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サクラ・サクラ…… -歩兵第十五連隊ペリリュー逆上陸戦-

昭和十九年九月二十二日 二十三時三十分
ペリリュー島沖 北5キロ地点
歩兵第十五連隊 ペリリュー逆上陸部隊 第二艇隊


「第一艇隊の上陸は成功したぞ。敵艦隊は攻撃するどころか、水路を譲ってくれたらしい」
 艇の舳先に立って暗闇を睨む飯田少佐に、隊員たちは苦笑しながら聞いた。
「大隊長殿、なぜでしょうか?」
「島を取り囲む大艦隊の隙間を縫って、我々が逆上陸するなど想定しなかったのだろう。味方の上陸部隊だと思ったんじゃないか」
 逆上陸部隊の隊長、飯田少佐は、緊張でこわばる頬にほんのわずか笑みを浮かべた。
 南方特有の生ぬるい風が飯田少佐の顔をヌメっと撫でる。

 乗っている船は、日本軍の上陸用舟艇『大発』。785名を十五隻に分乗させ、三隊にわけている。エンジン千五百回転、時速六ノットで、日本軍の根拠地パラオから、米軍が上陸して孤立したペリリュー島に向けて南下中である。つまり、日本軍が守備する島に米軍が上陸し、さらにその背後から日本軍が上陸する、という状況だ。

 軍事用語でそれを”逆上陸”と言うが、敵艦隊に包囲され、味方の艦隊、航空機の護衛無しの状況下で成功の見込みは皆無といっていい。

 ペリリュー守備隊長の中川大佐もそれは重々承知で、師団司令部に『兵力をムダに失うだけなので増援は無用』と強い調子で電文を送ってきている。しかし、その電文を見て師団司令部は逆に燃え上がった。
 電文を見た師団長の意思は固まった。
「中川のやつ、そんなことを言ってきおったか。フン、来るなと言われて行かぬ馬鹿がどこにおる。それに、ペリリュー島はもう一押しで敵を蹴散らせると信ずる。敵の増援が来る前に我々が増援部隊を送り込むのだ…… 命令っ、『歩兵第十五連隊は逆上陸部隊を編成、ペリリューの敵を殲滅せよ』」(実際、米軍第一海兵連隊は壊滅状態で撤退中だった)

 洋上をゆく飯田少佐は茨城県出身で、ペリリュー守備隊主力の水戸第二連隊は古巣であり、協力して島の南西部に展開している高崎第十五連隊は現在の所属である。その師団命令を聞いて大喜びしたのは言うまでも無い。

そして、日本軍の思いきった作戦に米軍は虚をつかれた形となった。空母8隻、護衛空母11隻、戦艦5隻、巡洋艦9隻、駆逐艦14隻で島を取り囲む米軍に、優勢すぎるがゆえの油断が生じ、逆上陸部隊の第一艇隊(大発五隻 215名)が上陸に成功したのだ。
 しかし、日本軍守備隊も苦しかった。逆上陸前に歩兵第十五連隊の千明大尉は部下750名とともに全員戦死。守備していた島の南西部は占領され、飛行場の半分を奪い取られていた。

 それを知る由も無い逆上陸部隊は一列縦隊となって島の北側から接近している。
「大隊長殿っ、照明弾ですっ!」
「発見されたかっ、あと二キロだと言うのにっ……」
 そのとき、水先案内として先導していた海軍の小型舟艇が環礁に乗り上げてしまった。
「まずいっ! 面舵一杯っ、もどせぇー!」
 後続の大発は次々に舵を切る。そして水路を失って一隻残らず座礁してしまった。

 米軍の駆逐艦はそれを見逃さなかった。第一艇隊をみすみす上陸させてしまった痛手のお返しとばかり猛烈に砲撃してくるが、やはり環礁が邪魔をして近寄れないので、砲撃の精度は高くない。
 しかし、徐々に着弾が近くなってくる。
「艇から離れろっ! 離れろっ!」
 飯田少佐の叫ぶ声に歩兵は艇を離れ、徒歩で上陸を始めるが、砲兵は砲を下ろそうともがいている。
「砲は置いていけっ!」
 その声が終わらぬ前に大発に砲弾が命中、砲とともに兵士が吹っ飛んだ。照明弾に照らされた珊瑚の赤に血液の色が混じる。

 胸までの水位で完全軍装の兵士の中には溺れ死ぬ者もあり、着弾の衝撃で死ぬ者もあって、その場は水地獄となった。しかし、折りしも潮が引く時間となり、やや水位が下がってくる。

 飯田少佐たちは大発を捨てて水中を2キロ歩き、やっとの思いで上陸した島は……

 目標のペリリュー島ではなく、ガドブス島であった。

 もう2キロ、水中を歩かなくてはならない。しかし、そこからは環礁内を歩くので水位が低く、敵の駆逐艦は通れない。
 飯田少佐率いる第二艇隊がやっとの思いでペリリューに辿りついたころには朝ぼらけ、兵力は100名ほどに減っていたのだった。

