な努力と辛抱がいる。特に良寛の選んだ曹洞宗は道元の教えをもとに民衆の間に広がった仏教である。
 ただ座禅に、作務に明け暮れ悟りへと至らなければならないとする教えである。
 誰でも悟りに至るとは限らず生涯を棒に振るかもしれない。人間苦も変化流転する。要は生涯が悟りへの修行への道と言われる厳しいものなのだ。
一応の段階を踏めば印可という卒業証書のようなものを受けることができれば住職となって寺に住み、檀家からの布施で安定した生活を送ることができる。
しかし良寛は、その生活を自ら放棄し、家々を托鉢して食を乞うという、困難な清貧の生活をあえて選んだのです。
 究極の清貧生活でありながら、坐禅と托鉢という修行に打ち込み、すばらしい和歌、漢詩、書を創作し、心豊かに充実した日々を、五合庵や乙子神社草庵で過ごしたのでした。
 厳しい自然環境の山の中で、簡素な草庵に独居して生活することも重要な修行です。道元が雪深い永平寺で修行を続けたように、良寛も雪深い国上山の五合庵や乙子神社草庵で、人生の大半の期間にわたって修行を続けました。
五合庵はいわば良寛にとっての修行道場だったのです。
何故このような厳しい修行を自らに課したのでしょうか。それは、平等智と慈悲に目覚めることだったのです。
 世の中の対立を離れ平等智に目覚めれば差別感もない。全てのものが平等であれば、自ずと他を思いやる慈悲の心が生まれる。
この平等智の獲得と慈悲に生きることが仏教を修行する者、仏教徒の究竟の目的となる。

 自分のことは後回しにして他人や弱き者に愛を注ぐ利他業を基本とした日々の生活でした。(これからは、Web良寛ワールドから多くを引用した)
 この実践には生涯無一物の清貧でなければなりません。
住むのは簡素な草庵です。杉の皮で葺(ふ)いた粗末な屋根です。
 また、乙子神社草庵時代の歌があります。                                      吾が宿は 竹の柱に 菰(こも)すだれ                                 強(し)いて食(を)しませ 一杯(ひとつき)の酒

 この歌から、柱は竹で、竹の柱と柱の間には菰が吊るされていたようです。また、戸は柴で作った粗末なものであったことを示す歌もあります。 
                                   こと足(た)らぬ 身とは思はじ 柴の戸に                                      月もありけり 花もありけり 

 こうした草庵に暮らす中、あまりの寒さに耐えきれなくなった思いも歌にしています。                    

埋(うず)み火に 足さしくべて 臥(ふ)せれども                           こたびの寒さ 腹にとおりぬ

人間苦はどうして生まれるのでしょう。それは、過度の欲望です。ですから求めすぎない心を持つこと大事です。 良寛の草庵には家具らしいものはほとんど無く、最低限、必要な鍋や寝具ぐらいのものでした。
良寛はお金やモノといった財産を所有しない生活を心掛けていたのです。
また、お金だけでなく、地位、権力、名誉も一切求めない生活でした。

 しかし、苦にまみえる世間の多くの人は、愛欲、煩悩のために、快楽、金、財産、地位、権力、名誉などを求めるばかりであると嘆く漢詩を多く詠んでいます。

 名こそ惜しけれという名誉を重んじる価値観が重要視された時代風潮の中で、良寛にとっては名誉を求める心も捨て去るべき煩悩・欲望の一つだったのです。                              あらがねの 土の中なる 埋もれ木の                                   人にも知らで 朽ちはつるかも                                      あらがねの…土の枕詞

 また良寛には、欲がなければ、すべてに満足できるという「知足」を詠った漢詩があります。         
 欲無ければ 一切足り 求むる有れば 万事窮(きわ)まる

淡菜 饑(う)ゑを療(いや)す可く 衲衣 聊(いささ)か躬(み)に纏(まと)ふ

独往して 糜鹿(びろく)を伴とし  高歌して 村童に和す

耳を洗ふ 巌下の水 意に可なり 嶺上の松   

(訳文)

欲がなければ、すべてに満足できる、求める気持ちがあれば、すべてが満足できずに行き詰まる

菜(な)っ葉でも飢えは満たされる、僧衣はなんとか身にまとっている。

ひとりで山に出かけるときは、鹿たちと一緒に遊び、大きな声で歌うときは、村の子供達と一緒に歌う

岩の下の流水で(俗塵で汚れた)耳を洗い清めれば、嶺の上で風に吹かれる松の音は心地よい。

疑いは人を煩悩に追い込みます。人を疑うということは自分が不利益を蒙(こうむ)ることを警戒することです。つまり利益を求める心があることが前提になっています。したがって、求める心がなければ人を疑う必要はありません。良寛は求める心を捨て去っていたため、人を信じて、決して疑うことがありませんでした。

仏の教えで重要なものは、怒りに流されないということです。ある仕打ちを受けて怒るということは、たとえば、財産を奪われる不利益や、暴力により肉体的苦痛を受けることに対して、自分の財産や肉体的な平穏を守ろうという意志が働き、相手に対して攻撃的・報復的になるために生ずる感情です。

 ところが、求める心を持たない人は、財産を奪われても意に介せず、暴力により肉体的苦痛を受けても、暴力を振るう人に抵抗することなく、暴力が治まればそれでよしとするでしよう。ですから良寛は相手に対して怒りの感情を持ったり、憎んだりすることがほとんどありませんでした。

 良寛には求める心・こだわる心がありません。だから、失うもの守るべきものがなく、疑われて不利益を被るおそれが生じても、たとえ命を奪われそうになっても、決して弁明をしません。結果が不利益であっても、それは運命・天命であるとして受け入れ、ただ随うだけでした。
このような生き方は、易しいようで大変難しい生き方です。
決心したから、実践できるものではありません。これが平常心であるからなせるのです。
始祖道元の正法眼蔵が読めるから偉いのではなくその真髄を正しく理解して生活に応用できる良寛の実践が素晴らしいのです。

 良寛は、短歌・漢詩・書の達人でしたが歌詠みの歌、料理人の料理、書家の書を選ばず、そして好まず、遠ざけていました。人から書を所望されても筆を取らなかった良寛ですが、子供たちから凧(たこ)に字を書いて欲しいと頼まれると喜んで「天上大風」・「いろは」・「一二三」などすぐに書いてあげたそうです。

晩年の夏目漱石は「則天去私」の心境に至り、禅を求め良寛の書を愛して‥大愚到り難く、志成り難し、と良寛への思慕を強くしています。この感情は男女の関係を超えた貞心尼の良寛に対する思慕と共通するものでしょう。
















































































































































































只管打坐

 修行道場であった五合庵で、良寛は清貧に暮らすとともに、一日に何回も坐禅を行うという厳しい修行を続けました。ひたすら坐禅に取り組むことを只管打坐(しかんたざ)といい、道元のもっとも大切な教えなのです。

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