見出し画像

小泉八雲とイエイツ4

日本文化の美意識を語るものとして詫び、さび、幽玄、不規則性などがある。それらは、「暗示または余情」「いびつさ、ないし不規則性」、「簡潔」、それに「ほろびやすさ」を表現するが、大きくはあいまいさの表現である。

その中でも、幽玄という言葉は、日常的に余り馴染のない言葉であるが、奥の深い含蓄のあるもので、余情を楽しむ芸術的「美」の概念である。
能か狂言における鑑賞では、眼の前にある姿・形の美しさだけを楽しむのではなく、そこに隠された姿の意味や美しさを想像することが肝要となる。そのことによって感動に深みを与えることができるからである。

世阿弥の記した『風姿花伝』に―「秘する花を知る事。秘すれば花なり、秘せずば花なるべからずとなり」―とある。すなわち「幽玄」という隠されたもの、秘するものがあってこそ美は、生み出されるといっている。
 秘するもの、すなわち「不明確、不明瞭」なものが重要な 「真善美」のファクターとして存在し、これが「あいまさ」という概念となり幽玄となるのです。

殊に能においては、神秘的で深い意味がある状況説明を指すが、言外に漂う余情のように明確にはとらえにくいものである。

人の心をパッととらえて離さないような演者の魅力,呪縛力というべきものを,世阿弥は〈花〉と呼び,能の美的規範としてはその内実を幽玄とした。
それは単なる他者の視線に自分の演出する才能をひらけすのではなく,その演出が見えてはいけないとされる。

能こそ世界で最も偉大で深遠な劇の一つだと考えたのがアイルランドの高名な詩人イエイッである。能の話を聞いたイエイツはアイルランドの幻想と、能の幻想は通底しているのではないかと感じ能の「幽玄」にケルトと同じ思想を見つけ、新たな詩劇を目指して行くことになります。

その様な経緯から戯曲「鷹の井戸」の執筆を1915年に開始し、1916年にロンドンで上演し、1917年には出版をしました。

舞台は荒涼とした山腹にある干上がった井戸で、鷹のような女がこれを守っている。

老人はここで40年間野営しており、時々井戸に湧き上がる奇跡の水を飲もうと待っている。水が不死をもたらすという噂を聞きつけ、クー・フーリンがここにやって来る。老人はクー・フーリンに、ここにいて自分は人生を浪費してしまったと述べる。

老人は水が湧き上がってきた時ですら急な眠気に襲われて目的が果たせなかったと語り、井戸を去るようすすめる。

しかしながらクー・フーリンはここにいると心に決めており、すぐに水が飲めるはずだと確信している。先程クー・フーリンを襲った鷹について話しあうが、老人によるとこの鷹は不満と暴力の呪いを抱えた超自然の生き物であるという。

その間に井戸の守り手がトランス状態に陥って起き上がり、鷹のような動きで踊り始める。鷹の女は舞台を離れ、井戸から水が湧き起こる。クー・フーリンは鷹の女に魅入られ、老人は眠りこんでしまい、2人とも水を得られない。 老人はクー・フーリンにここにいてくれと頼むが、クー・フーリンは戦場に赴くことにする。

松岡正剛氏は「舞い上がる鷹」と「沈みこむ井戸」との常軌を失ったルナティックな呼応関係こそは、ぼくがこの10年ほど追いかけてきた日本数寄の、隠れた次元というものに似通っているという。

舞台は絶海の孤島。鷹の井戸ほとりには不死の水を求める若者、島の幽鬼となった老人、そして井戸を守る鷹。このケルテック能の主題は水と命。その井戸は人間が誰でも抱く理想や欲望の象徴だ。

不老不死の水を求めながら、その永遠性を得ることが叶わず妄執の入りまじつた老人の引き裂かれた内面と老人と同じ轍を踏もうとする若者とのやり取りがケルテック能として演じられていく。

離れた祖国アイルランドが好きを公言しなかった八雲は、自分はアイルランドの事物を愛している、と唯一度イエイツへの手紙の中で述べている。
イエイツも自身の書物の中で八雲に触れており、魂の再生を信じる心を日本人の中に見出した人、と紹介している。

八雲とイェイツは生涯出会うことはありませんでしたが、幻想文学を手がける同郷の作家として日本とアイルランドという遠く離れながらお互いを気にかけ、敬意を払う書簡や記述をのこしている。単に「似ている」という言葉では済まされない彼らの基層のつながりを、まとまりを欠きながらも紹介してみた。終わり


 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?