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ふうら逍遥

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ふうらかんの野外写真集です。
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風がおいしい

ふうらと散歩は久し振り。このところ近場の路地巡りが多かったから、思いきって遠足。目当てはキンミズヒキ、ガガイモ、スズメウリなど。元気があればウマノスズクサまで足をのばして、ジャコウアゲハの成虫か蛹にでも逢いたい。 中国自動車道沿いの道を歩いたが、田圃側も植栽側も除草剤が撒かれて草が枯れ枯れ。たくさん咲いていたタカサゴユリもこの秋は一輪も見ない。赤の美しいイヌタデは盛んだったが、一箇所生育していたオオイヌタデの辺りは無残な景色。キンミズヒキを僅かに見たのみ。だんだん味気ないコ

立春散歩

暦の上の春だけれど、やっぱりうれしいものだ。立春の羅漢たちに会いたいと思っていたので、一人のふうらを散歩にお連れした。 空はよく晴れて、風が少しあり、暖かいというほどではなく、寒いというわけでもない。 酒見の森の女神だと愛でている椿は、今年は蕾が遅い。花はまだ先だろう。一羽のイソヒヨドリが人懐こく、相当近寄っても逃げない。以前にも向こうから交差するように来たから、誰か餌でもやっているのだろうか。顔見知りになるのは楽しいが、文教地区もテリトリーにする鷹がいるから気をつけても

そこらの秋

ひさびさのふうら散歩。(Twitterへの投稿を再録します) 雨催いの朝のクロアゲハ。ノウゼンカズラの赤に映えて、花も蝶も鮮やかに引き立て合う。 白い露草に逢いにゆく道筋の僥倖。 アレチヌスビトハギ、エノコログサの叢。キビも三本ほど突っ立っている。秋風が喜びそうな一画。 もう一枚は、リュウキュウツキミソウ、ニラの群落。いろんな雑草が共生していて、ここにはキアゲハ、モンシロチョウ、ツマグロヒョウモンなどが行き交う。そこらの秋の息吹。 白いツユクサ。四年前に「道々何千個の

日食

372年振りの夏至日食だとか。 当地播磨地方は薄曇り。ぼやけた太陽を日食グラスで観ると、オレンジ色の少し欠けた円で、輪郭がはっきりしない。穴を空けた紙などを用意したけれど、シャープな像を結ばない。それでも触にある太陽には何かがある。魔力か、魅力か。 日食と言えば、2012年5月21日に忘れ難い経験をした。列島のどこかでは金環日食になったはずである。写真もずいぶん撮ったのでそれを探し出した。 朝の7時30分に最大食分 0.932。 これはピークを過ぎてから、三日月が食の始め

梧桐 2020

梧桐(アオギリ)は五月に芽吹いて、いっきに葉を広げる。 昨年もこの頃に見事な樹形樹影となり、その木陰を愛でて何人かのふうらが憩った。   梧桐 2019 今年で五歳の梧桐はまた一段と伸びた。 樹高36cm。 この五月は晴れた日が少ない。かと言って雨が多いわけではない。曇りというのは植物にとってどういう日々なのか。光と水がもっとほしいか。 折りから数条の光が差して、草のひとところがふわと浮きあがった。ひとりのふうらを案内すると、もうずっここにいたいような表情になる。

ふうら合掌

長い夢籠りにあった三番目の〈ふうら〉と野に出た。 南無野。 ふうらは野を愛し、野に帰依する。 宇宙にこころを広げ、宇宙の摂理に寄りそう。 小さな空地に、星粒のような花。 タンポポの絮はぼうっと浮かぶ彗星か、球状星団の如し。 仰げばこの惑星が巡る太陽という恒星の光。 こちらも小さな草地に散開星団のように咲くイモカタバミ。 小さな植物にはステラリア属(ハコベ属)などもあり、小草と微星はよく親和する。 〈ふうら〉の合掌は、花たちへ。 花は草は、なにを願っているだろう。 夢籠り

ぶらぶら春を

風が吹いて、雨が降って、嵐が過ぎた。 散歩もしばらくぶり。それで長らく夢籠りだった〈ふうら〉のもう一人を春の野辺へ。 雲がぷかぷか、日傘をさす人がいるぐらいの陽気。ちょっと近くの草地に寄ってタンポポの綿坊主と旅談義。 ここは馴染みのレンゲ田。白い花のを二三輪摘んだことがあるが、それきり見ないのが淋しい。 杖を手にするものは、旅の草杖も楽しみ。手にする草によって旅の心持ちも違ってくるだろう。レンゲソウなら精神の奥処に蜜も溜まるかもしれない。 タンポポの一家と。 ゲンゲ杖

