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『海戦』 -九州南西海上不審船事件-

平成十三年十二月二十二日
九州南西海上

「国旗を、掲げなさい。ただちに、停船せよ。本船は、日本国、海上保安庁の巡視船である。ただちに、停船せよ」

 少し間延びした、繰り返される命令を『長漁』と書かれた船は意に介さず、全速力で航行を続けている。

「撃つぞっ! 撃つぞっ!」

 海上保安庁・巡視船『みずき』船内では、乗組員のやや高慢な口調が飛び交う。
「針路、速力変わらず」
 そして、『長漁』に停船する意志の無いことが確実になると、『みずき』の20mm機関砲がクルリと向きを変えて射撃体勢を整えた。

 それは精密なレーダー射撃で、『長漁』乗組員に危害を加えず、船体にダメージを与えることが可能と思われた。
「発射用意、発射ぁ!」
 ダダダダっ……その射撃は最初船体後部に命中。しかし速力は衰えず、船体前部を狙ってさらに射撃、『長漁』は火を噴いて速力はやや低下する。

 すると『長漁』乗組員が甲板上に出て消火活動。と同時に、複数の積み荷を海上に投棄しているのが見えた。つまり、ここに至ってやっと乗組員は”任務”遂行を諦めたのだ。

(平和ボケした日本の船が発砲するワケが無い)
 それまでは、そう考えていたと思われる。

 一方、追跡に加わった巡視船『あまみ』は『長漁』に接近。舷側をブチ当てながら船内を捜索しようとしたその矢先。

 射撃音とともに船体に多数の命中弾。自動小銃で狙い撃ちされたのだ。
「うおっ?」
「ああっ!」
 思わぬ反撃に『あまみ』は探照灯を消し、小銃で応戦しながら全速後進して『長漁』から離れる。すると『長漁』は対戦車ロケットランチャーを発射。
 しかし、『あまみ』に幸いしたのは、風速17メートルという強風とそれに伴う海上のうねりである。『長漁』は重武装だがレーダー射撃ではない。
 ロケットは『あまみ』の右舷に逸れてゆく。しかし、接舷したところを撃たれたら巡視船などたまったものではない。ヘタをすると撃沈されていた可能性もあるのだ。


(漁船のような工作船に反撃できるワケがない)
 そう考えていたのだろう。

 しかし、徴用した漁船に武装を施して敵を迎撃するのは、旧日本海軍がよくやっていたことである。もちろんそれは、アメリカと戦争状態でのこと。日本海軍の場合は、漁船を改造してはいるが、軍艦旗を掲げて”軍艦である”という意思表示をしているので、工作船とは意味合いは全く違う。

『あまみ』船内では、すでに『長漁』の追尾を開始したときのような、間延びした口調は消えていた。

 突如として、精神が目覚め、自分達が今、何をやっているか、全身が理解したのだ。
 既に、海上の取り締まりではない。

『海戦』である。

 不意を突かれ、『あまみ』は急遽離脱したが、体勢を取り直し、20mm機関砲で攻撃。
 すると、『長漁』はこれで最期と思ったのか、自爆して海中に消えてゆく。
 乗組員が海上に浮かんでいたので救助しようと近付くが、救助を拒んで沈んでいった。

※※※

『長漁』には、小銃、ロケットランチャーのほか、連装機銃、対空機銃、無反動砲が装備され、GPS、トランシーバー、携帯電話(確か、J-PHONEだと記憶してます)などもあった。

 巡視船は20mm機関砲だが、『長漁』の破口を見ると、炸裂せず、ただ貫通しているのがわかる。兵器の名称は”機関砲”だが、銃弾は砲弾ではなく、ただの鉄の塊だった。
 つまり、『長漁』は海戦も覚悟の上でやってきているが、巡視船はあくまでも”取り締まり”に必要な武装なのだ。敵を殺す目的の兵士と、犯罪者を捕まえるのが目的の警察官がケンカするようなもので、圧倒的に兵士が優位である。

 日本側に犠牲が出なかったのは、”まさか撃たないだろう”という、お互いの「油断」が”手加減”につながり、たまたま日本側の良い方向に傾いただけだと思う。
 なぜなら、『長漁』が最初から”必死”であれば、巡視船が最大に接近したところで最強の武器、無反動砲とロケットランチャーを使うからだ。もしそうされたら、接舷した時点で巡視船2隻を一度に失う可能性もあった。

 最強の兵器を最後に使うのは、マンガだけである。

※※※

 海上保安庁の職員が無事で良かったと思うとともに、それにしても、と考えさせられることがある。
 工作船の目的は”覚せい剤の売買”と言われている。

 戦争中、国のために命をかけた特攻、玉砕を知っているわたしたち日本人には、ひとつの”やるせなさ”がポツンと残るのではあるまいか。

 やるせなさの源泉は、覚せい剤売買の目的に『長漁』の乗組員が命をかけたところ、そして北朝鮮が当初、無関係という態度を貫いたところにも。

 きっと彼らが平和的で生産的活動に身を投じていたなら、素晴らしい成果を生み出せたと思うのだ。

 ”誇り”を誤らせてはならない。それは正しい精神を持つ国でしか出来ないのだ。

工作船の破口  撮影 秋田しげと


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