2/14JR大阪環状線京橋駅8時4分発

平日の火曜だって、憂鬱じゃない奴がいてたまるか。見てみろよ連中を。空いてる席を狙う瞬間だけハイエナみたいに飢えた眼になりやがって。ある意味じゃお仲間じゃねえかよ。憂鬱な火曜日を戦うお仲間だろうが。そいつらが競い合って奪い合いしてるんじゃ世話ねえよ。

黒崎は左胸の外側をコートの上から叩いた。硬い感触が指に伝わる。これでいいんだ。なぁに、おまじないってもんだよ。俺は正気だよ。

電車は徐々に地上のすぐそばを離れて高架の上を走り始める。大阪城のすそを離れてビルの世界へ入っていく。誰だって気づきはしない。その瞬間、いつ世界が切り替わるのか。そんなことよりも、電車の中じゃ手元が全てだ。それが原則だ。
どの鞄もくたびれている。黒崎はまた胸を叩いた。硬い。しかし、今度は焦燥が消えなかった。じわり額に浮かぶ汗がある。心臓が早鐘を打つ一方で、足の指先からは血の気が引いていく。染み出す汗にも凍える。慌ててコートの内側に手を滑らせる。指先にガラス瓶の冷たさが触れる。切迫していた危機が去っていくのを黒崎は感じた。
いつからか、電車に乗っているとおかしくなるようになった。恐怖や不安が襲ってきて、窓を突き破ってでも逃げ出したくなってしまう。脂汗をかいてへたり込んだこともある。走行中の開かないドアを睨んで脱力した体を壁にもたれかけさせた。なぜだろう、電車は平気でいられない。

困った黒崎はいろいろと手を尽くした。なんとか電車に自分の存在を許してもらおうとした。その結果が指先のガラス瓶、ウイスキーの空瓶だった。
空なので飲みはしない。しかし、これがあるということだけで自分の存在を許してもらえている気がした。

黒崎の指は瓶を捉えたまま、電車は緩やかな加速と減速を繰り返していった。

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