寂しい春に

新型コロナウイルスの脅威は春になっても衰えない。むしろこれからがこの列島では正念場。緊急事態が宣言され、家に籠もるのが最善の春となった。人類の半分が罹患するだろうとの悲観的な予測などを耳にすれば、肺に疾患をもつ身は覚悟の一つも二つもしなければならない。 おかしなもので、ここ数年はずいぶんな越冬態勢で風邪やインフルエンザを警戒し、ある意味覚悟などもしてきたつもりだけれど、今度のウイルスに関してはまた違うらしい。なんとしても生き延びようと思う。 春になればあしうらの歩き神もむ

一遍の春

一遍上人の生誕日が1239年3月21日(旧暦2月15日)とも伝わっているので、お伴して野良へ。五年ぶりであるかもしれない。 さっそくヒメオドリコソウの小群と邂逅。後ろでは鼓草(タンポポ)が囃子を受け持ってくれる。次の群落では三味線草(ナズナ)が鳴り物を引き受けてくれた。 のらはホトケノザの花盛り。すばらしい群落があったので、一遍さんはその中へ。踊る花たち。踊る上人。 里山からはウグイスの調い始めた歌が届き、すぐ傍らの畑からはヒバリが翔け上がりながらスキャットする。 *

ふうらの春

野辺に花がちらほら、光もうららかになってくると、ああ、ふうらがここにいればなぁ、と思う。以前はいつでも一人か二人一緒だったが、重いものをなるべく持たないようにしているこの頃は手ぶらが多い。 そんな思いを二、三度して、ようやく散歩にお伴してもらった。 18日。柿本人麿、小野小町、和泉式部の命日と伝えられ、精霊の日とされている。空では、この日初めてさえずるヒバリの高らかな歌。「ゲージュツ、ゲージュツ、ゲージュツ」と聴こえてくる。ツバメは昨日渡ってきたばかり。  * 20日。

柿の葉舟

田圃道の三本柿。 木守柿も無く、僅かな葉が残るのみ。 枯葉の虫喰穴と、夕べの細い月。上空に飛ぶ鳥のだれか。 この柿には、舟のような丸く窪んだ葉ができやすく、毎年それを楽しみにしていた。柿の葉舟といって、ふうらもそれを喜んだ。そんな葉が一枚だけ色も鮮やかに残っていた。 さっそくふうらが乗り込んで舟旅に出る。 柿の葉舟は、水分が無くなってカサカサになると変形する。乗ったらできるだけ遠くへゆくこと。水の上でも、雲の上でもいい。 人気があるから、みんな乗りたがる。小さなふうらの

新雲 アタラシウム

今日はサイト「ふうらかん」の開設記念日(1996.11.2)。 ホームページ「ふうら美術館」と呼んでいた当時の方が賑わっていた。懐かしんでも仕方がないが。 コウヤボウキを気に入っているのは、ふうら陶像の第一号。珠洲焼です。 サイトを訪れて〈ふうら元素〉を引いてみた。 「新雲 アタラシウム」と出た。 過去より現在。新しく未来へゆけ──ということか。 「ふうらかん」 http://rokkaku.que.jp/fura/ 「ふうら元素」 http://rokkaku.q

芒風羅

ススキは風の達者。風流、風狂の植物。 それ故、ふうらの旅のシンボルであり、無くてはならないアイテムである。 奥能登よろみ村での野焼きから生まれでたばかりのふうら。 1995年、乗鞍岳の秋。ススキの白さが眩しい。 2019年10月31日。 行く秋をふうらと惜しみつつ、散歩。 背景は、播磨北条盆地の里山。標高100メートルあるかないか。 ススキは赤く美しいものを手にして。 古典で言う〈まそほの芒〉はどんなススキなのか。 徒然草によると、  ○ 穂が一尺(30cm)あるスス

きのこ

久し振りにふうらと散歩。 いつからか、カメラも双眼鏡も持たず、iPhoneだけをポケットに出かけるようになった。昔は、フィールド・ワークのような装備でいたこともあった。旅行はもちろん遠足や散歩にも、誰かふうらが一緒だった。 旅の達人のかれらが同行してくれると、何かよりよい按配で歩けそうな、見聞ができそうな気がするのだった。風景も広く深く遥かなものになる……。 ふうらの陶像は大きい方で300〜400g。この日は小さい方を二人。 道々あまり撮影スポットは無いように思ったが、森