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ケルト文明と縄文の比較論

西欧世界の文明国といわれる国々は、その基層といわれるヨーロッパケルト文化をほとんど忘れ去ってしまっている。
「前農耕的な」時代の文化の精神的な遺産をほとんど残していないのだ。

牧畜・農耕を営み、都市的発達はせず、森との共生の中に生きていたケルト人。
片や日本の縄文文化は、一部農耕を取り入れながらも、狩猟・漁労・採集中心の豊かな文化で、それが約1万5千年も続いた。

しかもその精神的な遺産は、弥生時代という本格農耕社会に移行しても大和朝廷という統一国家の出現やそれに伴う強力な宗教などによっても圧殺されずに、現代まで日本人の精神の中に生き生きと生き続けている。

そこに日本文化のユニークさの基盤があると前節では何度も述べてきた。
西欧世界がほとんど忘れ去ってしまった文明の古層は現代の日本人および日本文化の中に息づいているのだ。

かつてケルト文化は、ヨーロッパからアジアにいたる広大な領域に広がっていた。元来ケルト民族とかケルト人というものは存在せず、厳密にはケルト語を話す人々という意味合いである。

しかしキリスト教の拡大に伴いそのほとんどが消え去ったが、オーストリア・ハルシュタット湖畔やスイス、アイルランドなど一部の地域にはその遺跡などがわずかに残っている。

とくにアイルランドはケルト文化が他地域に比べて色濃く残る。ローマ帝国の拡大とともイングランドにキリスト教が伝播したものの、アイルランドに到達したのが遅れたからだ。

河合隼雄・岡本太郎の指摘するように日本人にとって何故ケルト文化なのか、またそれが、私たちの基層にある縄文的心と何故深く響き合うのかということなのだ。
現在の私たちは産業革命を経て発展した西欧社会の本質でもあるキリスト教が生み出した文化を規範にしているが、それら規範や思考を全て受け入れているのではない。
ある時には、日本的なものを基盤にして思考し、生活を営んでいる。

一方、ヨーロッパの人々も、自覚には上らないまでも、その深層にケルト的なものをもっているだろう。

ケルト文化では、渦巻き文様がよく用いられるが、これは別世界への入り口を意味するという。
渦巻きは、古代において大いなる母の子宮の象徴であったことは、ほぼ世界に共通する事実だという。
それは、生み出すことと飲み込むことという母性の二面性をも表し、また生まれ死に、さらに生まれ死ぬという輪廻の渦でもある。

この渦巻き模様は、古代ケルト人たちが使っていた神聖なシンボルです

アイルランドには、母性を象徴する渦巻き文様が多く見られるが、これこそケルト文化が母性原理に裏打ちされていたことの証明となる。

父性原理の宗教であるキリスト教が拡大する以前のヨーロッパには、母性原理の森の文明が広範囲に息づいていたのだ。

先に取り上げた長野県の茅野で発見された国宝土偶の女神には、渦が描かれている。
日本の土偶そのものも、母性原理に根ざしていたことが理解される。

縄文のビーナスと仮面の女神

アイルランドに残る昔話は、西洋の昔話は違うパターンのものが多く、むしろ日本の昔話との共通性が多いとアイルランドに出自を持つ日本に帰化した教育者で作家の小泉八雲・ラフカデオハーンも指摘する事実だ。

その伝承民話には浦島太郎に類似するオシンの昔話がある。時空を超えたその二つの同一性の不思議さは両地域の縄文的な心性のつながりがどこかにあったのだろうと理解する。

それらのことは、日本が中世的社会から近代国家にいちはやく仲間入りしたことにも重要なつながりがあるのではと推理する。

ユダヤ・キリスト教は、父性的な宗教である。
人類史において周辺国に繰り返し強力な破壊力をおよぼした遊牧民国家は乾燥地帯に発生している。対し日本は適度の雨に恵まれた温暖な環境で古代からの母性社会が幸いしてか国民の性格は比較的穏やかだ。

日本文化は縄文時代から現代にいたるまで一貫して母性原理に根ざした優しいもので、地勢的にも海を隔て破壊的遊牧民国家との国境を持たない点、その破壊力からまぬがれて比較的平穏に文明が展開でき、保存できた経緯がある。

その上、ユーラシア大陸の穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とも言うべき文化を形成してきたので、それが大陸とは違う生命観を生み出した。
ユダヤ・キリスト教は父性的な宗教である。ゆえに砂漠や遊牧民との関係が密接であった。その点遊牧民や牧畜民ともっとも関係の薄い文明のひとつが日本文明なのだ。

キリスト教的一神教が普及した国家乃至地域は古い文化や土着なものに寛容ではなく、変革期には、大きな破壊が行われたが、日本では変革は破壊ではなく活用であった。

ために、明治以降の近代化も平和な徳川幕藩体制のお陰で、国民の識字率も高く、寺子屋や藩校など教育インフラも整い近代国家への土台は完成していたから急速な変革が可能であった。

ケルト文化を色濃く残すアイルランドは周辺キリスト教一辺倒の国と違い妖精の活躍する心豊かな文化の国として現在まで続いている。

ケルト文化と日本の古代文化を比較することは、単なる比較にとどまらず、何か新しい発見をもたらす一途なのだろう。

いま、世界が、西欧社会が、キリスト教を基盤とした価値観や近代文明に行きづまりを感じている。

今世界の有識者がその解決法は自然の森の共同生活や共助の精神、一神教にはない多神教の持つ輪廻観や救いのなかにあるのではないかと感じている。文字を持たないゆえに直接的思考のケルト文化や縄文に注目の目を向けているのだ。

ユーラシア大陸の東端と西端という正反対の位置にある日本の縄文とイギリス・アイルランドのケルト。新石器時代以降大陸では四大文明 のような「文明型」の社会が広まっていくなかで、極西、極東の両地域が「非文明型」の社会へ と発展していったのは何故か。

直接的交流のないこの二つの地域になぜ共通性が生まれたのか。
ストーンサークルや巨大な墓などに記された文様の共通性、神話や民話それを比較しあう比較考古学を通し、いままで見えていなかった知られざるものが歴史の表舞台に登ってくるだろう。それが人類に新しい情報をもたらし
今ロシアの侵攻で揺れる世界の混迷へ解決の糸口になったら幸いである。


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