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【見ないとわからない、ということ】黒田清輝記念館 「智・感・情」

色々言われている事、研究されている事、物議、アカデミズムとかそういうのぜんぶ放り投げて、絵を見る。
どう思うのか。私は感激が走った。

先日、黒田清輝記念館 「智・感・情」を初めてみた。
湖畔などは重文展でみたのだが、今回はこの「智・感・情」を見れるということで黒田記念館の秋の特別展示に立ち寄ったのだ。


特別室



薄暗い展示室に浮かび上がる3体の裸体。
金地に肌色の表現(明度の近さ)なのに浮かび上がる不思議な体。


こんなに境界をくっきり描いていたのか



近くで見てみると朱赤に近い茶色?ブロンズ?のような線が引いてある。
そうなのか。
枠線あったのか。

私は中心の「感」に酷く惹かれてしまった。
このキッと正面を向いた眼差し。
が、どことなく視線が合わないような不安。
舟越桂の彫刻やドローイングを思い出す。

この感想を書くにあたって、研究されている事を調べてみたら光学的調査の結果が公開されていた。

これを見るとデッサン時よりも着色の際に表情に変化があるのが面白い。
着色段階で匿名的になる、というかそういう感じがする。

解説を読めば、日本人女性がモデルながら当時の日本民族では得難いプロポーションである、と。
スタイル良すぎ、というのは確かにあるのかもしれない。
ギリシャ彫刻的理想化と言うのか。
でも思うに、これは美化と理想化の二言で終わりでは無さそうな気がする。
体型そのもの、というより姿勢が良いのではないだろうか。
立ち方がとにかく良い。とても正しい立ち方をしている。
なかなか正しい立ち方をするのは難しい。
モデルを努めた人間側にも筋肉の使い方や見せ方がわかっていたのかもしれない。

絵を通じてその向こう側にいたであろう100年前のモデルに思いを馳せる。

紛いもなくプロフェッショナルだったのだろう。

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