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とうもろこしの寿命 ー捜索第五連隊マレー戦記ー

昭和十六年十二月八日 零時
マレー半島 シンゴラ沖 輸送船『香椎丸』

「海軍より先に戦争になりそうだな」
 捜索第五連隊長、佐伯中佐は、それについては満足だった。

 真珠湾攻撃の1時間20分前に日本陸軍はマレーの英領コタバルに上陸、佐伯連隊長は25分前にタイ領シンゴラに上陸している。
 しかし、佐伯連隊長は浮かない表情を見せていた。
 上陸後わずか数十キロのサダオまでは進軍できるが、師団命令でその後は『別命する』とある。それはサダオで待機することを意味する。
 しかも、第一線は歩兵第四一連隊、捜索連隊は第二線である。これでは、先陣にならない。

 上陸地点のシンゴラと、別命待機を指示されたサダオは中立国のタイ領。つまり進軍にさしたる問題があるとは思えない。英国領はジットラからで、強固な縦深陣地で知られる『ジットラ・ライン』を構築し、インド第11師団約5400名、戦車90両で日本軍を待ち構えているはずだ。
 マレー攻略の成否は、その国境陣地を突破できるか否かにかかっている。

 捜索連隊は『連隊』と名が付けられているが、実質約600名、四個中隊である。騎兵を機械化部隊に改変したもので、その名の通り、敵の捜索、偵察、後方撹乱を目的とする部隊だ。
 正面戦闘はしないので、人数は歩兵連隊の四分の一の小部隊。よって、陣地に立てこもる英印軍5400名に突入させるのは無謀だという師団の判断が正しいのであるが、日頃、織田信長を崇拝している佐伯連隊長は、満足しなかった。

 佐伯連隊長は、たたみ一畳ほどの場所に三人がひしめく輸送船内で、声高らかに宣言した。
「師団の別名があろうと無かろうと、俺は国境陣地を突破する。全員俺についてこい!」
「はいっ!」
 猛暑かつ、汗まみれで意気消沈していた兵士たちも、その言葉で少し元気を取り戻したようだった。

※※※

「大波に注意しろっ、訓練を思い出せ、波の高さにタイミングを合わせて大発に乗り移るんだ」
 シンゴラ海岸のうねりは大きく、歩兵は大発(日本軍の上陸用舟艇)に乗り移るのに苦労していた。
 しかし、佐伯連隊長はそのような状況をあらかじめ想定し、大波の中、何度も訓練させていた。その甲斐あって真っ先に上陸していたが、捜索連隊の主力兵器である装甲車、トラックの陸揚げは未だ出来ずにいる。
 業を煮やした佐伯連隊長は命じた。
「止むを得ん。この戦力で先遣隊として進撃するっ」
 ひとまず、上陸できた連隊本部を含めた485名で前進。車両がまだ陸揚げ出来ないので、自転車をこいでゆく。とても雄々しい進撃とはいかなかった。

 しばらく行くと、検問所があった。
「タイの警備隊でしょうか?」
「声をかけてみろ」
「自分は、タイ語がわからないのですが」
「なんか言え。話せばわかるだろう」
 副官は、検問所でこちらを伺うタイの警備兵に向かい、なるべくにこやかな表情を浮かべて歩いてゆく。
「ハロー、はろー?」
 とたんに、銃声。
「連隊長殿、撃ってきましたっ」
「バカモン、英語で声をかけるヤツがあるか! 師団に連絡しろっ。それにしても最初の戦闘が英軍ではなく、タイ軍とは」
 第五師団はタイ軍に連絡。両国における事前の協定が末端まで伝わっていなかったため、発生した戦闘であった。

 ちなみに、撃ってきたタイ軍の小銃が日本から輸出された三八式歩兵銃だったのは皮肉である。

 そのころ、シンゴラではいよいよ波高く上陸は困難を極め、鉄道は破壊されて歩兵の前進は遅々とし、またタイとの交渉が遅れていたことから、あちらこちらで小競り合いが生じていた。

 その中で、捜索連隊のみが猛進している。

 サダオで軽装甲車中隊(九七式軽装甲車8両)が追いついた。
「よし、桶狭間の合戦をマレーで再現してやる」
 元気づいた佐伯連隊長は、師団宛に無電を発信。
「連隊は国境に向けて前進せんとす」
 師団の作戦でスムーズに展開しているのは、いまや捜索連隊のみであるから、師団はそれを追認。捜索連隊600名はジットラ・ラインに向けて突進していった。


昭和十六年十二月十二日 午前3時50分
英領マレー ジットラ・ライン

 そのころになると第五師団の作戦重点は捜索連隊となり、応援部隊の戦車中隊(九七式中戦車10両、九五式軽戦車2両)も傘下として、佐伯部隊は『佐伯挺進隊』と呼ばれるようになっていた。