「大隊長殿っ、敵戦車ぁっ!」
 兵力は六分の一になり、その全員がずぶ濡れであった。
 その状況で”敵戦車”という言葉は、『死』と同義語である。しかし、砲兵隊の奈良少尉がやはりずぶ濡れで追いついたとき、状況が変わった。
「だっ大隊長殿っ、さんほ、二、もんっ」
「なんだって?」
「きゅ、九四式山砲二門、陸揚げに成功っ……」
「おおっ!! よくやったっ! 状況はわかるなっ?」
「はいっ、敵、戦車ぁ…… ゼロ距離なら山砲でもやれますっ!」(通常、対戦車戦は貫徹力のある”速射砲”で行う。山砲は貫徹力が弱いが接近すれば戦車に対抗できる可能性があるので、こう言った)
「よしっ! 砲兵の本領だっ、思い切ってやれっ!」
「はいっ!」

 奈良少尉は兵士たちに叫ぶ。
「林の中に散開っ!」

 そこへ、敵戦車3両がやってきた。逆上陸部隊にとって、1両でも致命的である。しかし、今は海中に置いて来たはずの山砲が二門ある。ただ、正面では戦車の装甲を貫通できない。狙うは至近距離で横っ腹。それしかない。

 死のキャタピラ音が大きくなる。それと反比例して押し殺した奈良少尉の声が低く呻いた。
「ヨーイ、テェッ!」
 先頭の一両は天蓋が吹き飛んで炎上、後続も擱座して火を噴いた。最後尾の一両は急速に後退、逃げてゆく。
「やったっ!」
 しかし、逆上陸部隊の後方にまわった戦車は砲の位置を見定め、戦車砲で射撃してきた。
「奈良少尉殿っ、目がっ目が見えませんっ!」
 奈良少尉が見ると、照準を担当する兵長の眼球が外に飛び出し、両腕がちぎれている。双眼鏡を見ていた腕を横から戦車砲がなぎ払い、その空気圧によって眼球が飛び出したのだ。

「くそおっ!」
 奈良少尉自ら血まみれの照準器を操作。敵の砲口がこちらを向くより早く敵に照準を合わせた。
「くたばれっ!」
 引き金を引くと戦車の胴体中央に命中。砲塔が吹っ飛んだ。
 手ごわいと見た米軍は巡洋艦を逆上陸部隊の前面に配置し、艦砲射撃を加えてくる。さすがの奈良少尉もこれには対抗できず、せっかく陸揚げした山砲は二門とも破壊されてしまった。

「よくやった。引き時だ」
 飯田少佐は奈良少尉を慰めると、部下を伴って司令部があると思われる島中央部の山岳地帯に進んで行った。

※※※

「お久しぶりです」

 その声に、ペリリュー守備隊長、中川大佐はまるで幽霊にでも会ったように目をパチクリさせる。次いで椅子を弾き飛ばさんばかりの勢いで立ち上がり、声も出ない。
「飯田、貴様っ…… 貴様っ…… なぜ、ここに……」
 中川大佐の詰まった声が洞窟陣地に木霊する。
「歩兵第十五連隊、第二大隊、ペリリュー島援軍として参りましたっ! 第二連隊にいたときは、大変お世話になりました」
「俺はっ、来るなと……」
「師団長閣下が、『来るなと言われていかぬ馬鹿がどこにおる』と」
「馬鹿者っ……」
「中川連隊長殿が逆の立場でしたら、どのようなご判断をされますか?」
「無論、貴様なんぞ、見捨てるわ……」
 そう言う中川大佐の頬に、大粒の涙が流れている。

「連隊長殿、武器はおおかた破壊されてしまいましたが、土産に戦車3両の戦果と、コレを」
 そう言ってポケットからウイスキーの小瓶を出した。
 2人はアルミのコップに少しそそぎ、残りを司令部の将兵に少しずつ分け与えた。舐めるほどの量である。
「うまいっ、しかし少々しょっぱいな」
「はい、海から来たもので」
「そうか、海水浴しながらウイスキーか。ご苦労だった」
 また言葉に詰まりそうな中川大佐に、飯田少佐は冗談を言った。
「連隊長殿、島暮らしが長くて泣き上戸になられたんですか? 連隊長殿が避難させたペリリューの島民はみんなパラオで元気にやっとります。一緒にペリリューに連れていけとウルサクて困ります。島民の中に懇意の女でもおりましたかな?」
「馬鹿言え。相変わらず口数の多いヤツだ」
「ははは……」

中川大佐は、しばしの沈黙のあと、聞いた。
「飯田、いいのか?」
「はい」
 飯田少佐は即答する。

 中川大佐は黙って頷くと、戦況の説明などせず、島での生活や飯田少佐が第二連隊にいたころの思い出話などで一晩中語り明かした。

※※※

昭和十九年十一月二十四日 四時
パラオ本島
第十四師団司令部


「師団長殿、無電です。ペリリュー島の中川大佐から……」
「読め」

「サクラ・サクラっ……」

 通信兵は涙声で幾度も復唱し、そのあと、言葉が続かなかった。
「そう……か、大本営に報告せよ、ペリリュー島守備隊は全員壮烈なる戦死…… 少しだけ、一人にしてくれないか」
 暗い師団長室で老将軍は目を閉じると、中川大佐や飯田少佐の笑顔を思い出し、呟いた。

「さくら、さくら……花ざかり……花ざかり……」

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