2/10JR大阪環状線京橋駅8時4分発

起きて1時間。まだしゃぼん玉の中にいる。

電車は平らな上を滑りながら走っていく。高架上のレールはどこまでも水平を保ち続ける。水平の中にありながら、そのレール自体には歪みや連結があって、電車を呼吸するように揺れさせて、時に大きな鳴動を起こす。

乗客が揺れに敏感であるかと言えばそうでなく、それこそ呼吸を合わせるように体を動かすことを無意識下に持つ。
体をスイングさせながら足の爪先をわずかに立てる。あわや転倒の寸前であっても顔は平静を表していて、むしろ先程に増して感情の読み取れない様相となる。乗客でありながら電車を乗りこなすことを求められている。そんな憐れな乗客を救うために設けられているはずの吊革の列は、機会を待ち続けてただ揺れている。不衛生が許されなくなってから吊革の意義はもはや失われつつあった。目の前にありつつも遠いもの。いつか吊革の存在はポップソングの歌詞に道具として落とし込まれていく。

私を覆う薄膜のしゃぼん、朧げに揺らめく極彩色のそれは、辛うじて破綻寸前を保ち続けていた。電車の中ではこの薄膜のしゃぼんは永遠かに思われた。漂うことなく私に纏わり付きながらしゃぼんは軽く空気と触れ合い続ける。

不意に膝を叩いたものがあった。乗客の誰かが落とした傘だった。彼か彼女かの手はにゅっと伸びてきて素早く傘を救い出した。覚悟した痛みの代わりに、私の世界は徐々に焦点を取り戻していく。セピア色に彩度が優しく注ぎ込まれていく。そのようにして私の周囲はすっかり形を持った「何か」の連続へと姿を変えた。私はしゃぼんが弾けたことを知る。

頭の冴えた私は見知らぬ傘に音なく礼を言った。乗り換える駅はすぐ、超高層を誇るビルの足元へ電車は跳ねながら迫っていた。

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