 周囲のゴム林も、戦車も、装甲車も、将兵も豪雨にけむり、全てが幽鬼にように霞んでいる。
 見ると、敵は戦車を降りて兵舎で雨宿りをしている。
「突撃っ!」
 佐伯挺進隊長の号令で、戦車を前面に装甲車、乗車歩兵が車間距離無しで堅陣、ジットラ・ラインに突入した。
 前面の敵のみを蹂躙し、左右の敵は相手にせず、しゃにむに突破、穿貫突破戦法である。

 しかし、敵も日本軍の戦法を予想している。戦車、装甲車の突進を食い止めるべく、橋を落とす準備をしていた。
「橋梁に爆破装置っ」
「いかん、爆破させるな。工兵、前へっ」
 佐伯挺進隊長が叫んだ瞬間、橋梁に火柱があがり、バリバリ金切り声を上げて橋が水面に崩れ落ちた。
「くそっ……」
 川岸で前進できずにいるところ、英印軍は防御を整え、野砲、機銃、小銃の十字砲火を浴びせてくる。

 反撃しようにも、装甲車は渡河できない。
「装甲車から機銃を降ろせ!」
 九七式軽装甲車には、7.7ミリ九七式車載重機関銃が搭載されてある。それを取り外して全員歩兵となって突入しようというのだ。
「渡河するっ」
 ザブザブを河を渡る日本軍は、英印軍の格好のマトだった。
「中隊長、戦死ぃっ!」
「小隊長、指揮を執るっ」
 すぐさま、
「小隊長、戦死っ」
 と絶望的な怒鳴り声が豪雨を劈いて聞こえる。

 雨で泥水となった川に、朱に包まれた日本兵がもがきながら、あるいは微動だにせず、流れてゆく。

 やっと対岸に辿りつき、機銃を撃つ。そして敵陣地の側面に迂回、突入する。
 そこからは撃ちあいではなかった。肉弾戦である。
 銃剣で突き刺し、銃底で殴りあう。手榴弾のピンを抜く余裕も無い。
 豪雨の中の殺し合いだった。

 佐伯挺進隊長も軍刀を抜いて突入してゆく。そして敵陣に飛び込む寸前、軍から派遣されてきた参謀や部下に押し止められた。
「挺進隊長のなすべきことは今からですっ!」
「中隊長を殺されて大人しくしていろというのかっ!」
「自重を、自重をっ……」(ちなみに、このとき佐伯中佐を止めたのは、ノモンハン、ガ島などムチャな作戦指導で悪名高い辻政信参謀である。さすがの辻参謀も佐伯中佐には生きていて欲しい、と思ったらしい。ちなみに、ノモンハンにおいて”捜索隊”には同情的である)
 この時点で死傷者は100名を超えている。5400名の敵中に600名で飛び込んだ結果である。

 そのとき、敵の砲撃が佐伯挺進隊左後方のジャングルに集中し始めた。
 やっと追いついた歩兵第四一連隊が撃たれているのだったが、それは佐伯挺進隊への集中砲火が分散することになり、突入のチャンスができた。それを見逃す指揮官ではない。
 まばらになった敵の射撃に、佐伯挺進隊長は叫ぶ。
「各小隊ごとに、追撃!」
「うおおおおおおぉぉぉっ!」
 雨煙の中からひたすら突進してくる日本軍に、英印軍は浮き足立ち、逃げてゆく。

「連隊長殿、敵が退却していきます」
 佐伯挺進隊長は一息つくと、目を真っ赤に充血させて、重苦しい口調で言った。
「ジットラ陣地に部隊を集結させろ」

※※※

 翌朝、現地住民からパパイヤ、マンゴーなどの果物が届けられ、将兵たちを元気づけた。
「これを、死んだ仲間たちに食わせてやりたかった」
 涙にむせぶ佐伯挺進隊長に、副官は慰めのつもりで言った。
「日本では戦死者は軍神になる、といいますが、南方にはこんな伝説があるそうです。『我らの国は、何処からともなくやってくる白い肌の人びとに乗っ取られるだろう。白い肌の人びとは長い間、国を支配する。それは、黄色い肌の人びとがやってくるまで続く。この黄色い肌の人も我らの国を支配するが、それはとうもろこしの寿命と同じくらいの期間だ』という伝説です。戦死した将兵はきっと、日本でも南方でも尊いと敬われるに違いありません」

 佐伯挺進隊長は、顔を上げる。
「その、とうもろこしの寿命とは、どのくらいなのだ?」
「伝説では、3年といわれています。いまから数えると、昭和二十年ごろに南方の国々は自由になるんでしょうね」
「死んだ将兵は、そのための礎か。せめてもの救いになるのだろうか。しかし3年とは、短いな……」


 言葉は、佐伯挺進隊長の口の中で小さく、虚しくなって、消えていった。

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