見出し画像

パリ旅2020②「ハハひとり旅」のススメ

2020年1月某日、わたしはひとりでパリへ出かけた。

結婚して、ハハになって、パリにひとり旅をしたのは、二度目だ。

一度目は4年前のこと。その時、わたしの体はボロボロで、心はほとんど死んでいて、個人的にも家族的にも、復活を賭けた旅だった。大袈裟でなく、本当にそんな出来事だった。

初めての妊娠・出産、初めての育児、変化していく夫婦の関係。
仕事への復帰と在籍していたベンチャー企業の急成長期。
どんどん成長する子どもの、イヤイヤ期や発熱の無限ループ。

その間の、二度の流産。

頼れる人を知らず、頼る術を知らず、ただただ何かを守り頑張っていた毎日。

そんな「よくある問題」を、「よくあるかもしれないけれど、わたし(たち)にとっては初めて直面する問題で、とてもではないけれどスマートには対処できないからなんとかしなくてはならない問題」を、それでもやっぱり「よくある問題」で納めようとしていたツケが回って、大切なものを見失って、そして本当に失ってしまいそうだった。

そんなタイミングでの、恐ろしい悪循環からの決死の脱出だった。

そして、わたしは、ひとときのひとり旅を経て(自分でいうのも何だけど)見事に生還して、いろいろあるけどあの当時ほど「底」には落ちずに、それなりにハッピーに暮らしている。今のところ。
(たぶん、ことの経緯は別の機会にまとめた方がよいくらい濃密だけれど、完全に思考停止していたわたしに「長い旅に出よ」とアドバイスくださった(命令を下した?!)Tさんには本当に本当に感謝している。)


それに比べたら、今回のはちょっとした儀式で、単なる娯楽だ。


「このひとひとりでパリに行ったら復活する説」が定着したおかげで、わたしも、オットも、「(わたし/きみ)そろそろ行くよね?パリ。」ってな具合に、わたしの「パリひとり旅」は家族の必須事項としてそこにあるようになり、わたしは、幸運にもその後授かった2人目の子どもの卒乳タイミングを見計って、旅に出ることにしていた。


妊娠期間からトータルすると、1年や2年、母乳育児をしている場合は特に、母親はなかなか「身体の自由」がない。精神的にはもちろんだけれど、物理的にも子どもの傍を離れられない。

それはもちろん、望んだことであり、幸福なことではあるけれど、同時にとても疲れることであるのは間違いなく、「役割」に端を発する「負担感」の違いから夫婦それぞれにいびつな感情を生み出すことも学んでおり、母親であるわたしに「それに相応する壮大な息抜き」が必要なことを、わたし(たち)は理解していた。


だから、しかるべきタイミングで、「前回のような状態になる前に」わたしは旅に出ようと思っていたし、オットもそれがいいと思っていたのだった。


タイミングとしては、息子の卒乳時期、そして、わたしが仕事に復帰するあたりが理想的だった。


母乳育児を愛しんでいたわたしにとっては、何らかの契機がないと「卒乳(断乳)」はなかなか難しいものだったし、だから、旅立ちを目安に離乳計画(段階をふんで、いろんなごはんを食べられるようになること)を進めるのはなかなかモチベーションの上がる目標設定として機能した。

それに、こんなにも愛らしい子どもと、「仕事を契機に離れる」というのは、わたしにとっては相当に切ない出来事で、寂しい気持ちやうまくいかない気持ちが出てくると、「仕事と子どもの天秤」が必要以上にチラついてしまうので、よくない。だから、単に仕事でなく、わたしがわたしとして楽しい(趣味的な)時間のために子どもと離れる、ということが大切なのだ。(たぶん、仕事に迷いがない人には、こういう悩みはわきにくい。)


ともかく、そういった意味で、この旅は儀式であり娯楽であった。


だから、前回は「行こう」と決めてなんとか段取りをつけ、1ヶ月後の旅立ちだったけれど、今回は半年前には航空券を取った。
(実際のところは、出発日と帰国日だけはだいぶ前から決まっていたけれど、中身は何にも決めていなかった。)


おかげさまで息子は元気にすくすく成長し、出発の2週間前にはするっと卒乳。


予定通り、オットに子ども2人を託して、わたしは羽田に、そしてパリに向かった。


「なんでママひとりでいくの、ずるい!」という息子(兄・5歳)に、オットは「何言ってるの、ママはパリにひとりで行く人じゃん。」と「これは規定事項ですよ」と諭していて、彼も「そうかぁ」と割りにあっさり納得したようだった。

息子その2(弟・1歳)は、まだきっと何もわかっていなくって、結果的に
後から寂しい思いをさせてしまったようだったけれど…。

かわいい子どもたちを置いて遊びに出かける、そんな後ろめたさがなかったわけではないし、もちろん寂しさや心細さはあったけれど、行ったら楽しいこと、エナジーチャージをして帰って来られること、それがみんなのためになることを、わたしはもう知っていた。

オットに対して、「いつもはわたしがワンオペしてるんだから、その大変さを味わってみたらいいよね」・・・なんていう気持ちがなかったか・・・といえばゼロではなかったけれど、意地悪な気持ちというよりは、軽口のレベルで。彼の育児力はこの数年で目覚しく進歩していたので、ほとんど心配もしていなかった。(家事力は・・・なので、わたしの自己満足のためにも、不在期間分のごはんは全部つくって冷凍して準備しておいた。)


だから、笑顔で「いってきます!」と家を出た。


ハハひとり旅。


誰にでも勧められるものではないし、簡単にできることでもないとも思う。
でも、もし、何をしたって行き詰まって、息詰まっていたら・・・
考えてみてもいいかもしれない、ひとり旅。

これは、わたしがわたしになれる時間っていうのが、何かっていう話。

わたしの場合は、それがひとり旅だという、話。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?